232 お母様の不調
王宮でハイレット伯爵一家と別れて私とリオンは一旦一緒に私の家に帰る事になった。と言うのも以前も言われたけどお父様が一度帰ってお母様に顔を見せてやって欲しいと再度頼まれたからだ。
あれからお母様には一度も会ってない。これはお母様に会いたくないと言う意味じゃない。早く死ぬ運命を回避して『もう大丈夫だよ』と言える様にならなきゃいけないからだ。具体的な日は分からないけど少なくともアカデメイアさえ卒業すれば乗り越えられる。私の知識ではマリールイーゼが死ぬのは卒業の前段階でマリエルは私の死後攻略対象と完全な恋仲になって終わる事までしか分からない。多分厳密に言うと卒業よりも前段階で私の運命は終わる。だけどエアプの私には圧倒的に情報が足りない。
大体私は主人公のマリエルに嫌がらせをしてないしマリエルも恋愛すらしていない。なのに私が死ぬ運命だけは決まっている。人見知りで余り人と話さない所為で悪い噂が流れる事も多いけどこれは公爵家と言う王家に次ぐ家の生まれである事も大きい。この国で私の存在は知られてないけど何かあれば公爵家の娘と言われる。こればかりはもうどうしようもない。
それにアカデメイアに行かない事も一度は考えた事があった。だけど考えてみるとそれでも私が英雄一族と言う事は変わらない。私がそこにいるだけで周囲は魔法を使えなくなる。ベアトリスに因縁を付けられた時もこの力が原因だ。きっと実家と離縁しても同じ問題は必ず起こっていた。
とどのつまり、私は正面から抗って生き延びるしかない。それ以外に逃げ切る方法がない。知ってる状況から大きく外れている筈なのに命に関わる事件だけは確実に起きる。それに誰かに殺されるだけじゃない。自分の力が原因で今回私は心停止まで起こした訳で、ほぼ自殺未遂も同然だ。
「――どうしたの、リゼ? 何だか憂鬱そうだけど……叔母さんと会うのにそんなに気が進まない?」
「あー……ううん、そうじゃないよ。お母様には会いたいけど今の状態で会ってもお母様が安心出来るとは思えないんだよね。やっと二年生になれたけどさ、これまでに死に掛けた事が多過ぎだし。そりゃあ私も死ぬ気はないけどお母様が納得出来るかって言うと話が別でしょ?」
馬車の中でリオンが不意に尋ねてきて私は答えた。どうやら憂鬱そうに見えたらしい。リオンはそんな私の言葉を聞いて少し慎重そうに言う。
「……僕は、リゼは凄く頑張ってると思うよ? 今までずっと一緒に見て来たけどさ。正直言うと頑張り過ぎだと思ってる。叔母さんはそれを知らないから余計不安なんだろうね。殆ど事情を知らないままだろうから」
「そっか……そう言われると私、お母様に全然話してないわ。ちゃんと話した方が良いのかな? だけど分かってくれるかな?」
「どうだろう。僕やクラリスはある程度相手の感情や心を知る事が出来るから嘘じゃないって分かるけど、叔母さんは純粋な英雄一族じゃないから英雄魔法も使えないし。だけどその分不安も大きいんだと思うよ?」
そう言われてみると確かにそうだ。お父様の方が割と柔軟に理解してくれるのは英雄魔法が使えるからなのかも。それに私の場合別の世界の記憶なんて荒唐無稽な物まである。生きた記憶じゃないから知識と言った方が良いのかも知れないけど、そんなの大人が簡単に信じてくれる訳がない。
まあ……必要ない限りは今まで通りで良いかな? だって話しても信じて貰えないと思うし。逆に適当な事を言うなって叱られる気もする。
そして家の前までやってくると扉が開いてお母様が姿を現した。馬車の車台から降りると私の顔を見て駆け寄ってくる。
「ああ、お帰りなさい、エリーゼ!」
「お母様、ただい――」
――あれ? 今、お母様……私と違う名前を言った?
車台のステップの途中で思わず立ち止まってしまう。固まる私の後ろでリオンが訝しげな顔に変わる。
「……ん? リゼ、どうしたの?」
「え……えっと……お母様?」
「どうしたの、ルイーゼ?」
あれ、変だな……私の聞き間違いだったのかな? だけどお母様はキョトンとしながら腕を広げている。それで思い直してやっと馬車から降りるとお母様は私をしっかりと抱きしめた。
「……本当に良かった……こうして無事に戻ってくれたんですもの……」
「お、お母様……ちょっと苦しいよ……」
「ごめんなさいね。だけど……本当に心配だったのよ。部屋を見てもいつもいないし、あんな死にそうな目にあって無事で本当に良かった……」
「え、部屋って……お母様、私、アカデメイアにいたのよ?」
「ええ、分かってるわよ? この前お父様と一緒に行ったじゃない」
「……え、うん……」
やっぱり何か変だ。だけどもしかしたら私がいない時にお母様、アカデメイアの部屋に来たのかも知れない。以前は頻繁に来てたし、私もクロエ夫人に会いに行ったり王宮に行ったりで部屋を空ける事も多かったから。
だけどすぐ後ろにいたリオンが不意にお母様の肩に手を乗せる。その瞬間目を大きく見開いてこめかみを押さえた。まるで痛みを堪えるみたいに顔を歪めている。お母様は振り返ると不思議そうな顔に変わる。
「あら、どうしたの、リオン君?」
「……ッ……いえ、肩に糸屑が付いていたので……」
「あら、ごめんなさいね。有難う、取ってくれたのね」
「……いいえ……はい、もう大丈夫です……」
「そうそう、丁度林檎のトゥールトを作っていたのよ。貴方、大好きだったでしょう?」
「え……まあお母様が作る物は私、大抵好きだけど……」
「良かったわ。それじゃあ一緒にお茶にしましょうね」
そう言ってお母様は私の肩を抱いて歩く。だけどやっぱり変だ。林檎のトゥールト――タルトが特に好きな訳じゃない。確かに叔母様の家に行く前には食べていたし美味しかったけど特に大好物って訳じゃなかった。
それで戸惑いながらお母様と一緒に玄関に近付いていくと途中でリオンに肩を軽く叩かれる。そこで足を止めると耳打ちされた。
(――リゼ、後で部屋で。取り敢えず今は叔母さんに話を合わせて)
(――え……う、うん……)
「あら、どうしたの二人共。何か内緒話?」
「ああ、いえ。でも僕も戴いて良いんですか?」
「当然じゃない。貴方はこの子の婚約者だもの」
「有難う御座います。でも林檎のトゥールトなんて久しぶりです」
「この子が好きだったバタークリームと他の果物も沢山入れてるのよ?」
「それは楽しみだな。アカデメイアだと手に入る果物が限られますから」
「そうでしょ? そうだわ、今日はリオン君も泊まって行ってね?」
「あ、はい。それじゃあ部屋の方を使わせて貰いますね」
お母様とリオンがそんな風にやり取りする。だけど私は声を出す事が出来なかった。何だかお母様が言う『私』が別の誰かみたいで気持ち悪い。
その後は普通に三人一緒に林檎のトゥールトを食べてお茶を飲んだけど甘い筈のトゥールトの味が私には全然分からなかった。