231 大人と子供
王宮の中、侍女に先導されて廊下を歩いている時だ。一緒に歩いていたハイレット伯爵夫人、クロエ様が不意に私に耳打ちしてきた。
「――マリーちゃん。さっき陛下が仰っていた招待状の送り主、『マリーアンジュ』って実はベティの事なんでしょう?」
「……えっ⁉︎ あっ、いや、その……」
いきなりそんな事を聞かれて物凄く焦る。と言うか何処でそれがバレたのか分からない。本気で慌てているとクロエ夫人は楽しそうに笑う。
「どうして分かったのかって? だってほら、私に話を聞きに来た時もいきなりベティの事を尋ねてきたじゃない。その直後に陛下に呼ばれて私に招待状を出してきた人ってもうそれ以外に考えられないのよねぇ」
この人もやっぱり油断出来ない人だ――と言うより上流貴族の大人って誰も彼も油断出来ない人ばかりな気がする。これってまだまだ私が子供で背伸びしてるだけって事なのかも。上流貴族の地位にいる大人は皆過酷な貴族社会を日常的に生きる人ばかりで頭が凄く切れる。うちのお母様やアンジェリン姫だってそうだ。クロエ様やあのベアトリスにしたって勝てる気がしない。余りにも圧倒的な差があり過ぎて正直凹む。だけど黙ったままの私を見てクロエ夫人はお見通しとばかりに私の背中に手を当てた。
「……まあ、大人に手を伸ばせる子供なんて余りいないからね。マリーちゃんも頑張ってると思うけど経験不足は否めないわ。こればっかりは実際に色々経験しないとね? だから余り気にしない方が良いと思うわよ?」
やっぱり思い切り見透かされてる。と言うかこの人、正規生一年の時点で玉の輿決めてるんだよなあ。はっきり言って貴族令嬢の中でもトップクラスに凄い。実際出世した点ではアンジェリン姫より上かも知れない。
だけどそう言われても私は早く大人相手でも張り合える位にならなきゃいけない。じゃないと死ぬ運命から逃れる事が出来ない。今までは皆に助けて貰って偶然何とかなっただけだ。そう考えると焦ってしまう。だけど深刻な顔で黙る私を見てクロエ夫人は何か思いついた顔に変わった。
「――そうだわ。マリーちゃん、私が色々教えてあげましょうか?」
「……えっ?」
「テレーズ先生は確かにレディクラフトを確立された凄い方だけど前時代的な基準なのよ。私が一年生の頃でも先生が現役の時と比べて大分違った筈なのよね。先生の頃はアカデメイアなんてなかったし貴族の子供だって爵位で縛られてたから。きっと上流貴族の子供に下流貴族の子供が偉そうに色々言うなんて想定してないと思うわよ?」
「……えー……それは……そうなんでしょうか……?」
「それに気にしてる処を見ると相手はベティなんでしょ? それなら私の方が詳しいわよ? なんせ親友をしてたんだもの」
「え、でも良いんですか? クロエ様はあの人の親友ですよね?」
「親友だからこそよ。親友なら間違っていても応援するの? もし親友が間違った道に進むのならそれを止めるのが親友の役目だと思うけど?」
そんな風に言われると凄く悩ましい。だけどもしセシリアやルーシーが間違った事をすればきっと私も間違ってるってちゃんと言う。親友だからこそ間違った道に進んで欲しくない。それで私が頷くとクロエ夫人は心底嬉しそうに笑った。
「じゃあテレーズ先生には私から話を通しておくわね。週に一回、私の家に来る事。それと来る時は絶対にコレットも一緒に連れて来てね?」
「え。え、もしかしてコレット目当てだったんですか⁉︎」
「決まってるじゃない? 流石に今はあの頃と見た目も随分変わってるしコレットも気付かないわ。うふふ、とっても楽しみな事が出来ちゃった」
こ、この人は……やっぱり侮れない。侮れないと言うか単に私が一つの事に囚われ過ぎてるから他の事を混ぜられると気付けない事を思い切り利用されてる気がする。確かにそう言う部分って私の弱点かも知れない。
「……分かりました。コレットも連れて行きます……」
「よろしい。ついでにクラリスちゃんも連れてきてね?」
「……はぁ……まあ、それも別に構わないですけど……」
「うちの子達、クラリスちゃんが大好きなのよ。あの子、デュトワ家の力を受け継いでるから何も言わなくても察してくれるし。あの魔眼って本当に凄いわよね。そこらの魔法なんかよりよっぽど凄いと思うわ?」
この人、クラリスの魔眼の事まで知ってるんだ。まあ結構歴史のある伯爵家だしフランク先生が昔は魔法を使えていた事を知ってるのかも。でも上流貴族って本当に自分の要求を通すのに手慣れてる気がする。こんな人達を相手にしてたらそりゃあ王様だってそれ以上になるしかないだろう。
別の意味で疲れながらシルヴァンの部屋へ到着する。そこで扉を開くと凄い光景が目に飛び込んできた。
「――クレリアね、おうじさまのおよめさんになるの……」
「ははは、嬉しいな。だけどもう少し大きくなってその時にね」
「……はい……」
なんかシルヴァンに抱っこされてうっとりする幼女。その向こうでは同じ様にリオンに抱かれてマリエがしがみついている。
「……マリエはおにいちゃんのおよめさんになれないの?」
「うん、ごめんね? 僕はもう婚約してるから」
「うう、いやー! マリエ、おにいちゃんのおよめさんになるのー!」
「……リオン、小さい子相手なんだからさ……」
「いや、でもシルヴァン、女の子って下手な事言うと後が怖いよ?」
「うっ……そ、それはまあ、確かにそうだけどさ……」
そしてアンジェリンお姉ちゃんはアランと一緒に枕を手に掴んで対峙している。長男アランが片膝をつく前で勝ち誇った様に枕を振り抜く王女。
「……うう、どうして勝てないんだよう!」
「ふっ……甘いわねアラン。私に勝つには後十二年足りないわ!」
「く、くそお! もう一回! 今度は負けないぞ!」
「おほほ、かかってらっしゃい! 大人の女の魅力、見せてあげるわ!」
そんな中ソファーではテオドール伯爵が末っ子ローランのおむつを替えているのが見える。心労か少しげっそりしてる様に見えるのは絶対に気の所為じゃないと思う。
「……ああ……やあ、おかえり、クロエ……」
力無くそう呟くとため息をついてオムツを替えるとローランを抱いてあやし始める。それを前に私もクロエ様も扉の前で一瞬固まっていた。
「…………」
「……あらー。皆、はっちゃけてるわねー」
いや、これ見て『はっちゃけてる』の一言で終わらせるクロエさんって実は相当強者なんじゃないかな。だって王族相手に……まあシルヴァンとリオンは良いとしよう。二人共女の子が好む顔立ちだし小さい女の子でも懐き易いから。でもアンジェリンお姉ちゃん、何してんの? 枕でチャンバラって多分怪我をさせない為なんだろうけど五歳の男の子相手に勝ち誇った上に『大人の女の魅力』を語る姿は物凄く痛々しくて見てられない。
「……あ、リゼ、おかえり」
「……あー、うん……ただいま……」
扉の前で立つ私に気付いたリオンが近付いてくる。だけど抱かれたマリエはほっぺたを膨らませて私を睨んでいる。
「この、どろぼうねこ! おにいちゃんはわたしのだもん!」
そう言って手をぶんぶん振り回してくる。だけど微笑ましいと言うか何と言うか。確かマリエってまだ二歳だった筈だ。クロエ様似なのか兄弟の中でこの子だけが黒髪だ。私が笑いながらくすぐり返していると拗ねていたのにすぐにキャッキャと声をあげて笑い始める。
何て言うか凄く不思議だ。さっきまで私を睨んでいた子がちょっと構ってあげただけですぐに笑って声をあげている。子供って感情がころころ変わって見ていて飽きない。そんな私とマリエの様子を見ていたクロエ様が楽しそうに見ている。
「……まあ結局、そう言う事なのよねえ」
「え? 何がですか?」
「それが分かる様になればマリーちゃんも一人前って事よ?」
「おかあさま! だっこ!」
そう言ってマリエが今度はクロエ様に両手を伸ばす。リオンから娘を受け取るとクロエ様はマリエに色々尋ねている。マリエは今までどんな事があったのかを舌っ足らずに一生懸命話している。それを微笑ましく眺めながら私はさっきマリエ様に言われた事を考えていた。
……そう言う事、ってどう言う事だろう?