23 シルヴァン王子の接触
あれからアンジェリン……お姉ちゃんは私達と一緒にいる事が増えた。今日も一緒に食堂の隅でひっそりとお茶を飲んでいる。だけどどうしてこんなにべったりなのか彼女に尋ねると、
「――えっ? だって王女が一緒なら他の子はマリーちゃんに話し掛けてこれないでしょう? それに公爵家の姫君が一緒なら私に話し掛ける事も出来ないだろうし、リオンくんも隣国の公爵家だから余計にね? こう言う上位三竦みの構図って第三者は無闇に口を挟めない物なのよ。憶えておくと便利よ?」
……と言ってさり気なく権威を滲ませてくる。こう言う政治的な駆け引きを日常的に使いこなすのは流石王族と言うか素直に凄いと思うけど正直怖い。だけど他の準生徒に限らず正規生も近寄ってこないのは本当に有難い事だった。アカデメイアは原則権威を振るう事が禁止されているけどやっぱり家の地位はそう簡単に無視出来ない。特に王族や上流貴族は名前が知られているから下流貴族にとって気軽に声を掛けられない相手だ。
だけどそんな理屈が通用しない相手もいる。例えば――
「――ずるいですよ姉上。準生徒同士なんですからこんな風に独り占めされては困ります。僕達だって彼らと交流して友人になりたいと望んでいるんですからね」
その声に視線を向けるとシルヴァン王子がいる。声も穏やかだけど私を見てにっこりと微笑む。だけどその後ろにはバスティアンとヒューゴがさも当然の顔で控えている。その後ろには例の令嬢二人が顔を引きつらせながらくっついている。きっと王子から一緒に来る様に誘われて断れなかったんだろう。
シルヴァンの視線から目を逸らしながらさてどうしようかと考えているとアンジェリンが腕を伸ばして私を彼の視線から守る様に扇を開いた。それで驚いていると彼女は口を開く。
「……シルヴァン、お前は空気も読めないのですね。不躾が過ぎますよ。私達は今、身内で話をしているのです。そこへ他の者を引き連れて加わろうとする非礼、少しはわきまえなさい」
かなり驚いた。お母様が不機嫌な時そっくりだ。口調も丁寧で笑みは浮かべているけど滅多に怒らないお母様が極めて稀に怒った時はこんな感じになる。大抵は私やお兄様に関する事でお父様相手に、だったけど。
だけどシルヴァンは肩を竦めてわざとらしく悲しそうな表情になった。後ろを振り返って他の同級生を見てから言う。
「身内ですか? ですが同じ準生徒の仲間も身内同然だと僕は考えるのですが……姉上にとっては違うのですか?」
「違いますね。彼らは身内ではありません」
シルヴァンの問いにアンジェリンはぴしゃりと間髪を容れずに言い放った。それで王子は僅かに鼻白む。そのまま彼は笑顔を崩さずに姉姫を目線だけで睨みつけた。
「……姉上はお酷い。僕を含めて彼らはこれから一緒に勉学に励む仲間の筈ですよ? それを身内ではないだなんて――」
だけど王子がそう言おうとした処でリオンが突然立ち上がるとテーブルの前に一歩進んでシルヴァンを遮る様に立った。
「――姉さん、彼は身内と仲間を混同しています。きちんと教えてあげなければ分からないでしょう。それでは可哀想です」
「な……姉上を姉さん、だって?」
「そうだよシルヴァン。君は大きな勘違いしている。君が事情を全く理解出来ていない事は聞いていてすぐ分かったよ」
だけどリオンの言葉に今度は後ろに控えていたヒューゴが激しい敵意を抱いた目に変わりバスティアンが口を開く。
「お前、王女に対してのみならず、シルヴァン殿下に対して呼び捨てとは失礼だろう! それは許される事じゃないぞ!」
リオンはそんな侯爵家の少年に首を傾げて笑った。
「……へえ? ここじゃ権威の持ち込みは禁止されている筈だけど君がそう言うのならそれに合わせて言ってみようかな?」
「なんだと⁉︎」
「僕はイースラフトの公爵家所属だ。それを侯爵家所属の君がそう言う物言いをするのは失礼に当たらないのか? それとも君の家は我が王国と一族に対して何やら思う処があるんだろうか?」
「……そ、そんな事を言ってるんじゃない! 先に我が国の王子殿下に対して無礼にも呼び捨てをしたのは君だろう⁉︎」
あ、話題をズラした――私はアンジェリンの扇の陰で思わず苦笑してしまった。リオンは普段私と話をするみたいに詰まらなそうに言っているだけなのにバスティアンは顔を真っ赤にしている。この時点でもうリオンには絶対言い返せない。
そして私が思わず苦笑してしまった処をお姉ちゃんに見られて焦った。だけどアンジェリンも楽しそうに笑っている。
後ろで私達がそんな風に見ているのを知ってか知らずかリオンはバスティアンからシルヴァンに視線を戻して言った。
「……え、もしかして……君ら、本当に知らないの?」
「え……な、何を……?」
そこでリオンはシルヴァンの肩に手を置く。あーこれリオンが完封しちゃう流れだ。それにそこまでするって事は彼は相当怒っている。だって英雄一族の魔法まで使うんだから。
「シルヴァン。僕達は遠い親戚だと本当に知らなかったの?」
「……えっ? し、親戚……?」
「そうだよ。確かに僕はイースラフトの公爵家の子だ。だけど僕は彼女の親戚でもあるから君と僕は遠い血縁なんだよ。もし知っていたなら彼女の名前だって当然言えるだろう?」
うわ……えげつない……逃げ道を示したフリで実は逃げられない方向に誘導してる。リオンが相手に触れてそう口にしたと言う事はきっとシルヴァンはまだ私の名前を知らない。
「え、ええと……公爵家の令嬢は、マリー、だ……」
愛称は合っているけど名前じゃない。きっとアンジェリンお姉ちゃんが口にしたのを聞いた事があるんだろうな。まさか愛称をこんな風に利用するだなんて私は考えた事もなかった。
案の定リオンは憐れむ笑みでシルヴァンの肩をポンポンと軽く叩くと彼の耳元に口を近付けて囁く。
「……君はもう少し、色々とお父さんから教えて貰った方が良いと思うよ? 君はそれでも王子様なんだろう? これは同じ年頃の身内が言った言葉として聞いてくれると嬉しいな?」
それが完全なとどめとなった。シルヴァンは真っ青な顔色になって振り返ると準生徒の級友達に向かって頭を下げる。
「……皆、申し訳ない……姉上達は血縁者同士の大切なお話をしていらっしゃったみたいだ……それに――姉上、お話の腰を折る様な真似をして、本当に申し訳ありませんでした……」
それでアンジェリンは優しい笑みを浮かべながら懐から何かを取り出す。それはアカデメイアで買い物に使える金票だ。
「分かってくれれば良いのよ、シルヴァン。それに級友の皆様にもご足労をお掛けして申し訳ありませんわね。そのお詫びにせめてこれでお菓子を買って皆様で食べてくださいな?」
金票を受け取るとシルヴァンは食堂を後にする。その際に控えていたヒューゴは無言で一礼してバスティアンも青い顔でリオンに向かって頭を下げる。
「……あ、あの……大変失礼致しました……」
「僕は別に構わないよ。でもここでは権威の誇示は禁止されているからね。バスティアン、君も注意した方が良いよ?」
「……は、はい……本当に申し訳ありませんでした……」
そうして一団が食堂から出ていく。周囲の生徒達も一体何事かと眺めていたけれど準生徒はまだ十二歳程度の子供達の集団だから余り気にも止められなかったみたいだった。そうやって彼らの姿が見えなくなるとリオンは煩わしそうため息を吐いて再び席に座る。そしてアンジェリンは楽しくて堪らない様子で口元を手で押さえて笑っていた。
「……ああおかしい。シルヴァンったら良い気味だわ。だけどリオンくん、有難う。私とあの子が揉めると面倒な事になると考えてくれたのね。お陰であの子もしばらく何も言えないわ」
「いえ。ただ単純に腹が立っただけです。僕はああ言う無関係な人を利用したやり方は嫌いなだけで……」
あ、そっか。あれって同調圧力だったんだ。準生徒の皆を一緒に連れてくれば拒否出来ないって言う。確かにやり口として結構汚い気がする。あの女の子達も微妙に嫌そうだったし。
それで私が見ている事に気付いたリオンが首を傾げる。
「……何だよ、リゼ?」
「えー? ほら、リオンって貴族らしい振る舞いも実はちゃんと出来るんだなーって。ちょっと感心してただけよ?」
「……あのね。僕だってこれで一応公爵家の人間だから母さんにみっちり鍛えられてるんだよ。それにうちは父さんが王族だったから良く社交界に顔見せに連れて行かれてたしね?」
「あ、そっか。うちはお母様が元王族だし私も女だから余りそう言うのがなかったのね」
「……いや……リゼの場合、静養に何年も預けられてた位だし社交界処じゃなかったんじゃないかなあ。普通貴族って社交界デビューの前から子供の顔見せってよくやるみたいだしね?」
「……何よ。それって私が普通じゃないみたいじゃない……」
「でもお陰でシルヴァンもリゼの事を良く分かってなかったみたいだし。兎に角リゼが変に口を出して憶えられるより僕の事を意識してくれた方が良いよ。リゼは外見もそうだけど性格や考え方も人から物凄く興味を持たれ易いみたいだからね?」
なんか微妙に納得出来ない。確かにリオンの言う事も理解出来るけど、それってなんだか私が愉快な子みたいじゃない?
私は結構大人しい子だしビビりでもある。さっきだって何も言えずお姉ちゃんに守って貰ってた訳ですよ。それを捕まえて珍妙な女の子みたいに言うのはちょっとどうかと思います。
「リオンはさ……本当に私を可愛い女の子だと思ってる?」
「え、思ってるよ? 目を離すと無茶して危ないし」
「……先ず、『可愛い女の子』の定義から話し合おっか?」
「だってリゼ、身体が弱くてすぐ倒れるから危ないだろ?」
「……そっちの意味の『危ない』なんだ……?」
「うん。リゼは色々危なっかしいから放っとくと不味いよ」
……何だろう。やっぱり微妙に納得出来ない気がする。
そんな風に言い合う私とリオンをアンジェリンお姉ちゃんは頬を赤くしながら嬉しそうに笑って眺めるのだった。