221 思い出せて良かった
あれからリハビリをする様になって、それまで遠ざけられていた話を耳にする機会が一気に増えた。
襲ってきたのはドラグナン王国の人間で以前叔母様が言っていたイースラフトに流入する商人や旅人に混じって来た。だけど問題なのはイースラフトに留まるのではなく、素通りしてグレートリーフまで侵入した事だ。
あの事件でアカデメイア襲撃に参加したのは総勢二十四人。その全員が既に捕縛されている。そしてその標的はやっぱり私だった。
だけど自国内でも私の存在を知る人間はかなり少ない。なのに私の事を名指しで標的にした人間がドラグナンにいる。英雄一族の中で一番弱くて脅威になり得ない存在として私を人質にする計画だったらしい。
となればもうリオンが言った通り彼女しかいない。そう、ベアトリス・ボーシャンだ。その証拠に襲撃者達は私の英雄魔法が単に逃げ回るだけの能力だと思っていた。ベアトリスが私の能力を見たのはたったの二回しかない。アンジェリンお姉ちゃんとの勝負、それにお茶会講習でエマさんを庇った時――そのどちらもまだ英雄魔法の使い方を知らなかった頃だ。どうやら私の魔法を身体能力の大幅上昇みたいに思っていた節もある。多分踊るみたいな動きを毎回していたからだと思う。
「――それでエド、私のお父様とお母様は今回の事、もう知ってるの?」
今回のあらましを教えてくれたエドガーは私の問いに苦笑する。
「叔父上と叔母上、それとレオボルト義兄さんは今回の襲撃についてはもう伝えられてる筈だけどリールーの心臓が止まった事までは知らないよ」
そして一緒に聞いていた叔母様が少し困った顔に変わる。
「……実はね。グランドリーフの王様と王女がジョナサンとエマちゃんの結婚式にお忍びで参加する予定だったのよ。それで予行演習も覗こうとしていたんだけど流石に放っておく訳にもいかなくてね? 義兄さんとレオボルトはその護衛、義姉さんも付き添いの形で一緒にいたのよ」
「え、そうなの? っていうかなんでお姉ちゃんと王様が?」
「……あのねルイーゼ。今回のジョナサンとエマちゃんの結婚ってこの国として見れば隣国の公爵家と自国の貴族の結婚でしょう? うちの家ってアーサーは王弟だし。言わば同盟関係にある隣国の、王家に連なる相手に自国の貴族が嫁ぐのよ? その上英雄一族な訳だから王族でも無視出来ない結婚式だって事、ちゃんと分かってる?」
「……そう言われてみたら確かにそうだけど……」
「そりゃあ当然、国王が参列しない訳にはいかないでしょ? だけどその所為で義兄さんも義姉さんもルイーゼに何があったのかまでは知らないままなのよねえ……」
叔母様はそう言うと物凄く深いため息をついた。だけどその話に今度は私の顔から血の気が引く。え、いやこれ、どうすれば良いの? 心臓が止まったって報告する? でもそんな事すればお父様とお母様がどんな反応を返すのか考えるだけで怖い。だけどじゃあ隠したままにすれば発覚した時に更に酷い事になるのは確実だ。そんなのもし逆の立場だったとしたら私でも絶対激怒する自信がある。だってマリエルの実家のグレフォールに行って溺死しそうになった時だって物凄く叱られたんだよ?
「……お、叔母様……どうしよう……」
「ん? 何が?」
「お父様とお母様、絶対凄く怒るよね?」
「え、何言ってるの。当然報告するわよ?」
「でも私もう回復しちゃってるじゃん!」
「そりゃ当然でしょ? 心臓が止まってたからフランク先生だって最優先で診てくれたし生死の境を彷徨ってるのに治療以外に優先させる事なんてある訳がないでしょう?」
「だけど! 私、もう普通に元気じゃん!」
「何言ってるの。まだ体力も戻ってないし予後観察中でしょ? 歩くのだってまだ覚束ないし全然健康になってないじゃないの」
「私の元気は普通の人の不健康なんだよ!」
うん、分かってる。自分がどれだけ支離滅裂な事を言ってるか。勿論叱られるのが怖いからって訳じゃない。お父様は叱らないかも知れないけどお母様は実際に心臓が止まったなんて言えば絶対心配処じゃなくなる。
私はいつもこんな風に心配させる事しか出来ない。これは絶対に死ぬ運命しか無かった私の宿命だ。最近は特に増えたけど幼い頃から死ぬ可能性は何度も経験してる。そんな中で今起きている事はきっと悪役令嬢である私が死ぬべき展開だらけだ。それを一々お父様やお母様に報告しても心配させるだけで解決する事は出来ない。面倒だと言う気持ちがないとは絶対に言えないけど解決するまで余り知られたくないのも本心だ。だって私はいつ死んでいなくなるかも知れない。変に期待させて裏切りたくない。
「――ルイーゼ。今回目が覚めた時に私に言った事、憶えてる?」
「……えっ? 私が叔母様に言った事?」
そんな時、突然叔母様が真面目な顔で私に尋ねる。目が覚めた時ってきっと心臓が止まってから蘇生して貰った後の事だと思う。だけどその辺りの記憶が物凄く曖昧だ。リオンの顔を見て、リオンが言った一言を聞いてやっと頭がはっきりしたんだもの。それまで自分がどんな風に起きていたのかもちゃんと憶えていない。自分の状態も自覚出来てなかったし。
「憶えてないのならそれでも構わないわ。だけどね、その時にルイーゼが言った事が小さい頃から今もずっと本心で望んでいる事だと思う。あんたは自分が思ってる以上に義姉さんを愛しているし、ずっと一緒にいたいと望んでる。だから私は義姉さんに全部話すつもりよ。例えあんたがどんな事情を抱えてどう考えようと、これだけは話さなきゃいけない事なのよ」
叔母様からそう言われて私は物凄く戸惑った。だって私、叔母様に何を言ったのか全然憶えてないしそれが私の望む事だって言われても全然分からないんだもの。だけどそれで押し黙っていると廊下の方から大勢の足音が聞こえてくる。それで部屋にいたエドガー、叔母様、エマさんとクラリスが顔を向けていると突然扉が開かれた。
そこにはお母様とアンジェリン姫の姿がある。だけどお母様は鬼気迫る表情でお姉ちゃんは青い顔だ。二人共ベッドの上で座る私を見つけた途端真っ直ぐ見てズンズン近付いてくる。その向こう側にお父様と王様の姿も見えて傍には礼服を着た騎士みたいな人の姿まである。きっと私の心臓が止まって騒ぎになった事が知られたんだと私はすぐ悟った。本人や身内じゃなくて第三者の報告で知るなんて最悪だ。もうどんな叱られ方をしたって文句一つ言い返す事なんて出来ない。流石に青くなって身を竦める。目を強く瞑っていると突然しっかり抱かれる感触があって私は驚いて目を開いた。
「……え……」
「…………」
一瞬何が起きたのか分からなかった。お母様は無言で私を抱きしめているだけだ。いや、その抱きしめる手が震えている。よく見るとアンジェリン姫はベッドの前で床にへたり込んでいる。そのすぐ傍にまでお父様と王様がやって来てため息が聞こえる。だけど二人は私に何も言おうとしない。ただ黙って私を抱き締め続けるお母様の背中をじっと見つめている。
私は状況が理解出来ずにその場でただ固まっていた。だけどお母様の吐息が途切れ途切れに震えているのに気付いてやっと声を押し殺して泣いている事に気付いた。その瞬間私は目を大きく開く。
声が出ない。胸の奥から込み上げてきて言葉にならない。熱だけが頭の先まで通り抜けて目からボロボロと涙が溢れる。いつしか私もお母様にしがみついて泣いてしまっていた。
私はバカだ。自分が死にそうな目に遭う事に慣れ過ぎて、実際に自分が死んでいなくなればどうなるかまで考えてなかった。なのに隠そうとか誤魔化す事ばかりを考えて、本当にもうどうしようもないバカだ。家族が、それも自分の大事な子供が死んで悲しまない親なんていない。クロエ夫人が自分の子供を物凄く可愛がっていた光景が脳裏を過ぎる。
本当に死ななくて良かった。生きていて良かった。こうしてお母様とまた会う事が出来て良かった。一番大事な事を思い出せて本当に良かった。
「……マリー、生きてる……良かった……」
床の上でヘナヘナと座り込んでしまったアンジェリン姫が呟いて涙ぐむ。それを聞いてやっとお父様と王様が深く息を吐き出すのが聞こえてきた。
「……全く、今回ばかりは本当に肝を冷やした。襲撃があったと聞いた時は驚いたが、まさかこんな事になっていたとはな……」
「ええ、陛下――騎士、セルジュ・ディラン。今回は礼を言うよ。伝えてくれて本当に感謝する。貴殿が教えてくれなければこんな事になっていたと気付く事も出来なかった。いやはや、これでは親失格だな」
「……あ、いえ。自分は閣下のお嬢様に命を救われましたので。そのお礼を述べさせて戴いただけで、ご存じ無いとは思っておりませんでした」
お父様は後ろに控えていた騎士に話し掛ける。あの時、私が咄嗟に助けた騎士だ。平服で甲冑姿じゃないから全然分からなかった。片手で脇腹を押さえているのはまだ怪我が治っていないからだろう。
お母様は今も私を抱き締めたままだ。私はそんなお母様をしっかり抱き返したまま赤くなった目を閉じて甘えるみたいに頬擦りした。