22 王女の真意
何とか気が済んだらしいアンジェリン姫から解放されて私とリオン、それに彼女は制服を受け取って宿舎に向かっていた。
どうやら本当に準生徒として入学していたらしく彼女の制服の意匠は私の物と全く同じだ。アカデメイアは年齢で学年が決まる訳じゃない。あくまで年齢は推奨であって特に貴族女性は遅れて入学する事も多いらしい。これは男性と違って女性は比較的早い段階から婚約や結婚する為だ。だから式を終わらせた後に人妻になってから入学する事も割と多いみたいだった。
「……そう言えばアンジェリン様はお幾つなんですか?」
男性から女性の年齢を聞くのは失礼とされるけど同じ女の私が尋ねれば問題無いだろう。それにまだ生徒同士だし。だけど私が尋ねるとアンジェリンは頬を膨らませて如何にも拗ねていますと言わんがばかりに不満そうに答えた。
「もう! どうしてマリーちゃんは私をお姉ちゃんって呼んでくれないの? 従姉妹なんだからもっと砕けた感じでも構わないでしょう? それともまだ交流が足りないのかしら?」
そっちか! と言うかこれ、脅されてる? 王族と公爵家は確かに親戚だけどここまで親しげにされるとちょっと怖い。
「……アンジェリン、お姉ちゃん……」
「はい! なあに?」
「ええと……お姉ちゃん、は何歳なの……?」
「私? 私は今、十四歳よ?」
「……え……」
それを聞いて私は愕然として立ち止まってしまった。十四歳でもうこの胸? 何これ、王族って化け物なの? 思わず私は自分の胸元を押さえてしまう。その様子に王女は笑った。
「あらー、大丈夫よ? マリーちゃんももう少ししたら大きくなるわ。だって同じ血筋なんですもの。クレメンティア叔母様だって大きいでしょ? それで私も随分救われたのよ?」
「……因みにお姉ちゃん、はいつ位から大きくなったの?」
「私? そうねえ、十一、二歳くらいから?」
……全然救いにならない。私、今まさに十二歳なんだけど。
それに別に私が大きな胸になりたい訳じゃない。これは単に貴族の娘に求められる素養だ。豊満な胸は母性の象徴で美徳とされている。きっと子供に授乳する印象が強い所為であって別に性的な意味で求められている訳じゃない。私自身が望んでいると言うよりお母様に恥をかかせたくないだけの話だ。
だけどそんな事を考えて廊下を歩いていると不意にアンジェリンの声が真面目に変わる。
「だけど……マリーは本当に聡い子ね」
「……えっ?」
さっきまでちゃん付けで呼ばれていたのに突然真剣な口調で私は思わず隣を見る。さっきまでの単に優しそうだったアンジェリンの表情が王族らしい物に変わっている。まるでお母様が若い頃の姿を見せられているみたいだ。
「だって――知人を作れば不味いと分かっていたから真っ先に教室を飛び出したのでしょう? それは正しいわ。例えアカデメイアとは言えど知人になれば無意識にでも利用する手合いが現れる物よ。それが王家に次ぐ公爵家の姫ともなれば王族より取り入り易いと考える輩もいますからね」
それを黙って聞いていたリオンが驚いた様子に変わる。
「え、それは……勝手に名前を出して好き放題にするって言う意味ですか? 知らない処で勝手に名前を使われて責任だけを背負わされるって言う?」
「あら、リオンも分かっているのね。そうです、特に貴族の女はそう言った手法をよく使うのよ。高位の者が後ろにいると喧伝出来ればその権威を利用出来ますから。懇意にすると言う事はその者を信用する事になってしまうのです。そして信用を得た者がやった事の責任は全て私達の所為になってしまうのよ」
「それって……本当の話だったのか……」
「殿方は余り好まないやり方ですけどね? でも女はそうじゃないの。結婚すれば夫の権威を、懇意の相手の権威を利用するのは普通の事なの。私やマリーもそうでしょう? 王や公爵の娘だから周囲は大事にする。だけど私やマリーは権威を持っていません。その後ろにある物に皆は敬意を払うのよ」
アンジェリンの話は凄く分かり易い。私が何と無く思っていた事をはっきり理由を言われて流石王族だと思った。結婚して夫の権威を使うって確かにその通りだ。これは基本的に家督を継げるのは男性だけで女性は上流貴族と結婚するだけで立場が大きく変化する。『玉の輿』と言う本来の意味そのままだ。
「――だけど流石イースラフトの公爵家ね。そんな事まで教えていらっしゃるだなんて、流石は英雄一族の末裔だわ」
「えっ? あっ、違うんです。これは全部リゼ――マリールイーゼが予想していた事で……だけど聞いていましたけど実際にそんな事があるだなんて思っていませんでした」
だけどそこでリオンが余計な事を言った。アンジェリンは目を丸くして私を凝視する。
「……えっ? 予想した? え、クレメンティア叔母様から教えて貰ったのではなくて、マリーが自力で考えたの?」
「叔母さんからは教わってない筈です。だってマリールイーゼがうちへ静養に来たのは四歳の頃でしたし、うちの母は英雄家の直系なのでそこまでは教えていないと思いますから」
なんでリオンは言っちゃうかな。王族って一見優しそうでも実は怖い人が結構多い。英雄一族の現状を見ればそれは一目瞭然で力がある存在を国に縛り付ける事を優先する。例えばうちの場合はお父様の元にお母様、姫君を直接嫁がせているし。
だけどアンジェリンはホッとした顔で私に笑い掛けた。
「――そう。それだけ自分で考えられるのならば私が気を回す必要なんてなかったわね。本当にマリーは聡い子だわ……」
「……えっ?」
それは本当に小さな声で独り言ちる様だった。だけど私にはそれがまるで私を守ろうとしてくれたお母様みたいに見える。
「あの、もしかしてアンジェリン様は……」
「……マリーちゃん。お姉ちゃん、でしょ?」
「え、あの……お姉ちゃんが私と同じ時にアカデメイアに入学したのって、もしかして……」
だけどアンジェリンは優しく笑うと私を抱き寄せる。さっき程勢いのある感じじゃない。そっと大事な物を慈しむかの様で私は彼女の胸に顔を埋めながら物凄く後悔していた。その後悔が間違っていなかった事を証明する様に彼女が耳元で囁く。
「……大丈夫よ? 叔母様にマリーちゃんの事をお願いされているから。本当にもう、こんなに美人さんなのに賢いだなんてマリーちゃんは凄いわね。私より賢いんじゃないかしら。でも何かあったらお姉ちゃんに言うのよ? 守ってあげるから」
彼女は王族で本当に嘘をつくのが下手だ。誤魔化したい時は愚かなフリで甘やかした言い方をする。お姉ちゃんはお母様の姪で王族より私の従姉妹である立場を優先してくれてたんだ。
なのに私は王族と言うだけで疑いの目を向けた。彼女は私を守ろうとしてくれる側の人なのに疑った。それが本当に悔しくて自分が許せなくなる。きっと今の私は本当に嫌な子だ。
「――あ、そうだわ。二人共まだ教練書は受け取っていないのでしょう? なら私がまとめて貰ってきてあげる。こう見えて私、力は……無いけど大丈夫。ちゃんと持って来れるからね」
お姉ちゃんが不意にそう言う。私は交換票を取り出すと顔を見返す事も出来ないまま差し出された手に手渡した。
「……お姉ちゃん、ありがとう……」
そう言うのが精一杯だった。だけど俯いた私の耳に嬉しそうなアンジェリンの声とリオンのやり取りが聞こえてくる。
「……あ、じゃあ僕も行きます。本は重いでしょうから」
「あら、大丈夫よ? それにリオンくんはマリーちゃんをちゃんと守ってあげないとね? 英雄はお姫様を守るものよ?」
「はい……分かりました。アレクトーの名に誓って」
「うふふ、じゃあ先に食堂に行って待っててね? 今日はもう予定がない筈だから、一緒にお茶を飲みましょう?」
そして彼女は立ち去っていく。その後ろ姿にやっと顔を上げられた私に隣にいたリオンが話し掛けてきた。
「――リゼ、勝手に色々話してごめん。だけどあの人は本当にリゼを心配してた。僕、あの人は信用しても良いと思うよ?」
「……うん、分かってる。リオンの魔法、だよね?」
私は自分が死にたくないばかりに大事な物まで遠避けようとしていた。きっとこれを失くせば本当にただの悪役令嬢だ。
「……私、もっと素直にならなきゃ。疑ってばかりだと本当に嫌な子になっちゃう。信じられる人は信じないと……」
私がそう言うとリオンは苦笑して私の頭を撫でる。こう言う処が「自分の方がお兄ちゃんだ」と言ってるみたいなんだけど何も言わずに素直に撫でられる。
「そうだね。だけどリゼは取り敢えず僕の言葉をもっと信用すべきだよ。リゼは本当に可愛いから皆興味を持って当然だよ」
「う……それについては……善処します……」
リオンは私が否定した事を根に持っているらしい。だけどこのタイミングでそんな事を言われたらとても言い返せない。
私は彼に手を曳かれて食堂に歩いて行った。