216 アカデメイア襲撃
あれから私は薔薇のジャムと肌水を作りまくった。それはもう、気が触れたみたいにひたすら。自分の作った物が他人から評価されると言うのは思っていたよりも嬉しい事だった。蜂蜜の配合を変えてみたり他の果物の実を混ぜたり。もうこのままジャム屋さんが開けるんじゃないかってレベルでバカみたいに作りまくっていた。
そうなれば当然材料が足りなくなる。かなり集めた筈の薔薇の花びらも残り少なくなって仕方なく私は再び庭園に赴く事になった。
あの事件の後も騎士団はアカデメイアに常駐している。元々国の施設で子供達が集まる場所なのに護衛がいなかった事が問題視されて、このまま今後も騎士団が警護につく事になったらしい。生徒側から見れば卒業した先輩の話を聞けるメリットもある。特に騎士団への入団を希望する男爵家の子息達にとってはこれ以上ない相談相手だ。それにそれまでは剣術を学ぶのも個人でする生徒が多かったけど最近は剣技場で教えを乞う生徒達が大勢やってきているらしい。エドガーも大忙しだけどとても楽しそうだ。
そして私が庭園に行くと、そこには騎士が二人いた。きっと以前タニアが捕まった場所だしここも巡回する様になったんだろう。それで特に何も考えずに薔薇の花びらを集めていると騎士の一人が声を掛けてきた。
「――すまない。君は……ここの使用人か何かなのかな?」
「あ、いえ。違いますけど……」
そう答えて初めて私は髪をまとめていた事を思い出す。ジャムや肌水を作る上で長い髪は邪魔だし衛生的にもまずいから調理用の頭巾で覆っているんだけど、そのままの格好でやってきてしまった。それにたった一人で庭園に来てる時点で使用人と思ったのかも知れない。まあでもこの後もまたジャムを作る訳だし髪を上げると首筋が涼しいから別に良いよね?
「ふむ? それじゃあ……君は一体?」
「あ、えっと……私はアカデメイアの一年生です。今はジャムを作る為に教導官の先生に許可を戴いて花びらを採りにきました。丁度今は薔薇のジャムを沢山作って色々試している処ですから――」
そこまで言い掛けて私はふとおかしい事に気がついた。
――あれ? なんか変な感じだ。生徒の中にはまだ私をちゃんと知らない人もいるけど騎士団ならタニアを捕まえた経緯で私の事を知っている人が結構増えている筈だ。それにレオボルトお兄様が合流した事で私の知名度は騎士団の中では結構高い。なのにこの人達は私を知らないみたいだ。
「それで……君は何と言う名前なのかな?」
「ええと、私はマリーです」
まあこう言う時は適当に答えるに限る。元々私は余り目立ちたくないし公爵家の娘と知られるとそれだけでトラブルも増えるし。どうせこの場で会ったばかりの相手だし今後私と出会う事だって無いだろう。それで適当に名前を告げる。マリーって名前は物凄く多いし私も愛称で答えてるだけだから嘘をついてる訳じゃない。
「そうか、マリーさんか。申し訳ないんだが私達はここに新規配属されたばかりでね? まだ構内の配置がよく分かっていないんだ。もし良ければ騎士団の詰め所まで案内して貰えないだろうか?」
……あれあれ? それも何だか変だ。だってアカデメイアに配属される騎士団は基本的に元生徒の卒業生で構成されている。確かに詰め所の場所は分からないかも知れないけどそれで庭園に入るのはおかしい。だけど私は騎士団について詳しく知らないし判断出来ない。取り合えず変に思われない様にして他の騎士の人達がいる処まで行けば大丈夫だろう。そう考えて私は素直に『構いませんよ』と答えて二人を先導する事になった。
今常駐している騎士団の詰め所はエマさんが結婚式を挙げるホールのすぐ近くで今はリハーサルをしている筈だ。レオボルトお兄様とその親戚のジョナサンは騎士団の人達と仲が良い。仲間のジョナサンの結婚式と言う事もあって参列する人が殆どだ。警備の仕事があるから詰め所が近くて都合が良いと騎士達が談笑しているのを聞いた事もある。それにもし途中で他の巡回の騎士と会えばそこで引き継げば良いし怪しい気はするけどそれで問題があれば騎士の人達だって反応する筈だ。だってここに来る騎士団は皆、元生徒だし顔見知りである可能性がかなり高い。
ホールの見える処までやってくると丁度ジョナサンとエマさんが表に出て進行役の教導官の先生と打ち合わせをしているのが見える。きっと天気が良ければホールじゃなくて屋外で挙式を挙げる予定なんだろう。二人は本番と同じく白いスーツとドレス姿だ。流石に化粧まではしていないけど本番を意識した服装で陽光の下できらきら輝いて見える。
エマさんは本番のドレスじゃないのに凄く綺麗だ。少し恥ずかしそうにしながらも嬉しそうできっと今が幸せ一杯なんだろうな。思わず足を止めて眺めていると、そこに巡回中らしい騎士が一人で近付いてきた。きっと詰め所のすぐ近くでリハーサルを見ていたんだろう。
「――ジェラール! お前、ジェラール・ベラニーだろ?」
そう言って騎士は私に話し掛けてきた人に声を掛ける。あれ? もしかして知ってる人? なんだ、全部私の思い過ごしかあ。それでホッとしていると近付いてくる若い騎士にさっきの男の人が親しげに返事をした。
「ああ、お前は……セルジュ・ディランか?」
「そうだよ! 随分久しぶりだな! 元気にしてたのか?」
「ああ、まあそれなりにな。お前の方はどうなんだ?」
「俺は騎士団に入ってやっと役に立てる様になり始めた位だ。それでジェラール、今何をしてるんだよ? 音沙汰無くて皆心配してたんだぜ?」
だけどセルジュと呼ばれた若い騎士が尋ねるとジェラールと言う男の人は妙に優しい笑顔に変わった。その瞬間私の視界が紫に染まる。私は手に掴んでいた籠を放り投げる。薔薇の花びらが空中に舞う中で私は騎士の腕を両手で掴んで引っ張った。だけどダメだ、全然間に合わない。甲冑姿の成人男性を引き寄せられる程私には力がない。
「そりゃあ今は――お前らの敵さ」
その言葉と同時にいつの間にか掴まれていた短剣が飛び出した。それは騎士セルジュの脇腹を貫く様に突き出される。ダメだ、このままだとこの騎士さん、死んじゃう――そう思った私は咄嗟に身体を捻って半ば無理矢理騎士の身体を巻き込んだ。
そのお陰で何とか刺される刃が脇腹の端にまで外す事に成功する。だけど怪我は避けられない。そのまま男が突き出した刃は騎士の脇腹の端を貫く。結局騎士は死なずに済んだものの地面の上で座り込んで脇腹を押さえる。激痛を堪えながらも騎士は友人だった筈の男を見上げて苦しそうな声をあげた。
「……っくっ……な……ジェラール、お前!」
「はは――そこの白い服の男がイースラフトの英雄だ! やれ!」
ジェラールと呼ばれた男がすぐ後ろにいたもう一人に声を掛ける。その瞬間肘から指先程の長さの剣を取り出してジョナサンとエマさんに向かって駆け出すのが見えた。ダメだ、止めないと――そう思って慌ててその後を追い掛ける。そんな処に腕が伸びてきてジェラールは私の髪を掴もうとする。
だけどその手は私の紫の視界の中で空を切る。髪を覆っていた頭巾だけが剥ぎ取られて束ねていた長い髪が勢いよく広がった。それでも構わず二人の元に駆け出す男の背中を追い掛ける。だけど元々体力がない私が大人の男の人の走る速さに敵う訳がない。どんどん引き離されていく。そんな私の背後から声だけが追いかけてきた。
「な……赤い金髪だと⁉︎ と言う事は……お前が英雄の娘、マリールイーゼか!」
その声に私は顔を歪める。そうか、これもやっぱり私の所為なんだ。きっとこの人達は私をどうにかする為にやってきた。だけど今はそんな事を考えている場合じゃない。早く止めないと。じゃないとエマさんが――。
私の紫の視界では目の前で起きる出来事が少しだけ先に見えていた。ジョナサンは驚きながらエマさんを庇う様に立つ。だけど腰に手を伸ばしてもそこに剣はない。焦るジョナサン。だけど短剣を手に持った男がどんどん近づいていく。それを見たエマさんは一瞬躊躇するものの、突然ジョナサンに抱きついた。そう――まるで自分の身体を盾代わりにするみたいに。
ダメだ、ダメだ絶対。そんなの許せない。そんな通りになる事だけは我慢出来ない。だけど実際の姿が先に見えていた残像をなぞって追い付いていく。結局、私は何も止められなかった。
私の目の前でエマさんの背中に短剣が勢いよく刺される。白いドレスの上に赤い染みが出来てどんどんと広がっていく。エマさんの細い身体を呆気なく鋭い刃が貫く。まるで自分から背中を預ける様にエマさんはジョナサンの身体を押した。その顔には少しホッとした笑みが浮かんでいる。だけどエマさんの身体を貫いてお腹から尖った刃先が飛び出す。エマさんの口から赤い雫が流れてそのまま彼女が崩れ落ちるのが見えた。だけど……エマさんはそのままぴくりとも動かない。白いドレスの上に赤い染みだけが広がって朱色に染まっていく。それはもう私の未来視じゃなかった。いつもと同じ、普通の色の世界の中でエマさんはもう動かない。
「……お、おおおおおおおおおおおッ‼︎」
そのすぐ後に慟哭とも激昂とも分からないジョナサンの声が聞こえる。それは私が何も未来を変えられなかった証明みたいに頭の中で響いた。