215 結婚式の準備
七月も終わり八月になる頃、ジョナサンとエマさんの結婚式が執り行われる事になった。特に仲が良かったルーシーや準生徒組、それに後で合流した面識のある新規生組は全員招待されている。他にはエマさんの同級生で親友のカーラさんとソレイユさん。アレクトー家からお父様とお母様、レオボルトお兄様、私。イースラフト側からはエドガーとクローディア叔母様が参加する事になっている。今回は特に親しい関係者だけという事でアーサー叔父様は来ずに後日イースラフト側でも成婚式を行うそうだ。
「だけど……マリールイーゼ様、本当にありがとうございます」
「はい? 何がですか、カーラさん?」
準備の手伝いで忙しい中、カーラさんがそう言って来た。最近は事件もないし平和そのものだ。結婚式ではあの薔薇の庭園も使うらしい。以前に作った薔薇のジャムで味を占めた私は掃除を手伝いながら薔薇の花びらを集めて回っている。クロエ夫人からもあの後連絡が来てジャムと肌水の評判は上々だ。なら丁度咲いている今作ってエマさんにプレゼントしたい。
私が一体何の事か分からず首を傾げると今度はソレイユさんが笑う。
「そりゃあエマを後押しして下さった事です! あの時、私達が何を言っても虚ろで生返事ばかりでした。それがまさかマリールイーゼ様がお話をして下さってすぐに求婚を受ける事にするだなんて凄いですわ!」
そう言われても私だって特に凄い事は言ってない。ただ単純にエマさん自身、私が公爵家令嬢だって事を失念していただけだ。それを思い出させたら緊張が一気に解けたみたいだし、何よりもジョナサンがリオンのお兄ちゃんだって事もちゃんと把握出来てなかったらしいしね。
だけどふと疑問が湧いてくる。そう言えばエマさんはカーラさんとソレイユさんと一緒に王宮で侍女として働くのを目指していた筈だ。エマさんが結婚となればそれこそ永久就職になるし多分イースラフトのアレクトー家に行く事になるから頻繁に会えなくなっちゃう筈だ。
「……お二人はあれですか? 羨ましいとか妬ましいみたいに思われる事ってないんですか?」
「まあ。マリールイーゼ様ったら随分直接的にお尋ねになりますのね」
「まあでもそう言われると少し複雑なのも事実なんですけどね?」
「そうなんですか……複雑ってどう言う感じです?」
「え、そりゃあ……先を越されて悔しいとか? 私もソレイユもまだそう言うお相手がいませんし。どちらかと言えば羨望という感じですわね」
「ええ、それにエマが気に入られたのはエマの普段の努力の賜物ですから私達がどうこう言えません。エマは素直で真面目で、とても優しい気質ですし。親友が隣国の公爵家に嫁ぐ事が何よりも自慢出来る事ですのよ?」
そんな風に笑って言う二人に私は感慨深く思っていた。最初に見た二人は余り良い印象がない。だけど貴族令嬢って実は余りオープンな付き合いをしない物だ。私は公爵家の娘でそう言う付き合いには詳しくないけれど貴族には貴族の派閥がある。要するに仲良しグループの中に余り仲の良くない派閥の令嬢が入って情報を横流しする事もあるそうだ。
例えば貴族令嬢の派閥ではファッションや流行について独自の情報網を持っている事が多い。舞踏会に参加する時とかドレスの流行とか誰もが気にしていてその情報を他グループに流されると困る事もある。これは実際に過去にもあった事らしくて奇抜なデザイン、例えば胸元が大きく開いたドレスとかうなじを見せるデザインはそれを普及させた令嬢達に注目が集まる。社交界に於いてそう言うイニシアティブを取るのは必須条件だ。
そう言う意味でカーラさんとソレイユさんは別にエマさんを嫌っていた訳じゃなくて、単に良く知らない令嬢だから一線引いていただけだ。私はそう言う令嬢の危機管理は無縁過ぎて理解するまで大変だったけどね。
でも逆に言えば令嬢は信用すれば本当に打ち解ける。警戒心が強い反面それさえ乗り越えると本当に仲良しになるのだ。考えてみればセシリアとルーシーも最初はそんな感じだった。それが今では立場を超えて容赦ないツッコミを繰り広げられる親友なんだから人間関係って本当に不思議だ。
そうして話していると正門から馬車が入って来るのが見えた。この辺りで余り見掛けない意匠だけど私には見覚えがある。もしかしてと思って止まった馬車に近付いていくと中から出てきたのはクローディア叔母様だ。
「――叔母様!」
「あら、ルイーゼ! 久しぶりね!」
「お久しぶりです、叔母様!」
「随分大きく……なってないわね? 前に来た時と変わってない?」
ひっでぇ……でも以前婚約式に来てくれた時から半年位しか経ってないのに懐かしい気がする。たったそれだけの間に事件が起き過ぎた所為なのかも知れない。それで叔母様に抱きつくと叔母様も抱き返してくれる。
「だけど叔母様、今回は随分遅かったね。まあそれでも式まではまだ少し日数の余裕はあるけど。何かあったの?」
「ああ、実はちょっとね?」
「うん? ちょっと、って?」
「イースラフトと仲が悪いドラグナンって国は知ってる? その国から大勢の商人や旅人がうちの国に流れてきてちょっと問題になってるのよ。どうもドラグナンで揉め事が起きてるらしくてね。その所為でイースラフトの関所を通るのに随分待たされちゃったのよねえ」
それを聞いて私は思わず叔母様の顔を見上げる。ドラグナンと言えば昔トロメイア戦役って言う酷い戦いでイースラフトに戦争を仕掛けた国で、あのベアトリスの亡命先と言われている。今も仮想敵国とされている状態で動向についても凄く警戒されている。その動向がきな臭いと聞いて心配にならない筈がない。
「……大丈夫なの、叔母様?」
「まあ大丈夫でしょう。イースラフトも入国審査を厳しくしてるからその皺寄せが起きてるだけだし。それよりエマって子、この前に見た大人しくて真面目そうな子よね? 親御さんはもう来てらっしゃるのかしら?」
「まだ来てないよ。多分式の前日には来るんじゃないかな。私もエマさんのご両親にお会いした事はまだ無いからちょっと楽しみなんだよね」
「そっか……それでルイーゼ、その花びらだらけの籠はなあに? それって薔薇の花びらよね? 結婚式でばら撒いたりするの?」
叔母様は足元に置いた籠を見て笑う。それで私は拾い上げると中身を見せて答えた。
「ああ、これ……薔薇のジャムとか肌水を作ってエマさんにあげようかと思って。だけど花びらをばら撒くと後で掃除が大変な気がするよ?」
「まあ華やかにはなるとは思うけどね。だけどそっか、ジャムにするとは思ってなかったわ。ルイーゼは料理の腕、落ちてないみたいね?」
そんな話をしているとカーラさんとソレイユさんの二人が恐る恐る近付いてきて叔母様に声をかける。
「あの……以前お見掛けした事がありますが、新郎ジョナサン様のお母上でよろしいでしょうか?」
「ああ、はい。ジョナサンやリオンの母のクローディアよ。貴方達は?」
「私達はエマの友人で私はソレイユ、彼女はカーラと申します」
「どうぞよしなに」
「まあ、そうだったのね。それじゃあそのエマさんにお会いしてご挨拶をしたいのだけど紹介して戴けるかしら?」
「はい、喜んで!」
そして早速二人が叔母様を先導する形で建物に向かって歩き始める。
「……ルイーゼはどうする? 一緒に行くなら籠を持ってあげるけど?」
「え……あ、大丈夫。ジャムの事はエマさんに内緒だし。それにもう少し花びらを集めていくよ。リオンは厨房でお料理頑張ってるから」
「そっか。あの子、他人の感情が伝わり難くなるからって昔から料理ばかりしてたのよね。お陰で料理の腕ばっかり上達しちゃったけど」
まさかリオンが料理が得意なのってそんな理由があったとは思ってなかった。あれって英雄魔法が発動しない様に別に集中する為だったんだ。
「それじゃあまた後でね、ルイーゼ」
「うん、叔母様。お母様ももうすぐ来ると思うよ」
「そう、分かったわ」
それだけ言うと二人と叔母様は行ってしまう。だけど私はイースラフトにドラグナン王国から人が流れてきている話に少し違和感を覚える。でもここで考えても仕方がない。叔母様が知っていると言う事はアーサー叔父様も関わっている筈だしきっと何とかしてくれるだろう。
そんな風に気楽に考えて私は再び薔薇の花びら集めを再開し始めた。