213 模範的な貴族令嬢
ハイレット家から帰る道中、来る時と同じく伯爵家が出してくれた馬車の中で私は疲れ切っていた。
子供を相手にしていたリオンとクラリスは最後にクロエ夫人に挨拶しに行ったけどクラリスの人気は凄まじい。長男のアランはクラリスにべったりで離れようとしないし帰る直前には必死にしがみついてくる。結局また遊びに来ると何とか説得したものの懐かれる度合いが半端無かった。
「――だけどクラリスは子供に物凄い人気だったね。まさかあそこまで慕われてるとは思わなかったよ」
苦笑しながらリオンがぼやく。それでクラリスも首を竦めて笑った。
「小さな子は大人相手に伝えられない事が多いのですよ。だからちゃんと分かってくれる相手に凄く懐くのです。リオンお兄ちゃんだって大人気だったじゃないですか?」
「いやあ……アレってそうなのかなあ? 僕の場合力があるから二人位は抱き上げられるし。小さい子は抱き上げられるのが好きだよね」
「そんな事ないのですよ。お兄ちゃんの場合は姿勢が良いですから余計に格好良く見えるんじゃないですか? クレリアとマリエだけじゃなくてアランにも凄く懐かれてたじゃないですか」
そう言って二人は笑う。クレリアとマリエというのはハイレット伯爵の長女と次女でそれぞれ三歳と二歳の女の子だ。伯爵家は領地運営をしていて子供達も余り表に出る事がない。広いお屋敷の中で遊ぶ事が多くて表に出てもまだ幼いから庭園を駆け回る程度らしい。
だけど二人が子供を相手してる処に行った時は本当に驚いた。子供達は自由奔放に育てられていて余り貴族の子供らしくない。多分クロエ夫人の方針なんだろう。あの人は考え方が本当に古い貴族寄りだけど柔軟な考えも出来るみたいでテレーズ先生に凄く近い気がする。
「……それで? リゼは聞きたかった話をちゃんと聞けたの?」
「うん。あのクロエさんはベアトリスと一緒に偽装された遺体とは無関係だと思う。それにベアトリスの話を少し振ってみたけどあの人、コレットの事しか心配してなかったんだよね――クラリスはあの人とどれ位お付き合いがあるの?」
「え、私ですか? マリエちゃん――三人目の女の子が産まれるまでですね。なのでクロエ様が本当に伯爵様のお屋敷から全然出てなかった事の証人になれますよ。そんな余裕自体が無かったですからね」
「やっぱりそうなんだね。でもあの人が無関係で良かったよ。話を聞けたお陰でベアトリスがおかしくなったのが二年生になった後って分かったし」
そしてそんな私の言葉に今度はリオンが首を傾げる。
「……じゃあ問題は男爵家に偽装された焼死体が一体誰か、だね。それに二年生からそのベアトリスって人がどうして悪い方に走ったのか、だ」
だけど私はあのベアトリスが言ったとクロエ夫人が教えてくれた言葉を思い出して小さく呟いた。
「……それは……少しだけ、分かる気がするんだよね……」
「ん? 分かるって……どういう事?」
「あのベアトリスって昔は真面目だったらしいんだけど、コレットの件でこの世界に絶望しちゃったんじゃないかな。クロエさんは貴族らしいって言うか、凄くしたたかだと思う。伯爵家に嫁いで権力で無理矢理コレットを引き取る事まで考えてたんだよね。それ位気に掛けてたんだよ」
リオンとクラリスは私の言葉に僅かに目を伏せる。二人共コレットの境遇は知ってるしクロエ夫人が考えた事が理解出来るんだろう。そして少し沈んだ空気の馬車の中で目を伏せたクラリスが少し微笑んで呟いた。
「……やっぱりクロエ様は凄いです。とても貴婦人らしい考え方ですね」
そしてリオンも頷いて口を開く。
「……そうだね。僕やリゼはアレクトー出身だからそう言う必要が無くて忘れがちだけど世間の貴族、特に女性はそう言う方法以外に目的を達成する手段が無い。きっとクロエ夫人も、だから伯爵家に嫁いだんだろうね」
「私もそう思った。まあでもあの人の場合、伯爵家に嫁ぐ一手で四つ位は狙ってたっぽいけど。いやもう本当に怖いよね、貴族令嬢って……」
いやもう、本当にね……テレーズ先生が普段から良く言ってる事を実践して見せられた気分だ。多分私って貴族令嬢として必死さが全然足りて無いんだろうなあ。今なら先日のテレーズ先生の話も理解出来るしルーシーが裸でバスティアンのベッドに潜り込んだ動機も理解出来る。最初から覚悟が決まってるから躊躇しない。そうしないと望む事が一切叶わない。
だけど私がしみじみと考えていると呆れた様子でリオンがぼやいた。
「……いや、リゼも貴族令嬢なんだけどね?」
「うっ……いやいや、私はもう令嬢もどきでいいよ……」
「いやいや、リゼがそう思っても世間はそう思わないんだよ。だってリゼが何をどう考えていても公爵家令嬢って立場は変わらないんだからさ?」
あ……これダメな奴。馬車の中が不穏な空気に変わる。目の前のクラリスのジト目が怖い。このままだとまた叱られるパターンだ。ここは無理矢理にでも話題を変えないと――そんな事を思っているとクロエ夫人の処で見た光景が脳裏を過ぎる。それで私は何も考えずに口を開いていた。
「――でもさー。私もリオンと結婚して、いつかあんな赤ちゃんを産む事になるのかなあ? 自分がお母さんになるって全然想像出来ないなあ」
その瞬間馬車の中がシンと静まり返る。さっきとはまた別の意味で緊張した空気へと変わる。え、あれ? 変だな、何この流れ? 別に私、変な事は言ってない筈だよね? え、あれ、なんで? そう思ってキョトンとしているとクラリスが凄く満足そうな顔になってリオンに話し掛ける。
「……リオンお兄ちゃん、良かったですね! 今回はクロエ様の処にお話をしに行って大正解でした! まさかこんな事になるなんて!」
「……へ? え、クラリス、一体何を言って……」
「まさかお姉ちゃんがお兄ちゃんとの結婚を意識して、赤ちゃんを産む事まで視野に入れる様になっただなんて! これまでのお姉ちゃんと違って凄く積極的になってますよ!」
「……あっ⁉︎」
「いやーでもこれでお爺ちゃんに報告出来ます! 伯爵様を紹介して貰ってクロエ様とお話して、まさかこんな風になるなんて! 私も全然予想してませんでした! 私もお爺ちゃんに叱られた甲斐がありました!」
「ちょ、いや、クラリス⁉︎ フランク先生巻き込むの、ほんとに止めて?」
クラリスが煽る煽る。と言うかこれ絶対わざとだ。普段なら魔眼を使って私がお茶を濁す為に言った事が分かる筈なのにこういう時に限って魔眼を使おうとしない。というかこれ、絶対意図的に使ってないよね! なんでこういう時に限ってそう言う絡め手を使ってくるの⁉︎
そして私は恐る恐る隣のリオンを見た。リオンは頬を赤くしたまま俯いて何も言おうとしない。目線を私と合わせようとすらしない。
「ちょ! リオンもなんで頬染めて俯いて黙ってんの⁉︎ こういうのって普通は『そうだね』とか言って流すモンでしょ⁉︎」
「……え……いや……その……なんか、ごめん……」
「だから! 何で顔を赤くしたまま謝るのよ⁉︎」
「……ごめん……ちょっと……むり……」
結局クラリスに煽り倒されて、リオンは無言で顔を背けて。何だかそう言う事にされてしまった。この後も時々クラリスはこの時の事を蒸し返して色々迫ってくる様になった。
そして全ての問題が解決した後もこの時のやり取りが取り沙汰されて色々と厄介な事になるとは、この時の私は知る良しもなかった。
……と言うか私の英雄魔法、ちゃんと仕事しろよ……。