21 この人、誰?
制服の支給は原則的に学校の支給部に赴く事になる。これは例え上流貴族出身の準生徒がたった八人しかいなくてもわざわざ届けてはくれない。これは何かを買う練習でもあるからだ。
勿論最初の制服支給は交換票を持っていけば無料で貰えるけどそれ以降は学校だけで使える金票が毎月決まった分だけ支給されるからそれで購入しないといけない。実家で贅沢三昧だったからと言って同じ事をすればあっという間にお金が足りなくなってしまう。流石に食事は無料だけど基本的にアカデメイアは貴族の子供達に社会経験を積ませる為の場で上流下流に関係なく生徒全員が決まった額の金票以上は貰えない。
「……リズ、制服の交換票は忘れてない?」
「うん、大丈夫。だけど上手くいって本当に良か――」
リオンに尋ねられて答えようとした時、不意に「避けなきゃいけない」と言う考えが浮かんだ。これは例の私だけが使える英雄の魔法、感覚的な『未来視』だ。だけど実際は知ってから対処する様な物じゃない。どちらかと言えば躓いた時に咄嗟に手をついてしまうのが近くて『直前予知』と言う方がしっくりとする。
兎も角、私は本能が命ずるままに足を一歩出してくるんと身体を一回転させた。足を交差させてから回る、いわゆるクロスターンと呼ばれるダンスの技法だ。スカートが回転でふわりと膨らんで私はさっきまで自分のいた処を見る。するとそこに女性がいて腕を空振らせるのが見えた。
「……え? あれ、マリーちゃん?」
「え……誰?」
彼女は私を後ろから抱き竦めようとしていたらしい。だけどそれより早く私が避けた。一体誰なのか分からなくて咄嗟に反応出来ない。そんな処でリオンが私に耳打ちしてくる。
「……リゼ、この人……さっき僕らの隣の方で座ってた人だ」
「え、じゃあ……同じ準生徒? さっきの?」
だけど同じ準生徒にしては行動が不審過ぎる。見ず知らずの相手に抱きつくなんて例え女同士でも失礼な行為だ。私と同じ考えに至ったらしいリオンは私と彼女の間に割って入ると遮る様に立ち塞がってくれる。そんな彼の腕にしがみ付いて隠れたまま私は相手を観察していた。
確かに教室にいた人だ。誰とも組まずたった一人で座っていた、あの妙に既視感のある女の子だった。女の子、とは言っても明らかに年上のお姉さんだけど、やっぱり何処かで見た様な気がする。だけど何処で見たのか思い出せない。
「……あの、あなたはどなたですか?」
私が尋ねて彼女はやっと名乗っていなかった事に気がついたらしい。口元を押さえて「あっ」と小さい声をあげると彼女は申し訳なさそうに苦笑して頭を下げた。
「えっと、ごめんなさいね。そう言えば私、マリーちゃんとは初対面だったわ。私はアンジェリンよ。どうぞよろしくね?」
「……はあ……」
だけど待っていてもそれ以上続きが無い。ここは貴族の学校だから名乗ると言えば個人名だけじゃなくて家の名前と爵位も告げるのが常識だ。
彼女は目を細くしながら首を傾げて優しそうに笑う。それを見て私はやっと彼女が誰に似ているのかに気付いた。
「……あれ? この人……お母様に、似てる……?」
「えっ? あ、そう言われると少し叔母さんに似てるね?」
だけどもうこの時点で私は嫌な予感しかしない。お母様の血縁者ならさっき所属を名乗らなかった理由もわかる。お母様の血縁者――つまり彼女はグレートリーフ王国の王族と言う事になる。
王族は自国内では名前しか名乗らない。だって王国領土は全て国王陛下の物であってそこに住まう全王国民は貴族平民を問わず暮らす事を許可して貰う立場だ。家主の娘が店子に名乗る時に苗字を言わない様な物だ。特に貴族は王族の名前を知らない時点で不敬と言われても何も言い返せない。
クローディア叔母様は色々勉強を教えてくれたけどこの国のロイヤルファミリーについて教えて貰ってない。叔母様は隣国の公爵家で他国視線で語っても仕方ない。それに私は四歳の頃にお母様から最初の授業直後にすぐイースラフトの叔母様の元へ行ったからまともにこの国について教育を受けていない。
「そうそう、クレメンティア叔母様はお元気? マリーちゃんが静養に出てから塞ぎ込んでたって聞いたんだけど……」
私やリオンの言葉を聞いて彼女――アンジェリンはそう尋ねてくる。やっぱり彼女は王族で確定だ。お母様の事を叔母様と呼ぶ、という事は……この人はシルヴァンのお姉ちゃん?
「……はい、あの……すみませんけど、アンジェリン様はシルヴァン王子の姉上様、なんでしょうか?」
「そうよ。クレメンティア叔母様はお父様の妹姫なの。だから私とマリーちゃんは従姉妹なのよ。だから敬語じゃなくてもっと親しく慕う感じで『お姉ちゃん』って呼んで欲しいな?」
そう言うとアンジェリンは私に近付いて今度は正面から抱きついてきた。リオンも相手の正体が分かった所為か反応に困っている。そしてやっぱりこの人、胸がでっかい。流石はお母様と同じ血筋なだけはある。と言うか……この人、誰? 私の記憶にはシルヴァンにお姉さんなんていないんだけど。まあ私が知らないだけで設定があった可能性はある。
それで私が揉みくちゃにされているとアンジェリンの手が今度はリオンにまで伸びる。
「え……うわ、何するんです、やめてください!」
「リオンくんはアレクトーの親戚なんでしょ? なら私の遠い親戚って事じゃない。つまり私はリオンくんにとっても親戚のお姉ちゃん、って事よね? ほら、仲良くしましょうね!」
「ちょ、ちょ、リゼ、助けて!」
「……無理。むしろ私を助けて……」
結局私達は二人仲良く抱きすくめられてしまった。リオンは顔を赤くしながら隣の私に助けを求めてくる。だけどそれは私も同じで逃げたいのに逃げられない。考えてみたら私の周囲にいる女の人ってこう言うタイプはいなかった。リオンにしても叔母様と私のお母様位しかまともに接していない筈だから余計どうすれば良いか分からないんだろう。
「あーもう、二人とも本当に可愛いわ! シルヴァンみたいに生意気じゃないし! このままお持ち帰りしたい位よ!」
「ひ、ひぃぃぃ……」
「ちょ、も、もう、やめてください!」
「だーめ。可愛い弟や妹を可愛がるのはお姉ちゃんの役目ですからね!」
ついには頬擦りまでしてくる。結局アンジェリン姫の抱擁はしばらくの間終わる事はなかった。