208 真面目な少女時代
「――それでマリールイーゼ。私に聞きたい事とは何ですか?」
「先生、ベアトリス・ボーシャンはどんな生徒だったんですか?」
孤児院から帰って私はすぐテレーズ先生の元に赴いた。まだ陽は落ちていない。夕刻の夕焼けの光が部屋の中に差し込んで真っ赤に染まる。
「……そうですね。彼女は正規生一年の頃はとても真面目でしたよ」
「じゃあ先輩が狡い事をする様になったのはその後ですか?」
だけどそう尋ねると先生は少し複雑そうな表情になった。
「……マリールイーゼ。元々あの子、ベアトリスは得をする為に不正な事をしていた訳ではないのですよ」
「え? それってどう言う事ですか?」
テレーズ先生の言う事がよく分からなくて尋ねると先生は私の前の椅子に座ってまっすぐに見つめる。少し躊躇した後で先生は口を開いた。
「……これは私がそう考えている訳ではありません。ただ、それでも彼女の心情は理解出来ると言う話です。恐らくマリールイーゼ、貴方も多少は感じる事があるかも知れません。それを踏まえた上で聞いて下さい」
「……え、はい……」
「恐らく、ベアトリス・ボーシャンは自分の感じた理不尽に抗おうとしていたのではないかと……最近色々話を伝え聞いていると私にはそう思えてならないのです」
「理不尽に抗う、ですか?」
「……ルイーゼ、貴方は自分が女である為に諦めなければならなかった事はありませんか? 子供だからと大人に取り合って貰えなかった事は?」
「え……そりゃまあ、無い訳じゃないですけど……」
「私はね、コレットの身の上を聞いて思ったのよ。もしかしたらあの子は沢山の理不尽を経験した結果、それに抗う為に理不尽を行っているのではないかって。私は抗う相手側だったから二年になって私の授業を受けなくなったのではないかって。そう思うと私は何とも言えないのよ」
テレーズ先生の言う事は分からないでも無かった。例えばセシリアは剣士として凄く強いけど女だから騎士にはなれない。クラリスも医者を目指しているけど医者自体が男性の仕事で女だとなるのが困難だ。名前が出たコレットだって女の子だったから酷い扱いを受けている。
だけどそれって結局、自分の性別とか生まれが基準であって社会全体が基準になっている訳じゃない。セシリアもクラリスも頑張っているし今はコレットもちゃんと普通に幸せに生きている。
「……テレーズ先生は自分のやってきた事を後悔していらっしゃるんですか?」
「後悔……いいえ、私は自分の選んだ道を後悔していません。ただ、あの娘にちゃんと伝えられなかった事を悔やんでいるだけです」
「ならそれはあの先輩自身の問題です。それに先生だって女性でも戦える様にレディクラフトを考案されたんでしょう? なら先生もちゃんと戦って抗った結果、今の先生になってるって事じゃないですか」
「……マリールイーゼ……」
「大体女だから大変って言いますけど男子だって大変だし。私は女に生まれたお陰で家督を継がなくて済むから気楽ですよ? レオボルトお兄様だってあの事件であんな事をしたのは自分が英雄一族の嫡男で間違った事は許されないって考えたんだと思います。結局、自分がやりたい事が出来ないから理不尽に感じるだけで、それで有利になってる部分を見てないだけなんじゃないですか? まあ私は平和にだらだら生きたいので理不尽って思うより『女の子に生まれて良かった』って思う様にしてますけど」
私がそう答えるとテレーズ先生は目を丸くして黙り込む。破顔して楽しそうに口元を押さえて笑った。
「……そう。ルイーゼはとても強いのね」
「いえ、私は超弱いです。でも女の子だから弱くても許されます。リオンなんて男の子だから強くないといけなくて大変だと思いますよ?」
「そうね……その通りかも知れませんね」
「大体、本当に理不尽だと思うのなら社会を変えるか、ダメならその社会から飛び出しちゃえば良いじゃないですか。そう言う意味だとあの先輩は実際飛び出してますからまだ説得力がありますよね? だけど殆どの人はそれもせず理不尽だって文句言ってるだけでしょ? それって結局、文句はあるけど都合が良い事も多いから享受したいだけだと思いますけど」
私がそう言うと先生はにっこり微笑む。いやだって私、ここにいるだけで死ぬ運命が待ってるんだよ? これって超理不尽でしょ? だけど頑張ってるのは大好きな人達と一緒にいる為だもの。理不尽なんて自分が一番大事な事の為なら幾らでも立ち向かえる物だって私は知ってる。
「……そうね。理不尽に抗っているのは貴方もそうですものね……」
「いいえ、違います。理不尽は抗う物じゃなくて戦う相手です。正面から戦って倒すしか無いんです。それで勝つのを見た人達が疑問を持って全体が変わって、理不尽が理不尽じゃなくなるんだと私は思ってます」
「……そうですね。貴方の言う通りです。もしあの子も貴方ともっと早く出会えていたら、こんな事になっていなかったのかも知れませんね」
そう言うと先生は椅子から立ち上がる。私も立ち上がって部屋を出ようと扉に向かって歩き出す。だけどその途中でまだ聞いていない事があった事を思い出して慌てて立ち止まると振り返った。
「――そうだ! テレーズ先生、あと一つ!」
「……はい? 何ですか?」
「あの、先生は……クロエ・ブランって人をご存知ですか?」
私がそう尋ねると途端に先生の顔色が変わる。
「……その名前を何処で聞いたのですか?」
「ええと、ベアトリス先輩を知っていた人から聞きました」
「そうですか……貴方は一体何処まで知っているのかしらね。まあ彼女については特に問題はないでしょう。クロエ・ブラン男爵令嬢はベアトリスの親友だった黒髪の娘です。明るく素直な子でアカデメイア在学中に視察に来られたハイレット伯爵に見初められて嫁いだのですよ」
「え、あの……その事はレンジャーギルドは知ってます?」
「どうでしょうね。話で名前が挙がった事はありませんけれど」
それで私はお礼を言って教導官室を出た。だけど……ベアトリスの親友だった人が在学中に結婚してる? 私はてっきりもう一つの焼死体がその親友の偽装だと思ってたんだけど違った? 何だかもう訳が分からない。
そして扉を出て廊下を歩いていると偶然カーラさんとソレイユさんと出会った。二人は私の顔を見るなりお互い見つめあって頷く。
「あの……こんばんは、カーラさん、ソレイユさん」
「丁度良かったですわ! もう、テレーズ先生にご相談しようかと……」
「へ? テレーズ先生なら部屋にいらっしゃると思いますけど?」
「いいえ、ここでマリールイーゼ様とお会い出来ました! きっと相談はマリールイーゼ様とすべきだと言う天の思し召しですわ!」
なんか……凄い大仰な感じに言われる。それで首を傾げていると二人は頷き合って、おもむろに切り出してきた。
「……エマの事ですわ! マリールイーゼ様、エマが最近塞ぎ込んでいてまともに食事もしていないのです!」
「……え。エマさんが?」
「はい、そうなのです! どうやら最近、殿方に告白されたらしいのですけれど、そのお相手がどうやらイースラフトの貴族の方らしくて……」
……ものすっごい嫌な予感しかしない。今アカデメイアにいるイースラフトの貴族なんてリオンとレイモンド、それにエドガーとジョナサンしかいない。と言う事は――ジョナサン、もうエマさんに告白したのか!
「分かりました。ええと、エマさんは今、何処に?」
「寮室に閉じこもっています!」
「あの、私をエマさんの処に連れて行って貰えます?」
「分かりましたわ! どうぞ付いていらして!」
こうして私は夕方からエマさんに会いに行く事になった。と言うか本当ならベアトリスについて三人に聞きたい事があったんだけどとても聞ける雰囲気じゃない。仕方ないし取り敢えずは先ず、エマさんに会って落ち着いてから聞くしかない。
だけどまさかもう告白までしてるだなんて。まさかジョナサン、エマさんに求婚までしてないよね? って……あーでもジョナサン、今年でもう二十一歳だしなあ。エマさんも今年で十九歳になる筈だし八月一杯で卒業だから結婚しても全然おかしくない。結婚適齢期ドンピシャだ。
そんな事を考えながら私はカーラさんとソレイユさんに連れられてエマさんの女子寮の部屋まで行く事になったのだった。