206 デボラの思い出
――そうだねえ。何から話したもんだろうねえ。
ボーシャン子爵様ってのは結構きついお方でね。長女のベアトリス様を立派な貴婦人にする為に妹のコレット様にお金を使わなかったんだよ。
どうしてかって? そりゃあ例え子爵様でも女の子二人を立派に育てるにはお金が掛かるからだろうね。お貴族様のご令嬢って服や化粧でやたらお金が掛かるみたいだしさ。
きっとコレット様が男の子だったら話は違ったと思うよ? お貴族様は男の子じゃないと跡継ぎになれないからね。だけど子爵様の処には女の子しか産まれなかったんだ。私ら平民は子供が産まれりゃ普通に育てるけどお貴族様はそうじゃないんだよ。使える子は大事にするけど使えない用途がない子供は大事にしない。
コレット様は大人しくて可愛らしい子だったよ。食事はいつも私が作って食べさせてた。とは言っても賄いみたいな簡単な物だけどね。奥様も最初は気にしていたけどすぐに来なくなった。私ゃ孤児の子供達の世話をしてた事もあるからね。ヤギの乳なんかを飲ませて育ててた。
だけどね、ベアトリスお嬢様も小さかった頃はとても素直で色々頑張ってたんだよ。クロエっていうブラン男爵家のお嬢さんが侍女として子爵家にやってきていてね。よく二人で色んな事をしてたもんだよ。
そう言えば二人して侍女の服を着てコレット様の処に来ていた事もあったねえ。きっと歳下の子が珍しかったんだろうよ。だけど隠れて来てる事が旦那様に見つかっちまってね。コレット様と会うのを禁止されたんだけどそれでも二人一緒に隠れて何度も会いに来てたもんだよ。
それから二人がコレット様に会わなくなったのは丁度お嬢様が学校に入るのが決まった頃だったかね。クロエ嬢ちゃんと一緒に入学するのが決まってから顔を出さなくなっちまった。それからは私もお嬢様とクロエのお嬢ちゃんとは会ってないよ。
それでお嬢様がもうすぐ卒業って頃になって子爵様の家はお取り潰しになる事が決まったんだ。あの時は私も大層驚いたもんだ。
だけどその少し前にコレット様は他所の子爵家に貰われていく事が決まっててね。ベアトリスお嬢様が一度お戻りになった頃にはもうコレット様はお屋敷にはいなかった。最後に一度だけお嬢様に聞かれたんだ。妹は何処に貰われていったのか、って。だけど私は相手のお貴族様の名前までは知らなかったからお答え出来なかったんだよ。
……うん? コレット様はどんな子だったのかって?
どうだろうねえ。お屋敷にいた頃のあの子はぼんやりしてて何かをはっきり言った事なんて無かったからね。ただ、古びた本だか何かをいつも眺めて過ごしてただけだよ。
まあそりゃあそうだろうさ。まともに人間扱いされずに放ったらかしにされて過ごしてたんだ。まともな人間じゃあなかったよ。
ああ、だけど……最後にあの子がお屋敷を出ていく前に一言だけ私に向かって初めて言ったんだ。『ありがとう』って。いつの間に言葉なんて憶えてたんだろうねえ。
ま、思い出なんて言える程の事なんて何も無かったよ。コレット様が人間らしく過ごせてるんなら良かった。だけど私はただの使用人だっただけだからね。きっとあの子も私の事なんて憶えちゃいないと思うよ――。