200 記憶の相違
ロックが行ってからしばらくしてお父様とお母様も帰って行った。散々注意されたけど取り敢えず監視者問題は解決したと言う事で私の情報が漏れる可能性はかなり低い。アカデメイアには騎士が今後も常駐して警備に当たると言う事だ。これは私だけの為じゃなくてアカデメイアと言う王立組織が犯罪に利用される事を防ぐ為の措置だ。
大人がいなくなって私達は一旦お茶を飲む事になった。だけどコレットだけは少し疲れた様子だ。考えてみたらお父様やお母様は公爵家の人間で上流貴族の前にずっといた訳だから仕方ない。まあ私やリオンもそうなんだけどお父様達に比べると少しマシらしい。
「……コレット、大丈夫? 凄く緊張してたけど?」
「……あ、はい……マリールイーゼ様、有難うございます……」
「んー……前からちょっと思ってたんだけどさ。コレットも私をもっと気軽に呼んでよ? マリールイーゼなんて呼び難いだろうし、同じ歳なんだから様付けもしなくて良いよ?」
「え……でも、それじゃあ一体どうお呼びすれば……」
コレットがそんな事で悩み始める。いや別にマリーでもルイーゼでも楽な方を好きに呼べば良いと思うんだけど。だけどそんな処にマリエルが何の気なしという感じでぼそっと呟く。
「……そう言えばさ、私はルイちゃんを『ルイちゃん』って呼んでるけど皆はマリーって呼ぶんだよ。私も『マリエル』だからマリーって呼ばれるんだけど最初は凄く戸惑ったんだよね」
「……そう言えばそうね。そう呼ぶ理由って何かあるのかな?」
そう言われてみるとちょっと不思議だ。皆一体どう言う基準で呼び方を決めてるんだろう? それで首を傾げているとリオンが苦笑する。
「そりゃあまあ、親しくし過ぎると問題になるからね。ほら、シルヴァン達はリゼをマリーって呼ぶだろ? あれは後ろのルイーゼで呼ぶと親し過ぎて周囲に誤解されるって理由があるんだよ」
「えっ、誤解って?」
「そりゃあほら、婚約者とか貴族には色々あるだろ? 余り異性と親し過ぎるとそう言う関係を疑われるんだよ。だから名前を呼ばずに何処そこの家の御令嬢って呼び方をする人もアカデメイアにはいる。ほら、アンジェリン姉さんを姫とか姫殿下って呼ぶ感じでね? アンジェリン様って名前で呼ぶ人の方が圧倒的に少ないんだよ」
「……なんか貴族って面倒臭いよね」
「貴族はね。特にリゼは公爵家令嬢だから変に親し過ぎてもダメだし、かと言って正式な名で呼ぶと距離があるからさ。だから最初のマリーで呼ぶんだよ。ただまあセシリアとルーシーは慣れみたいな感じだと思うけど、二人共リゼの事を愛称で呼ぶ事だってあるだろ?」
だけどそれを聞いて今度はマリエルが目を瞬かせる。
「え、でも『マリー』って名前は凄く多いじゃん? 私やマティちゃんは普通にルイちゃんをルイーゼって呼ぶけど、誰を呼んでるかはっきりしないと困るでしょ? この学校にもマリーって人、かなりいるみたいだし」
そう言う理由もあるのか。そう言えば元平民のマリエルや街育ちのマティスは私をルイーゼ呼びする。庶民派だと相手をはっきりさせる呼び方が定番なのかもしれない。そうなるとセシルが私をマリーと呼ぶのはセシルが男子で私が女子だからなのかも。そんな事に納得していると今度はクラリスが笑って話し始める。
「ええとですね。貴族だと立場によりますし異性か同性でも呼び方が変わる事って多いですよ? 私はお姉ちゃんが妹と言ってくれるのでルイーゼお姉ちゃんって呼びますし。身内で特に親しいと後ろで呼ぶ感じですね」
あー、そう言う感じなんだ? 元々私の名前って本当に人によって呼び方が変わる。これは二つの名前を組み合わせた物だから仕方がないんだろうけど。でも確かに特別な呼ばれ方をする事も多い。お兄様はマールだしリオンはリゼ、エドガーはリールー呼びだ。そう言えば叔母様や叔父様もルイーゼって呼んでたのは身内として扱ってくれてたのかも。ジョナサンも私をルイーゼ呼びするのは妹として扱ってくれてたからだと思う。
「へぇ……そうなんだ? そんなの考えた事もなかったよ。それで――コレットは私の事、これから何て呼んでくれるの?」
「え? えと、その……あの、私、どうすれば……」
私が笑顔で尋ねるとコレットは困った顔に変わる。それを見かねたのかクラリスは苦笑した。
「……お姉ちゃん。それはコレットお姉さんが可哀想なのですよ」
「え、そう? でもコレットが私にどれくらい親しみを持ってくれてるのか分かるでしょ? 私としては凄く興味あるんだけどな?」
そう言いながら私は少し納得出来た気がした。あーなるほどなー。そう言われてみるとクラリスも親しい相手にはお姉ちゃん、お兄ちゃんって呼ぶけど仲良くなった相手だとお姉さんお兄さんって呼び方だ。それ以前だと名前にさん付けだし。ある程度名前の呼び方で親しみの度合いが分かるって知ってたけどここまで違いが出るなんて思ってなかった。
「……え、あの、それじゃあ……『マリー様』、で……」
「えー? コレットは私と結構距離がある感じなのー?」
「え、そ、そんな意味じゃ……」
「私はコレットの事、友達だと思ってるのになー。でもコレットは私を公爵家令嬢としか見てくれないんだー? 寂しいなー。悲しいなー」
「……わ、分かりました! じゃあ……『マリーさん』とお呼びさせて戴く事にします! それでよろしいですか⁉︎」
「えー……まだ固い感じがする。もっと馴れ馴れしく、親しげに!」
「う……わ、分かったわ、マリーさん! これで構わ……良いですか?」
「うん、よし、合格。これからもよろしくね、コレット」
結局コレットは他の皆に倣って『マリーさん』と呼ぶ事になった。最初は様付けだったけど無理矢理止めさせた。だってアカデメイアだし同性でそう言う呼ばれ方って何だか違う気がする。ヒューゴの様付けと違ってコレットの場合は凄く萎縮してる感じなんだよね。
そしてお茶とお菓子を頂いている時、私はふとコレットに尋ねた。
「――そう言えばコレットはボーシャン家の事をどう思ってるの?」
「……え? ボーシャン家……ですか?」
「もし嫌だったらごめんね? でも本音はどうなのかなって思って」
「いえ、大丈夫ですよ? ええと、そうですね……」
そこから暫く考え込む。だけどコレットは苦笑して答えた。
「……実の処、私は特に何とも思ってないです。と言うか殆ど覚えてないですから。あの頃は生かされてるだけで生きてなかったと思います」
「え、じゃあ……ボーシャン家夫妻の事も?」
「はい。だって私、お二人の顔も知りません。会った事もないですから」
そう言ってコレットは困った風に笑う。きっと本当に会った事が無くて悲しいとか考える以前に戸惑うって事なんだろう。それはそれで本当に酷い話だ。実の親が娘と顔を合わせた事もないだなんて考えられない。
「あの頃の私って本当に全然覚えてないんですよ。モンテール家に養子に出されたすぐ後も余り覚えてなくて。なので今のお父さんとお母さんには本当に凄く感謝してます。私はコレット・モンテールになって初めて人間として生きられる様になったんだと思います」
流石に話が重過ぎて皆反応に困っている。例え貴族家に生まれても、子爵の子であってもこんな扱いを受ける。それは今の社会が男尊女卑に近いからと言うのもあるんだろう。クラリスのデュトワ家みたいな特別な場合を除いて基本的に貴族は男性社会だ。その中で活躍出来る女性はかなり限られている。アンジェリン姫やお母様、それに多分私も。
だけどそんな時、コレットが遠い昔を思い出す様に呟いた。
「……あ、でも。薄っすら覚えてるんですけど、言葉や字を教えてくれたり甘いお菓子を持ってきてくれたお姉さん達がいたんですよね」
「え……ああ、火事で生き残ったって言う人?」
「らしいですね。でも夢の中みたいで殆ど覚えてません。ただ、その時に古い絵本をくれたみたいで。その絵本は今も大事にしまってあります」
「そっか……でもそのお陰でコレットは嫌な思い出だけじゃなくて良い思い出もあったんだね。まあ家の事は忘れて良いと思うよ?」
「はい。お会いしても覚えてませんからどうすれば良いか分からなくて困ってしまうと思いますけど。でも……お二人の内、一人しか生き残れなかったときいて少し寂しい気はしますね」
だけどそこまで聞いて私の思考が一瞬止まった。え、あれ? 確か生き残った使用人は女性一人だけで、その一人がコレットの面倒を全部見ていたんじゃなかったっけ? 確かそんな感じの話をロックさんは言ってた筈だ。なのにコレット自身はその相手が二人いた様に覚えている。調査結果とコレットの認識に違いがある。
「……ねえコレット。面倒を見てくれた人って……一人? 二人?」
「え? ええと……一人だった様な、二人だった様な……」
だけど尋ねてみてもコレットの答えははっきりしない。本当に殆ど覚えてないみたいで懸命に思い出そうとしているけど出てこない。隠しているんじゃなくて本当に思い出せないみたいだ。
考えてみればボーシャン家は元子爵家で男爵家令嬢が奉公に出ていてもおかしくない。そしてこの世界では識字率自体がそれほど高くないから言葉は兎も角文字を教えられる人は限られている。勿論平民でも文字の読み書きが出来る人はそれなりにいるから断言は出来ないけど。
だけど何だろう、これ。なんだか胸の奥がざわざわする。何かが引っ掛かってスッキリしない。まだ何か、気付いていない事がある気がする。
ボーシャン家の娘だった頃のコレットに文字や言葉を教えて、絵本をくれて、甘いお菓子を食べさせてくれた人は一人だけで、その一人が火事の中で生き残っている。コレットの面倒を見ていたのはその一人しかいないと聞いていたけど本当にそうなの? ロックに確認して貰う必要があるかも知れない。
きっと何か見落としてる事がある。だけど――幾ら考えてもその結論は私には出せなかった。