02 デスゲームからの逃亡
私が最初に考えたのは『可愛くなくなる』事だった。
冷静に考えればマリールイーゼはイラストで見た記憶によるとかなり可愛い。貴族の中でも公爵令嬢の立場でイケメン達と面識があって当然だ。だって登場する男キャラも基本的にほぼ全員が王侯貴族なんだから。
大抵の乙女ゲームでは原則、悪役令嬢は寝取られる側の女性で恋のライバルだ。主人公と対立する原因は好きな相手を横から掻っ攫われそうになるからで抗議したら男性側まで主人公を庇い始める展開が多い。
だけど実はそれ以外に主人公との接点が無い。悪役令嬢は大抵上流貴族で平民と絡む理由が無い。だから対立関係が分かりやすい色恋沙汰で必ず揉める事になる。
だからもし死を回避しようとするなら恋愛が成立しない様に立ち振る舞う必要がある。現時点で私は恋愛する気なんて毛頭無いんだけれど相手の感情次第でも変わる。特に公爵令嬢の立場なら家の問題で婚約もあり得る。
つまり相手にしたく無いと思う程度に地味で見栄えが良くない方が生存率が高い。登場する男性陣と関係が成立しない形に持っていくのがベストだ。そこで私が真っ先に考えたのが「太る事」だった。
基本的にゲームでのマリールイーゼは細身で可憐な可愛らしい悪役だ。小柄で妹の様な印象が強い。それに身体も丈夫じゃなくていつも男性陣から心配されている。庇護欲を掻き立てる存在としてイケメンの中心にいた筈がヒロインの登場で男性陣の関心が一気に主人公へと移る。
乙女ゲームでは悪役令嬢は原則美しい少女である事が決まっている。主人公は大抵天真爛漫で明るい気質だからライバルの悪役令嬢はその逆で知的、眉目秀麗、シャープな体型になり易い。なら少しふっくらした体型になれば男性陣から注目されないし悪役令嬢らしからぬ外見になる。
だけどそんな私の目論見は早々に頓挫した。そう、マリールイーゼは小さい頃から『身体が弱かった』のだ。
公爵令嬢がバカ喰いしようとしても基本的に出される量は決まっていてそれ以上はマナー違反になる。それに困った事にこの世界の食事はカロリーが低くて糖分の摂取先も殆どが果物で稀に蜂蜜が出る位だ。
何より無茶な食べ方をしたくても食べられない。一般的な子供に比べてどうやら私は食が細いらしい。出された物も完食出来ず、無理に食べるとお腹を壊して逆に痩せてしまう上に寝込んでしまう。大した量でも無いのに、だ。
――私、日本にいた時ってこんなだったっけ?
そう思って思い出そうとしても過去の自分や家族構成は全く思い出せなかった。思い出せるのはどんな世界で文明や技術があって何が出来たのか。世俗的な事は詳細に思い出せるのに個人的な事に関しては全く思い出せない。自分が死んだのかすら一切思い出せなかった。でもそのお陰で過去の自分と比較出来ないし悲しいとも感じない。それが思い出せない事のせめてもの救いだった。
それでも悪戦苦闘しながら何度目かの挑戦をしてベッドで寝込んだ時、レオボルトお兄様が部屋にやってきた。
「――マール、身体の具合は大丈夫かい? 無茶をしてはいけないよ?」
お兄様は膝を突いてベッドに腕を乗せてもたれるとそう言って笑った。両親と同じ綺麗な金髪が窓から差し込む陽光でうっすら緑に見える。きっと普通の金髪ってこう言う色なんだろうな。そう思うと少し羨ましく思えてしまう。
マリールイーゼには兄が一人いる。名前をレオボルト・アル・オー・アレクトーと言う。登場する美形の一人だが攻略対象ではなかったのはきっと悪役令嬢の兄だからだ。
そして兄が呼んだ「マール」と言うのは数多くある私の愛称の一つだ。例えばマリー、ルイーゼと言う前後で区切った呼び方の他にマール、リゼ、ルイズ。少し変わった物だとリールーなんて物もある。
要するに呼び方で扱い方を宣言する。今回お兄様の呼んだ「マール」は甘やかす時によく使われる。リゼ、ルイズと呼ぶ時は一人の人間として親愛を込めた呼び方で公爵家令嬢として振る舞う事を求められる時はマリーやルイーゼと呼ばれる事が多い。因みにリールーと言うのは茶化した呼び方で弄る時に使われる。お母様がいつも私を正しい名で呼ぶのはきっと自分の本名を聞き慣れていないと不味いからだろう。社交界を意識しているんだと思う。
ベッドで顔を横に向けるとお兄様の顔が見える。それで私は少し苦笑すると素直に答えた。
「……レオおにいさま。はい、もうだいじょうぶです」
「そう? だけどまだ少し顔色が悪いね。でもね、元気になる為に無理に食べる必要なんてないんだからね? 確かにマールは少し痩せ気味だけど、それで体調が悪くなっては元も子もないよ。可愛らしいマール、僕はその方が心配だ」
そう言ってお兄様の指が私の額に掛かった髪を優しく撫で付ける。この人は本当に優しい理想的な兄だった。
レオボルトお兄様は常に優しいイケメンだ。もし妹じゃなければ異性として好きになったかも知れない。この人が私を呼ぶ時は必ず「マール」だ。甘やかす――もとい可愛がってくれているとすぐ分かる。きっと意図しないと感情が含まれない言語だから態度やニュアンスを込めたい時に愛称を変えて口にするんだろうな。
だけどこの時の私はそんな風に優しく言われても余裕がなくて全然我慢出来なかった。
アリストクラット・アカデメイア――通称「貴族学校」に通うのは普通十五歳からだけど公爵令嬢の私は準生徒として普通より三年早い十二歳で入学する。だから猶予まで実質残り八年。余裕がある様で実は全然猶予がない。入学すれば寄宿舎生活だからそうなればもう絶対に死から逃げられない。焦りと危機感ばかりが募っていく。
「……お兄様……私、死んじゃうのかな……」
私がそう呟くとお兄様の顔色が変わる。だけどすぐにベッドに腰掛けると私を抱き起こして頭を撫でてくれた。
「……大丈夫だよ、泣き虫なマール。だって君は英雄一族アレクトー家の娘、マリールイーゼ・アル・オー・アレクトーだもの。幼い頃に身体が弱かった人なんて世界中に沢山いるんだからマールものんびり頑張れば良いんだよ?」
どうやらお兄様は私が元気になる為に無茶な食べ方をしていると思ったらしい。でも実際は違う。この世界で起きるかも知れない事を説明なんて私には出来ない。
私は一度だけしっかりとお兄様に抱きつくと顔をあげて何も無かった風に笑う。この人に自分の妹が悲惨な死に方をするかも知れないだなんて絶対知られたくない。
「……それでお兄様、何かあったの?」
「うん? どうしてだい、僕の可愛らしいマール?」
「だってお兄様、今日は出掛けると言っていたもの。確かお父様とご一緒に狩りへ行くって」
「はは……まあ、そのつもりだったんだけどね?」
私の指摘は間違っていなかったらしくお兄様は苦笑すると部屋の扉へと視線を向ける。それで私も同じく扉を見ると頭の上から優しい声が返ってきた。
「実はね。クローディア叔母様がいらっしゃる事になって今日の予定が無くなったんだ。マールは叔母様のお気に入りだし、具合はどうか見てきて欲しいと母上にお願いされてね。僕も気になっていたからこうして来たんだ」
クローディア叔母様――その名前に私はハッとした。