197 やっちゃいけなかった事
タニア・ルボーが捕まって状況は一変した。
アカデメイアの生徒で彼女と接触していた『監視者』と呼ばれる生徒は二〇人以上いる事が判明した。レンジャーギルドは既にその全員を把握していて随時事情を聞く事になっている。その層は正規生一年から三年まで幅広い。ただタニア・ルボーはエリーゼ・ラボーとして生徒達からかなり慕われている。どうやら騙していたと言うより本当に面倒見が良いお姉さんとして後輩達と接していたらしい。そのついでに情報を集めていたみたいで騙される生徒が多かったのも仕方が無かったのかも知れない。
そして彼女はベアトリス・ボーシャンと面識があった。元々同じ学年で交友関係にあったらしい。タニアは例の偽請願書事件にも関わっていて署名を集めたりとベアトリスを手伝っていた。褫爵処分を受けて家が貴族でなくなった後も個人的に交流があったそうだ。
タニアは元々信念があった訳じゃない普通の令嬢だった。だけど世間や自分が何も出来ない事に漠然と不満があったらしい。捕まってから尋問を受けているけどずっと怯えっぱなしな小心者らしかった。
きっとタニア・ルボーは九人中の中で一番末端だ。性格的にも流され易くて今は処刑される事をひたすら恐れている。自分が悪い事に加担していた事には自覚がある。だけどそれで自分が捕まるだなんて考えてなかったんだと思う。そんな人だからこそ末端に配置してベアトリス・ボーシャンはいつでも彼女を切り捨てられる様にしていたんだろう。
「――ですが、随分お粗末な幕引きでしたね。まさかマリーさんをバカにする為だけにやってくるなんて。そんな犯罪者は前代未聞ですけど愉快犯と言うか、やっていた事に対して余りに陳腐過ぎて反応に困りますね」
ロックが報告を終えて出ていった後、それまで黙って聞いていたバスティアンが苦笑して言う。タニアが捕縛された事で関わっている全員が私の部屋に呼ばれて説明を受けている。準生徒組と新規生組の全員だ。流石にコレットは呼ばれていない。だって彼女の実姉が関わっている事件の話を聞かせる訳にはいかない。
「だけどさ、マリーお手柄だったよね。お陰でもう監視者探しなんてしなくて済むんだから本当にマリー様々だよ。マリー偉い! 凄い!」
バスティアンの言葉にルーシーも笑顔で続く。だけど皆は少しホッとした様子で苦笑している。そんな中クラリスは私にしがみついたまま離れようとしない。きっとそれだけあの時怖かったんだろうと思う。
あの後、騎士達がタニアを捕らえてから私は会う大人達全員から何度も叱られる事になった。だけどリオンに本気で叱られて激しく気落ちしていた私は反省の色有りという事でしつこく叱られたりはしなかった。
逆上してナイフを突き付けてきたタニアも元はと言えば私が煽り倒した所為だ。捕まった今も彼女は処刑と私を特に恐れているらしい。本名と偽名をいきなり言い当てて知られていない筈の抜け道も私が知っていた上に英雄魔法の紫炎が目に灯った事がとどめになったみたいだった。
だけど私は少し違うと思っている。タニアが逆上したのは私がコレットの名を口にしてからだ。あれは私に怯えたと言うより秘密を知られた事に過剰反応したとしか思えない。あの赤い光の中で見そうになった出来事が何か関係あったのかも知れないけど何もかもがもう闇の中だ。
「……そう言えば、マリー様は時間稼ぎをしたらしいが犯人に向かって一体何を言ったんだ? 犯人は今もマリー様に怯えているらしいが」
空気が緩む中ヒューゴが突然尋ねてくる。そう言えばヒューゴは騎士達と一緒に校内の警備を手伝っていた筈だ。そこである程度話を耳にしてきたんだろう。不思議そうに彼が言うとそこにシルヴァンが口を挟む。
「……そうだ。マリー、犯人に何をしたのか、僕で試してみてよ」
「……えー……」
「どんな感じでそこまで犯人を追い詰めたのか、知りたいんだよ」
正直、私にとって今回やった事は褒められた事じゃない。リオンに本気で叱られて今は後悔してる。だけど他の皆は興味津々だ。それでリオンを見ると首を竦めて仕方ないって表情になっている。
「……分かったわよ。それじゃあ準備はいい?」
「ああいつでも! さあ、やってみてくれ!」
シルヴァンがそう言って期待に満ちた顔に変わる。そこで私は目を閉じると、次に開いた時に思い切りシルヴァンに向かって微笑み掛けた。そんな私の顔を見て一瞬シルヴァンの笑みが固まる。
「……ふっ……」
そして鼻で笑うとそのまま私は顔を背けた。だけどそれを見ていたシルヴァンの顔が不安に染まる。
「ちょ……な、何だよマリー! 何か言いたい事があるんだったらちゃんと言ってくれよ! ほら、僕はちゃんと聞くからさ!」
「……べっつにぃー……」
「た、頼むよう! 放ったらかしにするの止めてくれよお! マリーがそう言う突き放し方すると、滅茶苦茶不安になるんだよお!」
そう言ってシルヴァンは床に膝を付いて項垂れてしまう。そんな彼を見ていた皆の中から囁くみたいに小さな声が聞こえてくる。
(……シルヴァン、よっわ……)
(……自分で頼んでこれなのね……)
(……流石マリーさん、殿下の弱点をよく分かってます……)
(……殿下、ドンマイだ……)
そして静かにざわつく中で一際大きく『あっ』と言う声が上がる。それで全員が声の主を見るとそれはセシルだった。
「……あ、その……」
「どうしたんだセシル? 何か気付いた事でもあったのか?」
ヒューゴが首を傾げて尋ねる。それでセシルは真剣な顔で私を見ておずおずと口を開いた。
「……マリーさん、もしかして……『アレ』をやったんですか……?」
「……『アレ』?」
「ほら、以前あったじゃないですか。マリーさんを殺そうとした女の人の処に言って、物凄く冷静に詰めまくってた事が……」
だけど殆どの人間はそれが理解出来ない。そんな中で一緒に付いて来ていたマティスとマリエルが顔を見合わせてハッとした顔に変わる。
「……あ、アレかぁ……確かにそう言われてみたらそうかも……」
「……うん、マティ。私も言われるまで気付かなかったよ……」
「……アレを言われたら私、その場に泣き崩れる自信あるわ……」
「……ルイちゃんのアレ、正論過ぎて言い返せないんだよね……」
「え、ちょっとマティス、マリエル? それって聞いた事がないんだけど一体何の話? ちょっと詳しく話しなさいよー!」
顔色が悪くなって真剣に話し合う二人に横からルーシーが興味本位の顔で尋ねる。あの時一緒だったのはマリエル、マティス、セシルの三人しかいない。それ以外の全員が一体何事かと三人を取り囲む。
だけど私はそれを聞いて愕然としていた。今までにあった事が頭の中で重なって一つの答えが出る。もしかして私は、やっちゃいけない事をしてしまっていたのかも知れない。そんな恐怖に血の気が引いていく。
「……お姉ちゃん? どうしたんです、大丈夫ですか?」
顔が強張る私を見上げて心配そうなクラリス。だけどそんな私を見て彼女の目が大きく見開かれる。そのままクラリスは必死に抱き付いてくるけど私はただひたすら、自分がやった事を激しく後悔していた。