18 私の苦悩を返せ
帰宅した次の朝。私はお母様にしっかりしがみついたままで目が覚めた。目を開けるとお母様が微笑んで私を見ている。
「……お母様、おはよう」
「おはよう、マリールイーゼ……良く眠れた?」
「うん……だけどもう少しこうしていたいな……」
「ふふ、ルイーゼは幾つになっても甘えん坊ね」
そう言いながらお母様は私を抱き締めてくれる。それはもうとても幸せな時間だ。リオンが言った通りお母様は今の私でも当然の様に受け入れてくれた。どうやら悩んでいたのは私だけじゃなかったらしい。久しぶりに再会してお母様もどう接すれば良いか少し迷っていたそうだ。だけど同じ事で悩んでいただなんてそれこそ親子らしいと言って楽しそうに笑ってくれた。
それにお父様やお兄様も私の扱いで迷っていたらしい。幼かった頃と同じ様に接して良い物かどうか、特に公爵家の十一歳はアカデメイア入学を控える難しい年頃で異性である父や兄が構うと嫌われ易い物らしい。逆に母親と仲良くなる理由はお洒落の相談を出来る相手が他にいないからだ。母親とは女の子にとって社交界で流行の最先端を熟知する存在だ。だからこの世界では貴族の女の子は母親と異様に仲が良い。まあ私の場合は少し特別なケースで当て嵌まらないのかも知れないけど。
それに私は知らなかったけれど叔母様とお母様は頻繁に手紙をやり取りしていたそうだ。私の様子や具合を詳細に伝えていたらしいけど私は結構倒れる事も多かったからその分お母様を心配させる結果になってしまっていたらしい。途中で私が死んでしまう事も覚悟していたそうで、だから再会した時は本当にその場で泣き出してしまう位に嬉しかったそうだ。
そうやって起きてからも散々お母様に甘えた後、私は上機嫌で自分の部屋に戻った。リオンが私に話があるみたいな事を言っていた筈だ。もしかしたらお別れの挨拶かも知れない。
そう考えると何とも言えない寂しさが込み上げる。これからアカデメイアに入れば七年は再会出来ない。叔母様の家で過ごしたのと同じ時間だけ会えない。あの家は遠過ぎるし頻繁に会える様な距離じゃないから尚更だ。特にリオンは兄弟の中でも私のお兄ちゃんだと言う事に拘っていたみたいだし、最後位は『お義兄ちゃん』と呼んであげても良いかも知れない。だけど話を聞きにリオンの部屋に行くと少し様子が違った。
「――ああ、リゼ。どうだった?」
「うん、リオンが言った通り全部上手くいったよ。ありがとうね、リオンがいなかったらもっと大変な事になってたかも」
「それはお互い様だよ。僕だってリゼがいなかったら母さんと和解出来てなかった。やっぱりこう言う事は自分では気付けない物なのかもね。だけど本当に上手くいったのなら良かった」
だけどそれだけ言うとお互い黙り込んでしまう。特にリオンは木箱を開けて中身を確認しているみたいだ。無言で手を動かす彼に何と言って良いのか分からない。それでもお別れするのならきちんと挨拶だけはしたい。
「……ねえ、リオン?」
「……うん? 何?」
「リオンはその……いつ、帰っちゃうの?」
私としては勇気を振り絞ったつもりだった。だけど私が尋ねるとリオンは手を止めて顔を上げる。
「ん? いや、僕は帰らないよ?」
「……え? 帰らない、って……どう言う事?」
「だから話したかったのはその事だよ。僕はリゼと一緒にアカデメイアに留学するんだよ。一応貴族学校だから実際の年齢はあんまり関係ないみたいでリゼと同じ学年で準生徒だよ?」
「……は? え、私、そんなの聞いてないんだけど⁉︎」
「だってこっちに来るまでは秘密にしろって父さんに言われてたんだもの。それで話そうと思ったけどリゼが悩んでいたから話せなかったんだ。だけどやっと言えたよ」
リオンはスッキリした顔になって微笑む。だけど突然そんな話を聞いて私はそれ処じゃなかった。
「え、ちょっと待って? それって……いつ決まったの?」
「結構前だよ? 僕ら兄弟がリゼを捕まえられなくてリゼが倒れた後に目が覚めてからかな? エドが行きたいって言ったけど僕も行きたいって言ったんだ。それで剣の勝負をして僕が勝ったから来た。エドは今、ネイサンと一緒にアベル伯父さんの処で修行してる筈だよ?」
それを聞いて私の中で全てが繋がった。そう言えばお父様が昨日、「手続きは終わってる」ってリオンに言っていた筈だ。
アリストクラッツへの入学は実はそんなに簡単じゃない。特に留学するにはかなり厳しい審査がある。なにしろ貴族社会の縮図だし国内に限定されている。普通は留学も十五歳からしか出来ない筈なのに準生徒から入学って事はお父様がかなり関わっている筈だ。なのに知らなかったのは私だけだった。
「――わ、私の苦悩した時間を返して! 寂しくてもう、本気で物凄く悩んだのに! 何だか私、馬鹿みたいじゃないの!」
「え、それを僕に言われても。それに決めたのは父さんとリゼの叔父さんだし。それともリゼは僕が一緒だと嫌だった?」
「え……そ、そう言う訳じゃ、ない、んだけど……」
「なら良いじゃないか。僕はリゼと一緒に入学して約束を守るだけだよ。その為に僕はエドと勝負までしたんだから」
「え……約束……って?」
「……僕はリゼを守る。あの時そう言った筈だよ?」
不意にリオンの気配が変わる。まるで本気で怒っているみたいで凄く怖い。私に向けられた物じゃないけど怖い。思わず黙ってしまう私にリオンはこれ以上無い位に真剣に言った。
「……僕がリゼを害する連中から守る。こんなに頑張って生きようとする女の子を貶める奴らには絶対負けない。僕は英雄公爵家のリオン・エル・オー・アレクトー。この名に誓ってマリールイーゼを守って見せる――これは僕自身が決めた事だ」
それはあの時、初めてあった時にリオンが私に言ってくれた言葉だった。私が四歳、リオンが五歳だった頃の言葉。普段は柔和で優しいリオンの顔に怒りが浮かんでいる。それは私を守る為なら相手を殺しても構わないと考えているかの様に。
「……リオンは、その為に……強くなろうとしてくれたの?」
「……決まってるだろ。僕はあんな風にリゼを泣かせる奴らを許すつもりはない。例え相手が王族だろうとリゼに悪意を向けるのなら僕が倒してやる――だから怖がらないで、リゼ」
震える私の言葉にリオンはにっこりと笑う。それを聞いて私の頬を涙が伝う。これからは一人で頑張らなきゃいけないと思っていたのに私を助ける為だけに彼はついてきてくれたのだ。
それだけでもう嬉しくて堪らない。お父様やお母様、お兄様にも頼れず独りぼっちで抗うしかないと覚悟していたのに不意打ちが過ぎる。こんなのもう、泣いちゃうに決まってる。
「……ありがとう……ありがとう、リオン……」
「……本当に馬鹿だな。これからも僕が一緒だ。何も怖がらずにリゼは楽しく生きる事だけを考えていれば良いんだよ」
そう言ってリオンは私の頭を撫でてくれた。半年もすれば遂にアカデメイアでの生活が始まる。だけどリオンが一緒なら一人でどうしようもない事でも何とかなりそうな気がする。
怖いけどリオンを信じて頑張ろう――私はそう思った。
次回からアカデメイア/準生徒編。
長い様で文字数はそんなに無かったり。