178 普通の貴族令嬢
キッチンから部屋に戻ると早速クラリスの出したお菓子を全員で戴く事になった。クラリスは新しい種類のお菓子を実際に作っていて私とリオンを引っ張り出す為に出任せを言った訳じゃなかった。なんて恐ろしい子。
兎も角それで話が一旦落ち着いた頃、リオンがコレットに尋ねた。
「……そうだ、コレットさん。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
だけどリオンが声を掛けた途端コレットは怯えた顔に変わる。どうやら男子が苦手と言うより男性恐怖症に近い気がする。私が後ろに立っているリオンの手首に触れると彼は無言で私を見つめてくる。だけどそれに構わず私はコレットに尋ねた。
「えっとね? もしかしてコレットさん、ジーンさんっていう女の人をご存知なのかなって思って」
「……え? ジーンさん、ですか?」
「うん。実は以前お会いした事があってね? 髪が少しウェイブ掛かった癖毛の人で目鼻立ちがはっきりしてる人だったと思うんだけど」
私は以前会ったあの先輩の姿を思い出して思わずそう口にしてしまっていた。だけどこれはクラリスから聞いていない事だ。すぐ後ろのリオンから緊張した気配が伝わってくる。だけどコレットは笑顔に変わった。
「そうそう、そうなんですよね。ジーン・ノエルさん。元々モンテール家は奉仕活動に力を入れていて入学前から参加していたんですけど、そこであの綺麗なお姉さんと知り合ったんですよ? だけどどうしてマリールイーゼさんは私がジーンさんと知り合いだとご存知だったんですか?」
「うちの家も奉仕活動をしているのよ。それで色んな処に行くからそこでコレットさんを見掛けた気がして。それでお知り合いなのかな、って」
そう答えながら私はある事に気付いてしまった。私は彼女に自分の名前をマリーとしか名乗っていない。マリエルはルイと呼ぶけど友人から紹介された相手できちんと家名まで名乗っていない。なのに彼女は私の名前をマリールイーゼとフルネームで知っている。堅苦しい口調じゃないから私がアレクトー公爵家の人間だとは知らないみたいだけど、私の名前を知っている時点で彼女が監視役の一人と言うのはほぼ確定してしまった。
精神的にキツい。心がめげそうだ。後ろ手にリオンの手首を掴む指に力が入ってしまう。だけどリオンは私の肩をポンポンと叩くと手首から私の指を引き離してキッチンの扉へ歩いていく。それで私は必死に心を落ち着けるとコレットに尋ねた。
「……そう言えばコレットさんって男子が苦手みたいだけど、何か理由があるの? 苦手っていうか、怖いみたいに見えるんだけど」
「あ……はい。モンテール家の娘っていうだけで結構男の人が近付いてくるんです。だけど誰も私の事なんて全然見てなくて。モンテール家と近付きたいだけってすぐ分かっちゃって。それで男性が凄く怖くなりました」
後で知ったけどモンテール家は子爵の中では特に歴史のある家で王様の覚えも良い事からよく縁談にも名前が挙がるそうだ。モンテール家と血縁があるというだけで信用されるらしい。それでコレットは養子に出されたんだと思う。実家、ボーシャン家の地位を守る為だけに。
だけど貴族令嬢の中には結構男性恐怖症の子は多い。元々家の為に結婚する事も多くて蝶よ花よと育てられるけど下手に近付かない様に男は怖い物という教育をする保守的な家も多いそうだ。自分が一番と考える強気な令嬢もいれば大人しくてお淑やかな令嬢もいる。コレットは明らかな後者でその上に家の知名度もあって萎縮してしまっている気がする。
コレットは典型的な大人しい貴族令嬢だ。自分を強く出そうとしないし家の影響か余り権力にも固執しない。誰とも仲良くなれるけど先頭に立つ性格じゃないから軋轢も生まれないし同性の女生徒に人気があると言うのも多分可愛がられるタイプだからだ。一見クラリスと似ている様に見えるけど実際はかなり違う。この子は穏やかな世界で生きるべきだ。
最後、帰る時になって彼女は言った。
「――だけどマリールイーゼ様は本当にお優しい方でした。もし貴方の事を悪く言う人がいたら必ず訂正しておきますね」
きっとコレットは私の事を知っていたんだと思う。私がざっくばらんに振る舞っていたから合わせてくれたんだろう。少し気弱で大人しい普通の貴族令嬢。そんな彼女をそっと抱き寄せると私は耳元で言った。
「……コレット。もし何か困った時は必ず私に相談して。どんな些細な事でも構わないから。貴方はもう、私の友人でもあるんだからね?」
彼女は笑顔で頷くと、クラリスから沢山のお菓子のお土産を手渡されてマリエルと一緒に帰って行った。