172 主人公は諦めない
リオンの仮説を聞いてから数日。私は毎日憂鬱に過ごしていた。
レンジャーギルドが褫爵でアカデメイアを退学した生徒の内、自殺や病死、事故死した生徒の墓を暴いて回った。普通ならこれは禁忌とされる事で絶対に許されない事だけどそれでもロックさん達は実行した。
その結果、九人の死者の内二人しか遺体が無かった。この世界では遺体は土葬が基本で火葬したりしない。あの事件から数年過ぎているから白骨化しているかも知れなかったものの、棺桶にはそもそも遺体自体が入ってなくて遺体の代わりに人形が入れられたりしていたそうだ。
平民でも集落の長が記録している。だけどそれは人数の把握がメインで名前が本人の物かまでは証明出来ない。特に商人に紛れてしまうと国境を越えても発覚しない。商人は商隊単位で動く事が多くて商人ギルドに登録していれば随行する従業員について詳細を調べない。それが虚偽だと判明すれば登録商人が罰せられるけどそもそも発覚するのは稀だ。
この遺体が無い時点で灰色処か真っ黒だ。リオンが推測した通り首謀者達はとっくの昔に国外へ逃亡済み。墓碑銘から貴族時の名を調べても別名を名乗っていれば意味がない。それに数年時間が開いた所為で人相書きも意味がない。肖像画なんて褫爵されて屋敷を処分する時に一緒に廃棄されている。要するに迷宮入りがほぼ確定だった。
今の処、国外情勢に変化はないらしい。普段通り、時折小競り合いはあるものの特に変わった様子もない。時間は掛かったけどアベル伯父様に手紙を送ってリオンが直接確認してくれた。
だけどそれ以外については杳として知れない。結局何もはっきりしないままで友人達に迷惑を掛けたくなくてアカデメイアにも行けず、私はただ実家で悶々と過ごし続けるしかなかった。
そうやってアカデメイアにも行けず一〇日以上が過ぎた頃、私を訪ねてやってきた人達がいた。マリエルとレイモンド、それにマティスとセシルの四人だ。
「――ねえルイちゃん。私、ルイちゃんに見せたい物があるんだけど、何か的みたいなものってない?」
「……的? それって弓矢とかで狙う的って事?」
「うん。出来たら壊れても良い物が良いんだけど」
「え、どうだろ……うちってそう言うのあるのかな……?」
いきなり訪ねてきたマリエルが突然そんな事を言い始める。だけど私はうちでそう言うのを見た事が殆どない。小さかった頃は庭でお父様とお兄様が剣の練習をしているのを見た事はあるけど弓矢を使っているのは見た事がない。それで迷っていると隣でリオンがマリエルに答えた。
「一応、そう言う的はあるよ。だけど弓矢用じゃなくて剣で叩いても壊れない頑丈な物だけど。丸太を幾つか束ねて横にした物だ。パーティで使った中庭じゃなくて家の裏を少し行った処にあるけど……」
「それって壊れても問題ないんだよね?」
「問題はないと思うけど……多分壊れる事自体ないと思うよ?」
「そっか、じゃあルイちゃん。リオン君も一緒に行こっか?」
「……え。僕も?」
私と同じく少し気落ちしていたリオンがキョトンとする。マリエルは妙に明るくて場所も知らないのにスタスタと歩いて行く。それでリオンは苦笑すると私の手を取って引っ張って行った。
リオンが言っていた場所は家から少し離れた処でそこだけ草が無くて地面が剥き出しになっている。踏み固められた土はカチカチでまるで石の上みたいだ。私も知らなかったけれどこれは意図してそう言う風にしたんじゃなくて今まで長い間使い続けられた結果らしい。そしてそんな場所の片隅にリオンが言っていた丸太の的がある。何度も繰り返し叩かれた結果なのか木の目が詰まってツルツルしている様に見える。
「――マリエル、あれだよ。だけど一体何をする気?」
「……よし。んじゃあルイちゃん、手を繋ごっか?」
そこでマリエルの表情が初めて少し緊張した様に見える。彼女は右手を私に差し出してきた。手を繋ぐって……一体何だろう? 訳が分からないまま私は手を出すとマリエルはしっかり掴む。それで全員が見守る中で彼女はおもむろに左手を少し離れた丸太の的へと向けた。
「――いくよ!」
彼女がそう言った瞬間、ドンと言う物凄い音が突然響く。私もリオンも思わず首を竦めてしまうけどレイモンドやマティス、セシルの三人は特に驚いた様子もない。
「まだまだいくよ!」
そう言うと今度は続けて何度もドン、ドンと言う音が響く。一体何の音なのか私には分からない。激しく何かを打つ音が響くたびに首を竦めてしまう。そんな中でリオンが心底驚いた顔に変わった。
「な――まさかマリエル、君がしてるのは⁉︎」
だけどマリエルは何も答えない。じっと丸太の的を睨んでいる。激しく何かを打つ音だけが繰り返し響く。そうして少しすると的に変化が現れ始めた。ツルツルした表面に窪みが出来ている。まるで何かをぶつけたみたいに。そして一際大きい音が響いたかと思うと突然丸太の表面に亀裂が入ってそのまま的の丸太がバラバラに地面に落ちた。どすんどすんと大きな丸太が落ちる音が響く。
「……え……マリエル、今の何?」
一体何が起きたのか理解出来ない。それで私が手を繋いだまま彼女に尋ねるとすぐ後ろにいたレイモンドが話し始める。
「……二人がいて手を繋いでいてもこれだけ威力が出るんだから大成功って言っても良いんじゃないか、マリエル?」
「え……レイモンド君、どう言う事?」
「姐さん。マリエルは姐さん達がアカデメイアに来ない間、軍事教練で言う操体術の修行をずっとしてたんスよ。これは心体法って技法で体内のオド――魔力を直接打ち出す技術なんです」
え、操体術? 心体法? それって前に聞いた覚えがある。確か以前マリエルとレイモンドが話していた筈だ。だけどそれがどう言う物なのか私は具体的に知らない。それで私が目を瞬かせているとマリエルは振り返って嬉しそうに笑った。
「ふぅ……前にルイちゃんが教えてくれたでしょ? ルイちゃんやリオン君、英雄一族の人達の近くだと魔法は使えないって」
「え……確かにそう言った、けど……」
「だから何かあった時はオド――魔力を直接使った方が良いって教えてくれたじゃない? それで私、頑張って練習したんだよ?」
そう言うと彼女は繋いでいた手を引っ張って私を抱き寄せた。ふかふかした胸に頭を抱かれて彼女の声が直接身体から響いてくる。
「……ルイちゃん。私、強くなったよ? もうこの前みたいな事があったって大丈夫。私は殺されたりしない。これだけ強くなったんだから逆にルイちゃんを守る事も出来るんじゃないかな?」
「…………」
「……だから――アカデメイアに戻っておいで。前みたいに皆で一緒にいよう。もう二人が守ってくれなくても皆、大丈夫だからさ?」
そう言われて私は勢いよく顔を上げる。目の前ではマリエルが優しい顔で微笑んでいる。それを見た瞬間鼻の頭がつんとして私は耐えられずに今度は私の方から抱きついて彼女の胸に顔を埋めた。
あの事件の後にマリエルがそんな事を考えて頑張ってくれていたとは思ってなかった。私は自分が狙われているから皆から離れていなきゃダメだと思っていた。じゃないとまたあんな事が起きると思ったから。
なのに……こんな事されたら泣いちゃうじゃん……流石マリエルは主人公なだけはあるよ。どんな困難にも抗って、最後には絶対に勝つのが主人公なんだから。だけど私の為に頑張ってくれると思ってなかった。
凍りつきそうだった感情が溶け出して抑えられない。強く目を瞑っていないと涙が溢れそうだ。それで抱きついているとマリエルは私の頭を撫でて楽しそうに笑う。
「……いやー、頑張った甲斐があったよ。こんなに素直にルイちゃんが甘えてくれるんだったらお姉ちゃん幾らでも頑張れちゃうよ!」
「……バカ……」
「おー、かわええのー、めんこいのー」
だけど茶化した口調で言いながらマリエルは優しく私の背中を撫でてくれる。考えてみたら主人公と悪役令嬢がこんな風に協力する事なんて普通ならあり得ない話だ。それに私は――悪役令嬢はいつも最後は一人で戦うしかない筈だったのに今は皆も一緒にいてくれる。
ああ、この『今』を選べて本当に良かった――そんな風に私は初めてこうなった結果を選択出来た事に感謝していた。