166 存続の危機だった
王宮での事情聴取も一段落した処でやっと私達はアカデメイアへ復帰が検討される事になった。学校の催しの最中に起きた傷害殺傷未遂事件でメリアスの家へ赴いた生徒全員が対象だ。その際には面談が行われる事になった。担当はあのテレーズ先生でそれぞれの面談時間も一切告知されていない。だから私達は顔を合わせる事もなかった。
夕刻前、私はお母様に連れられてアカデメイアに赴いた。今回の面談はリオンも一緒には来られない。テレーズ先生と私の二人きりだ。お母様は廊下で待っている中で私は扉を叩いた。
「――よく来ましたね、マリールイーゼ」
「……え、あ、はい……ご無沙汰してます、テレーズ先生」
「それで……話は聞いていますよ」
いきなりそんな事を言われて物凄く戸惑う。え、話って何? 一体何の話を聞いてるの? 何だか叱られそうな気配だ。先生はいつもみたいに難しい顔をしてるし。だけどここで謝ってしまうと『謝罪しなければならない理由があるのか』と尋ねられて藪蛇になってしまう。それで私は神妙な顔をしてテレーズ先生におずおずと尋ねた。
「……あ、あの……先生、話って……何をご存知なんですか……?」
「ああ、そうでしたね。貴方は知らなくて当然でした」
「もしかして……何か叱られる様な事、なんでしょうか……?」
叱られそうな理由なんて嫌な位思いつく。奉仕活動でも私、勝手に孤児院を飛び出したりしてるし。レミにも謝ったけど結構酷い事を言って傷付けたり。その辺りを言われると言い訳出来ない。だけどテレーズ先生は顔を強張らせる私を見ると小さく笑った。
「……王宮で話題になっているのですよ。投獄されたジェシカ・ゴーティエに説教をしたそうですね。それを聞いていた騎士達が随分と感銘を受けたらしく陛下のお耳にまで届いたそうですよ?」
「えっと……説教、ですか?」
「……貴族とは王家に対して実績を積み重ねる者。その実績こそが王家が認める物であり、だからこそ貴族は貴族でいられる。一番貴族らしくない貴方が誰よりも貴族の本質を理解しているのは複雑ですが、それも貴方らしいと言えば貴方らしいのでしょうね」
そう言ってテレーズ先生は苦笑する。だけど私は何とも言えず誤魔化す様に笑うしか出来ない。だってあれは別に説教した訳じゃないし単に私の中にあった不満をぶちまけただけだ。元々貴族の子供がアカデメイアでも偉そうにしているのが好きじゃなかったし、変なプライドばかり大きくてまともに話すら出来ない。
私はアカデメイアに入ってから色々噂された。魔王と呼ばれた事もあったけど、でも面と向かって言った人は殆どいない。私に悪意をぶつけてきたあの先輩の方がマシだ。陰口を叩くんじゃなくて直接私に感情をぶつけた。殺そうとした事は絶対許せないけど立場に関係なく伝えただけ遥かにマシだ。
親が貴族だから子供の自分も偉いだなんて筈がない。親は何かを成したから周囲が認めてくれた。子供は親への期待を背負っているだけで同じかそれ以上の能力が求められている。なのに親の功績を自分への評価みたいに自慢するのは私にとっては恥ずかしい行為でしかない。
もしかしたら叔母様の元で育った所為かも知れない。あの家は訪れる人もいなかったし公爵家の人間として特別扱いされなかった。周囲にいたのはリオンや身内ばかりで誰が偉いとか意識した事も無かった。もし実家にいたままならお父様やお母様に会いに来る貴族もいただろうし私に友人を作る為にお茶会を開いて招待したりされたりもしただろう。
だけど私はそうはならなかった。生き延びる為に選んだ事だったけどテレーズ先生が言う様に貴族らしくはならなかった。私は貴族から一番遠い貴族かも知れないけどその分色々と気付く事が出来た。
「――それとこれは貴方に伝えるべきではない事ですが、敢えて話しておきましょう……元男爵家令嬢、ジェシカ・ゴーティエは処刑を待たず、牢獄の中で自害して果てたそうです」
「……そう、ですか……」
「話によると貴方と面会してから憑き物が落ちた様に穏やかで落ち着いていたそうです。何度も両親に対して謝罪の言葉を繰り返しながら……」
あの先輩が自殺した――だけどそれを聞いても私は余り何も感じる事は無かった。私と大事な人達を殺そうとした人だ、例え反省しても許される事じゃない。だけど私と話をして思い直し、自分のした事にけじめをつけた。だからこれ以上私はあの先輩を憎まないし恨んだりしない。
それでも一度でも関わった人が私の言葉で命を落とした。それだけは重く心にのしかかってくる。それで言葉が出ずに俯いて考え込んでいると不意にテレーズ先生が私の手を取って頭を下げた。
「……マリールイーゼ、貴方に感謝を」
「……え?」
「あの娘を正しく導くべきは本来、私達教導師です。なのに結局私達は何も出来ませんでした。それ処かそれを貴方にさせてしまった。子供に教える立場でありながら、最も大切な事をその子供に教えられました」
「……いえ……」
「きっとジェシカも――あの子も思い出せたのでしょう。かつては立派な貴族になろうと頑張っていた事を。それを私はきちんと導いてやれなかった……これは私の背負うべき罪です。だから貴方は彼女の事を背負わないで頂戴。貴方は貴方らしく、これからも過ごしてください」
そう言うテレーズ先生の声は少し震えている様に聞こえる。窓から差し込む夕陽で影になって先生の表情は見えない。もしかしたらあの先輩は私やエマさんみたいにテレーズ先生にとっては直接の教え子だったのかも知れない。そう考えると少しやりきれなかった。
だけど背負うべき責任はその人だけの物だ。以前、クラリスが私に言った事を思い出す。責任を背負う事は罪を背負うだけじゃなくて思いを受け継ぐ事でもあるからだ。だから私は『はい』とだけ答えた。
「――さて、私からのお話はこれでお終いです」
「……そうですか……」
「最後に、アカデメイアの総意を貴方に伝えねばなりません」
「……えっ? アカデメイアの総意?」
えっ? ちょ、待って? 先生の話じゃなくてアカデメイア全体から私に言う事って何? まさか事件起こし過ぎだから放校処分とか?
それでびくびくしながら言葉の続きを待っているとテレーズ先生は優しく笑いながら口を開く。
「これは先程お話した事と関係がありますがアカデメイアはアレクトー公爵家令嬢、マリールイーゼ・アル=クレメンティア・セドリック・オー・アレクトーに対して正式な感謝を述べさせて戴きます」
「……へっ?」
「貴方の説教が陛下のお耳に入ったと言いましたね? アカデメイアはその時点で閉鎖が決定する処だったそうです。ですがマリールイーゼの話が出て、その様に考えられる生徒を育成出来る場ならアカデメイアを存続させた方が良いのではないかと言う声が挙がったそうです」
「え、ええと……はあ……」
「その結果、満場一致でアカデメイアの継続が決定しました。勿論貴方がアレクトー公爵家令嬢で英雄の娘だと言う事も大きいでしょうが実質貴方自身の言葉が大勢の重鎮達の心を動かしたのです。きちんと貴族の義務を果たせば王国は評価する――その事例を挙げた功績として貴方に勲章授与の話も出たそうですよ? 流石に陛下が止めたそうですが」
「……うへぇ……ま、マジですか……?」
「ええ。マジもマジ、大マジと言う話です」
いつもなら変な言い方は絶対にしないテレーズ先生が私の言葉を引用して繰り返す。と言うかちょっと本音をぶちまけただけなのにここまで大ごとになっているだなんてチョロい――もとい、大丈夫かこの国?
「まあ、今はアカデメイアの生徒ですからね。勲章授与は流石に陛下もお止めになりましたがアカデメイアでは貴方を最優秀生徒として扱う事も検討されています。そうなれば規範として全生徒だけでなく全教導官からも注目されるでしょうから今後振る舞いも大切になるでしょうね」
――あ、これ……あかん奴。ほんとにあかん奴だ……。
要するに立派な人として注目されるからきちんと立派な人として振る舞える様になりなさいって言うテレーズ先生からの忠告だ。褒められた様に見せかけて実はそうじゃない奴。だけどレディクラフトで師事していて何度も教えられた事だ。人間、振る舞いを一番最初に見られるからそこで失敗すれば悪い印象を持たれてしまう。だから私はこれまで以上に尊敬されるに相応しい人物として振る舞えなければいけない。
「……あ、あの……テレーズ先生、それって辞退する事は……」
「無理ですね。何しろ今では王宮でもマリールイーゼの名を知らない者がいない位です。英雄セドリックと元王女クレメンティアの娘ですから余計に注目を集めています。もう、逃げる事自体が不可能ですね」
「……あ、あう……」
え、何これ……これまで凄く大変で面倒で散々な思いをしてきたのにオチまでこれ? なんかこれ、私だけが凄く損をしてない?
「……まあ、普通の貴族なら大喜びして即座に受ける話ですが。貴方はこれが嫌で仕方ないのでしょうね。一番貴族らしくない娘ですから」
「……ううっ……先生、分かってて言ってますよね……?」
「貴方が言う処の実績を積んでしまったのですよ。今後その実績を利用しようと旗に掲げる者も出てくるでしょう。否が応にも表舞台に引っ張り出される事もあります。アンジェリンの様にね? ですから頑張って利用されない様にしなさい。その為のレディクラフトですよ?」
「……はい……なるべく、努力、します……」
そんな感じで全員の復学が認められて……だけど正直、私は家で引きこもっていたい気持ちで一杯だった。今まで注目されない様に努力してきたのに何もかも逆になってる気がする。それで苦悩する私をテレーズ先生は楽しそうに、穏やかに眺めて微笑むのだった。