161 凄いお父さん
材料の準備が出来て後は焼くだけになった。マリエルとマティスは女の子達と懸命にかき混ぜ続けて今はぐったりと疲れた様子だ。作業している最中は黙々と作業していて私もレミと余り話していない。それで私はクラリスに焼き方を説明してレミと色々話してみる事にした。
どうしてこんなに気になるのかと言うと、やっぱり一人だけ持っている空気が違うから……だろうか。陰があるとはちょっと違うけどレミは変に落ち着いていて五歳の初めて会った頃のリオンとよく似ている。
「――それでレミはどうしてこっちに来たの? お菓子とか料理を作るのが好きなの?」
「……うん。父さんは料理人で食べ物屋をしてたんだ。だけど店が潰れちゃって。だから僕も大人になったら料理人になりたいって思ってる」
私が尋ねるとレミはすぐに答えてくれる。歳不相応に落ち着いているけど捻くれてない素直な良い子だ。髪の色も髪型も似ているしリオンが小さかった頃と本当にそっくりだ。まあ流石に顔立ちは違うけど。
クラリスが焼いてお皿の上にどんどん積み重なっていく。その横で私はレミとずっと話していた。レミの話は殆どがお父さんの話ばかりで自分の事は殆ど話さない。だけど五歳の子供だし自分の事なんてそんなに話す事を思いつかないだろう。そう思って私は頷いて話を聞いていた。
だけどそんなお父さんが家を出た話に差し掛かった頃だ。その行き先の地名を聞いて私は首を傾げる。
「――それで父さん、トロメナスっていう処に行ったんだ。お店の借金もあったし僕もいたからお金を稼がなきゃいけなくて。僕を近所の小母さんに預けてさ」
トロメナス――それは以前聞いたイースラフトの地名だ。かつて他国が英雄を討伐する為だけに起こした戦争があった場所でアベル伯父様やジョナサン、エドガー、それにレイモンドも参戦していた。英雄として有名なアベル伯父様を倒す為だけに起こされた戦争で、分散した戦場があちこちで発生した。これに対して英雄一族側は総力戦を仕掛けて全ての戦場を完全に押さえ込んだ。そしてこの戦争にはお父様とレオボルトお兄様も参戦していたと聞いている。
そして……大勢の一般兵も命を落とした。稼げない平民が一番簡単にお金を稼ぐには兵士に志願するのが一番早い。従軍すれば従軍手当てが貰えるし戦功をあげれば追加報酬が貰える。そして命を落としても身内がいれば一定の金額が支払われる。だから家庭を持った父親も多い。
そこで私はやっとレミのお父さんがトロメナスで亡くなったんだと言う事に気が付いた。レミは何て言った? ここに来るまではお父さんが育ててくれた――だけど今はもういない。だからここにいる。私はレミのお父さんがまだ生きていると思い込んでいただけだった。
レミはお父さんの事を自慢するみたいに話してくれた。きっとレミはお父さんが大好きだったんだろう。なのにそれを思い出させる様な事を私は尋ねてしまった。それはきっと傷を抉るみたいな事だ。それで私は思わずまだ五歳の男の子を抱き寄せて胸にしっかりと抱えた。
「……え、何だよ、姉ちゃん……?」
「……ごめんね、レミ……お父さんの事、悲しかったよね……」
だけど私がそう言った途端レミは暴れ始める。私の腕を振り解くと彼は初めて怒りの浮かんだ顔を私に向けた。
「……悲しくなんかない! 父さんは凄い父さんだった!」
「……え……」
「僕の父さんは英雄と一緒に戦った! 英雄の人が言ってた! 父さんは凄かったって! 英雄に覚えられる位僕の父さんは凄かったんだ!」
「…………」
「父さんは帰って来なかったけど、英雄が僕の処に来た! 父さんから僕の事を聞いたって謝ってくれた! だから僕は可哀想じゃないし父さんがいなくなっても悲しくなんかない! 僕は凄い父さんの子供だから父さんみたいに凄い男になるんだ! それを可哀想みたいに言うな!」
五歳の男の子が突然怒鳴り始めて厨房の中は騒然とする。片付けを始めていたマリエルやマティスも手を止めて見ている。孤児院の女の子達も驚いてレミを黙って見つめている。そんな中私の腕を振り解いたレミは顔を真っ赤にして怒っていた。
やがてレミは厨房から飛び出して行ってしまう。それで一瞬動けなかった私にクラリスが声をあげた。
「――お姉ちゃん、行ってください! 後は私だけで大丈夫だから!」
「え……うん、お願い!」
それで私も慌てて立ち上がるとレミを追って駆け出す。視界の端ではマリエルとマティスが顔を見合わせて頷いているのが見える。だけど私は兎に角レミに謝らなきゃいけないと必死だった。
私は全然知らなかった。両親を亡くして孤児院で暮らす子供は可哀想だと思っていた。だけどそうじゃなかった。彼らは――レミは父親の事を本当に誇りに思っている。だから本心では悲しいと感じても踏ん張って前を向いて生きている。尊敬する父親みたいな大人になる為に。
きっと私は英雄――お父様が築いた物を台無しにしてしまった。彼らは可哀想なんじゃない。誇りを持って強くなろうとする人間が可哀想である筈がない。この孤児院の子供達が明るいのはきっと大人になる将来の自分を見据えているからだ。可哀想な自分達と思ってないからだ。
私は大人に成れないかも知れない。私の知る限り、私は死ぬ運命にあったから生きて大人になる将来が想像出来ない。そんな自分と重ねてレミに同情したのかも知れない。だけどそれは本当に失礼な事だった。
――やっぱり私は世間知らずだ。世の中の事が何も分かってない。
自分を苦々しく思いながら私は必死にレミを追い掛ける。孤児院の建物を飛び出して離れていく小さな影を見失わない様に。
これが私のやってしまった、二つ目の間違いだった。




