160 メリアスの家
「――姉ちゃんはお貴族様?」
「えっ? うん、一応ね?」
「一応だなんて変なお貴族様だなあ」
「だよねー。そんな事言う貴族の人なんて見た事ないし」
私が答えると子供達は楽しそうに笑う。それが私には不思議で仕方がなかった。空気と言うか、子供達が纏う気配に薄暗い処が微塵も無い。
メリナスの家――意味はトネリコと言う木の意味だ――に到着して私は驚かされる事ばかりだ。孤児院だと聞いていたからもっと悲しい気配が漂っているのかと思ったら全然そんな感じがしない。親が死んで孤児になった子供達が集まる場所だから心の荒んだ子供がいるのかと思っていたけどそう言う事もない。男の子も女の子も皆とても明るかった。
それにはリオンも少し驚いたみたいでまだ幼い子供の世話をしている女性に尋ねる。子供達から先生と呼ばれる女性で彼女以外にも大勢いて孤児院で子供の相手をしている。来る前は二、三人かと思っていたけど一〇人以上いるみたいだ。
「あの……ここの子供達ってどう言う子が集まってるんですか?」
「ああ、ええとですね。ここは孤児が多いですが戦災孤児だけじゃなくて事故や病気で親が亡くなった子も多いんです。それに孤児以外にも父親を亡くした片親の子も多いです。母親が元気なら日中は働きに出ていますし夜は家に戻る子も結構いますよ?」
「え、そうなんですか? グランドリーフの孤児院って何処もそんな感じなんですか?」
「どうでしょうねえ。でもここは英雄様が運営されていらっしゃる孤児院ですし時々訪ねて来て子供達の相手もして下さいます。それに奥方様もよくいらして子供達にお菓子を作ってくださるんですよ?」
それは私にとってちょっと意外だった。だってお父様は王様といつも一緒だと思ってたしお母様もいつも家にいると思っていた。私はずっと叔母様の処にいたし戻ってからすぐアカデメイアに行ってしまったから知らなくても当然だけどもう世間知らずと言われても否定出来ない。
「――お姉ちゃん、そろそろお菓子を作り始めますか?」
「そうね、クラリス。キッチンはどうだった?」
「ここのキッチン、かなり本格的ですよ。凄く広い上に石窯のオーブンまでありました。もう何でも作れちゃう気がしますね」
「そっか。それじゃあ準備しちゃおっか。マリエルとマティスも一緒に作ってみる?」
だけどそう尋ねると二人は少し怯えた表情に変わる。
「……ルイちゃん……私、お菓子の作り方知らないんだけど……」
「う……実は私も……あんまりお料理得意じゃないんだけど……」
うん、何となく予想してた。マリエルは普通の料理は割と作れそうだけどお菓子なんて貴族御用達みたいな処あるしね。庶民向けのお菓子は実は余り種類がなくて果物をそのまま食べる習慣が多い。それにマティスはパワー寄りで料理より剣で戦う修行ばかり重視してそうだ。
「大丈夫、力仕事も沢山あるし。流石にここの人数分作るとなると私とクラリスの二人だけじゃ全然足りないよ。そんなに難しくないから二人も一緒に作って覚えちゃえば良いよ」
そう言って笑いながら私達はキッチンへ向かう。この孤児院には子供が二十人近くいるけど面倒を見る先生は十五人もいる。子供が三歳から七歳位が大半だけど乳幼児も数人いて交代で世話をしている。女性職員が十一人もいるのはきっとその為だ。となると四〇人分くらいを準備しないと圧倒的に数が足りない。
「それで……ルイーゼお姉ちゃん、今日は何を作るです?」
「んー、普段は石窯のオーブンなんて使えないし量も沢山だからきっとアマレットが良いと思う。小さいお菓子だし沢山作れると思うから」
「……アマレット?」
「うん、鶏卵の白身を使ったお菓子。作るのも簡単だしジャムも色々と準備してきてるからすぐ覚えられるよ。それと今回はバタークリームも作って入れてみるつもり。ちょうどまだ寒い時期だし本当なら乳製クリームも作ってみたかったんだけど、あれはちょっと高いから――」
だけどそう言いながら私は辿り着いたキッチンを見て激しく脱力する事になった。と言うかこれ……完全にうちのキッチンと同じじゃん!
そっか、お父様やお母様が関わってるのなら使い易いうちと同じ構造にするよね。棚からテーブルから、オーブンの位置も同じだ。と言う事はきっと調理道具も完全に同じだろう。貴族と違って平民は魔法を学ぶ事がないからうちと同じでも問題はないけどさ?
「ん? お姉ちゃん、どうしましたか?」
「……何でもない……取り敢えず、準備、始めよっか……」
「よーし、ルイちゃん、指示してね! 私頑張るよ!」
「わ、私も! ルイーゼさん、よろしくお願いします!」
こうして早速私達はお菓子を作る為に準備を始めた。
アマレットと言うのはメレンゲを使ったお菓子で日本ではマカロンと呼ばれていた気がする。勿論作り方はクローディア叔母様直伝だしマカロンなんて名前だけで殆ど知らないから見た目だけそれっぽい感じなだけだ。それに作るのは簡単で、むしろその為の材料を準備する方が大変だ。
うーん、だけど私、本当に貴族で良かった。大量の鶏卵がキッチンに運び込まれていてバターも冷暗所に置かれている。ちょっと作るだけならそこまで大変じゃないけど卵やバターって結構高価だ。
そして私達は早速準備に取り掛かった。一応小さい子もいるから蜂蜜は使わない方が良い。だから砂糖の代わりにジャムを使う。ここでは甘味と言えば果物が基本で煮詰めたジャムは結構甘い。今回は十種類以上のジャムを大量に準備しているから数も余裕で足りるだろう。問題はそれらを入れてひたすら掻き混ぜる重労働だけどマリエルとマティスがいるしそれも大丈夫だ。一応飛び散らない様に混ぜ方を教える。
そうして準備をしていると子供達がキッチンにやってきて興味深そうに眺めている。殆どが女の子だけど男の子も数人いる。そう言えば私も昔、叔母様が料理してるのを見て手伝わせて貰ったな。それがきっかけで色々な料理を教えて貰ってお菓子の作り方も覚えたんだっけ。そんな事を思い出しながら戸口の子供達に声を掛けた。
「……興味あるなら一緒に作ってみる?」
「え……いいの?」
「うん、いいよ。それ処か沢山作らなきゃいけないから手伝って欲しい位かなあ? 皆で作ればきっと早く完成するしね?」
それで子供達がキッチンに入って来る。だけど一人だけ男の子がいてそれも一番幼い。四、五歳位? 栗色の髪で利発そうな男の子だ。昔、初めてリオンと出会った頃を思い出す。他の女の子は六、七歳で最初はセシルみたいにお姉ちゃん達と仲が良いのかと思っていたけど一人だけ黙々と作業を始める。それも妙に手際が良い。クラリスもそれに気付いたらしく驚いた様子で男の子を見つめる。
「……卵、割るの上手ですね?」
「……うん……」
「それも黄身と白身に分けるのも凄く上手いです」
「……うん……」
だけど男の子はまともに返事をしない。クラリスは男の子の顔を見てそれ以上は何も尋ねない。男の子は拗ねている風にも見えないし集中している様にも見える。その様子はやっぱり昔、初めてリオンと出会った時みたいで妙に気になる。そう言えばあの時のリオンも五歳だったなあ。
「……ねえ。坊や、名前なんていうの? 私はマリーっていうの」
「……僕? 僕はレミだよ」
「へえ、良い名前じゃない。レミは五歳位?」
「うん、五歳だよ。母さんは僕が生まれた時にすぐ死んじゃって父さんが名付けてくれた。ここに来るまでも父さんが育ててくれたんだよ」
そう言って男の子――レミは少し嬉しそうに笑う。だけど何処か素直に喜んでいる感じには見えない。この子は何と言うか、ここに来る前に私がイメージしていた孤児院の子と言う印象が強い。暗くはないし素直で真面目そうだけど何かを引きずっている様な感じがする。それに他の男の子達はリオンやセシルの元に集まって剣の練習を楽しそうに見ている。なのにこの子だけは一人、調理場に来ている事にも私は疑問に思っていなかった。
この時私はレミの言葉を深く考えなかった。もっとちゃんと聞いていれば事情なんてすぐ気付けた筈なのに。だからきっとレミが事件の発端に繋がるのは私の所為だ。私はもっと考えるべきだった。