138 意外と大問題
海で溺れて目を覚ましてから五日後、王宮からお迎えが来た。本当なら後一週間は滞在する予定だったけど仕方がない。バスティアンは侯爵家の仕事があるからルーシーと一緒に残る事になった。マティスとセシルは私に遠慮して一緒に帰ろうとしたけど説得してバスティアン達と残る事になった。だって溺れて伯爵家や子爵家、それにマリエルのお義父さんまで巻き込んだ騒ぎになったのは全部私の所為だし、折角楽しい旅行なのに私の所為で台無しにしたくない。
ただ、マリエルとクラリスだけは頑として聞き入れなかった。私とリオンに付いていくと言って最後まで譲らなかった。私としては余りマリエルを王家に近付けたくないけど本人の達ての希望と言う事もあって断る事も出来ない。結局、バスティアン達はティーシフォン男爵家から侯爵家の別荘へ移る事になった。
私を迎えに来たのは王室の馬車で、護衛の騎士が八人もいて物凄く気不味い。その上全員がお父様の部下で私を見る目が妙に生暖かい気がする。それに私の身体が弱い事も周知されていて来る時は三日だったのに帰りは頻繁に休憩をとって五日も掛かった。バスティアンの家の馬車が特別製だった事を思い知る事になったけど流石は王家御用達の馬車で快適さで言うとそれ以上で私も倒れる事は全く無かった。
そして何より驚いたのが実家ではなく直接王宮へ連れて行かれた事だった。私は王都の街自体行った事がない位だから当然王宮になんて足を運んだ事がない。だから実際の王宮がどんな処なのか知らなくて厳重な警備の中、ある部屋に連れて行かれる。それで私とリオン、マリエルが案内されたのはとある広い一室だった。
「……マリー!」
部屋に入った途端、テーブルに腰掛けていた女性が立ち上がって私に駆け寄って来ると突然抱き寄せられる。それはアンジェリン姫だ。
「え……お姉ちゃん?」
「もう! 溺れたって聞いて物凄く心配したのよ!」
「ええと……もしかしてお姉ちゃんが私を呼んだの?」
私が尋ねると奥にある衝立の向こうから声が聞こえて来る。それはお母様の声だった。
「――違います。ルイーゼ、ちょっとこっちに来なさい」
なんだか珍しく物凄く不機嫌な声だ。それでアンジェリン姫に手を引っ張られていくとそこにはお母様とお父様、それにアレックス王とシルヴァンの姿まである。それに見た事のない可愛らしい感じの中年女性がお母様の隣に座っている。
「……クレメンティア、先に私に紹介してくれないの?」
「ああ、義姉上、申し訳ありません」
……あねうえ? お母様の兄弟は王様しかいない筈だ。それで反応出来ずにいるとその女性が私の元に近付いて来る。黙って見上げているとテーブルの方でお母様が静かに口を開いた。
「……ルイーゼ。こちらはお兄様――アレックス陛下の奥様で現王妃のマリア様よ。マリア様、娘のマリールイーゼです」
「え……お、王妃、様……?」
と言う事は――アンジェリン姫とシルヴァンのお母様⁉︎ え、どうしてそんな人がここにいるの? ってまあ王宮の中だし王様もいる訳だからいてもおかしくはないんだけど理由が分からない。それで固まっているとマリア王妃は私を抱き寄せる。
「まあ、本当に可愛らしいわね。初めまして、マリールイーゼ。私の子供達がいつも色々と迷惑を掛けてごめんなさいね? 流石に公式の場で顔合わせをする訳には行かないから今回はアンジェの部屋に来て貰ったのよ。ほら、貴方は女の子ですからね。シルヴァンの部屋に招いたとなれば臣下達が早合点をしてしまいますからね?」
「……は、はあ……えと、初めまして、マリールイーゼです……」
シルヴァンの部屋だといわゆる交際を疑われるから、と言う事は何となく理解出来た。だけどどうしてこんな風に両親とロイヤルファミリーが勢揃いしてるのか全く分からない。それで反応出来ずにいるとお母様が近付いてきて私の前にくると腕を組んで見下ろす。
「……それでルイーゼ。貴方から報告を受けていないのだけど?」
「……えっ? えと、お母様、それはどう言う……?」
「貴方、グレフォールに行くって連絡してないわよね? リオン君が伝えてくれたけれど貴方自身からは何も聞いていません。何かあればお母様やお父様に連絡するって約束を忘れたのかしら?」
「……あっ!」
それでやっとお母様が不機嫌な理由が分かった。以前、声が出なくなった時にお父様から言われた事だ。何かあれば必ずお父様かお母様に連絡する様に、って。だけどあれは確か、何か困った事になった時にって言ってた筈だ。それで黙ってお母様を見上げていると今度は王様の隣に座っていたお父様が近付いてきて私の後ろで固まっていたマリエルに声を掛ける。
「……君がマリエル・ティーシフォンさん、だね。娘を助けてくれたと聞いているよ。ありがとう、君には本当に感謝しているよ」
「え、あの……いえ、別に、私は何も……」
「しかしまさか君が助けてくれるとは思っていなくてね。少し驚いているんだ。まさかルイーゼの友人になると予想していなかった」
だけどお父様のその一言に何か引っ掛かる。それで目を瞬かせていると何かに気付いたらしいリオンが近寄ってきて私に耳打ちする。
「……リゼ、叔父さん達はマリエルの事を知ってる」
「……え、どう言う事?」
「リゼは昔、うちの父さんにマリエルの事を話しただろ? 当然父さんは叔父さんに連絡してる。なら叔父さんも彼女の事を調査してたに決まってる。きっとマリエルは要注意人物だった筈だよ」
そう言われてやっと私は理解出来た。昔、私はマリエルが関係して私の命に危険が及ぶ事を伝えている。四歳の時点で彼女の名前を完全に伝えていた。マリエル・ティーシフォン――その名前が分かっていれば公爵で王様の側近であるお父様が調査していない筈がない。
道理でマリエルが一緒に付いて来る事に騎士の人達が全く反対しなかった訳だ。きっと最初からマリエルも連れて来る様に指示されていたに決まっている。私やリオンは勿論、立場が特殊なクラリスと違ってマリエルは泡沫貴族と言われる男爵家の養子だ。そんな立場の子が王室御用達の馬車に同乗を許される訳がない。どうして騎士が八人もいたのか。マリエルが抵抗すれば制圧するつもりだったんだろう。
公爵家の私が招待されて遠い土地へ赴き、そこで海に落ちて溺死しそうになった――それを助けたマリエルは疑われる。下手な三文芝居みたいだけどそれが普通に起こり得るのが貴族の世界だ。ましてその名前が完全に予知されていれば警戒されても不思議じゃない。
「――お父様! マリエルは私を助けてくれたの! だから……」
私が必死に見上げてそう言うとお父様は私の頭に手を乗せる。安心させる様に穏やかに笑うと私に話し掛けた。
「……大丈夫、分かっているよルイーゼ。騎士を八人付けたのは要人警護では必ず一人につき二人と決まっているからだ。君達は自分達の事を軽視し過ぎている。英雄一族でも国の重要人物である事を忘れてはいけない。それにリオンの父上、アーサー殿から聞いた話だけでは情報が少な過ぎる。だから直接話を聞きたくてね。陛下やお妃が同席しているのはお前が公爵家の、私の娘だからだと言う事を自覚しなさい」
それは私が考えた事の半分は当たっていた事を告げている。最初からマリエルも一緒に連れてくるつもりだったって事だ。陛下達王家の人達が勢揃いしているのは公爵家の私に関わる事件だから。王族扱いでは無くても王家の血を受け継いでいるからだ。
私は緊張しながら振り返った。マリエルはきょとんとしたまま首を傾げている。お父様達は私やリオンが知っている事を知らない。何とかマリエルが疑われない様にしないと不味い。普段は意識していないけれど今回の事件は意外に大きな問題も抱えている。
リオンの顔を見ると、彼は真面目な顔で私に頷いて返した。