132 主人公と悪役令嬢
「――ルイちゃん、もう体調は大丈夫?」
「うん。私は大丈夫」
そう答えるとマリエルは嬉しそうに笑う。だけど私はとても笑える心境じゃなかった。少し離れた処でリオンも何か言いたそうな顔だけど何も言わない。彼女の過去を聞いてしまって当然の反応だった。
マリエルはそのままクラリスやマティス、セシルの方に行って話し始める。だいぶ親しくなったのか抱きついたりしている。そう言えば私にも割と平気でくっついて来てたっけ。でもそれはルーシーやセシリアに対して絶対にしない。基本的にマリエルがそう言う接し方をする相手は歳下に見える相手だけに限られているからだ。
男爵の話によるとマリエルは五年程前――私と出会った四年前に津波で家族を失ったそうだ。グレフォールからもっと西にある漁村で津波の影響はこの街には無かったけど西側一帯は相当被害が出た。
家族だけじゃなくて集落で生き残ったのはマリエルたった一人で他の全員が死亡している。ビクター男爵率いる騎士団が駆けつけた時にマリエルは一人で集落の人々の遺体を浜辺に引き上げて並べていたそうだ。その中には彼女の両親や幼い弟妹の亡骸もあった。
そして彼女が一人だけ助かったのは彼女自身の魔力に依る物だと判明した。そもそも津波で沖合まで流された遺体が潮流に乗って戻ったとしても集落全員の遺体が戻る事は無い。それがマリエルの魔力に依る物だと判明した時には既に男爵が彼女を養子として迎え入れた後だったそうだ。彼女をアカデメイアに入学させたのもそんな才能を何とか使いこなせる様にする為で、丁度その頃特待生制度の実験運用があったから受験したものの彼女は不合格になってしまった。
「――リゼ。正直僕はマリエルに同情している」
リオンは私に近付くと耳元でそう呟いた。
「……うん。だけど……私の選択の所為でマリエルの運命が変わったかどうか、ちょっと分からないのよね」
「うん? それは……リゼの英雄魔法の影響が、って事?」
「うん。マリエルが酷い過去を経験した結果、男爵の養子になったのは分かったけど……元々マリエルがティーシフォン家の養子になると私は知ってたのよ。なら彼女は私の選択に関係なく最初からこの運命を辿る事になってたのかな、って……よく分からないんだよね」
「そうか……そう言えばそうだね。リゼがうちに来て父さんや母さんに話した時点でティーシフォンって名前は出てた。でも多分、あの時点で男爵はまだ男爵じゃなかった筈だろうからね」
リオンはそこで少し考え込む。私の所為でマリエルの運命が変わった訳じゃないと言うのは確かにホッとする部分だけど、だけどその過去が余りにも悲惨過ぎてとても喜べない。
私の記憶や知識は自分でゲームをして得た物じゃない。もしかしたらちゃんと遊んだ人ならマリエルの境遇は知っているのかも知れないけど、主人公の過去としてはちょっと残酷過ぎる。まあ、絶対に悲惨な死に方をする私を考えた人達の作ったお話だから主人公のマリエルがそんな経歴があっても不思議じゃないんだけど。それでも限度って物があるでしょ。何よりマリエルはまだ立ち直れていないと思う。
「……だけどリゼはどうして不機嫌なのさ?」
「それは……マリエルが気持ち悪いからよ」
「……それは……」
私がそう答えるとは思わなかったんだろう。リオンはギョッとした顔になると私の横顔をまじまじと見つめる。私は構わず続けた。
「……あの子、まだ気持ちに整理が付いてないのよ。前からおかしいとは思ってたんだけど、誰かを好きになる余裕はないって言ってたしやっと腑に落ちた感じ。私やクラリス、マティス達への構い方が歳下の弟や妹を相手にしてるみたいなのもきっとそれが原因だと思うよ」
「……それだけ分かるのに、どうして気持ち悪いと思うんだよ?」
それで私はリオンの顔を見つめた。
「そんなの決まってるでしょ? 辛いのにどうして笑うのよ? 辛いなら無理に笑う必要なんてないじゃない。そりゃあ辛いのを誤魔化す為に笑う事はあるよ? だけどあの子の笑い方は自分の為じゃなくて他人の為でしょ? 苦しいのに我慢して笑うのが気持ち悪いのよ」
「……そうか。それでか……」
「大体境遇が違い過ぎて同情出来ないのよ。辛いのは想像出来るけど分かった顔で慰めたりなんか出来ない。だからきっとマリエルだって私に同情出来ないと思う。私とあの子の辛さは種類が違うもの」
そう言うと私は何処かスッキリした気分になった。まるで胸に支えていたどうにもならない気持ちを吐き出した気分だ。だけど落ち着いてみるとマリエルはやっぱり可哀想だと思う。初めて会った時に彼女が言った独り言の『死にたい』は多分、死んだ家族の後を追いたいと言う気持ちもあっただろうから。だからきっと男爵も危ういマリエルを放っておけなくて養子にしたんだろう。
でもそれが彼女から逃げる道を奪ってしまった。周囲に心配されて明るく振る舞うしかなかった。しがない平民だった彼女は同情されて貴族の子供になった。きっと特待生の試験を受けたのだって男爵に恩返ししなきゃいけないと考えたからだと思う。
じゃあ私に何が出来るかと言われると――そんなの一つしかない。
「それで……リゼはどうすれば良いと思う? 正直僕もどうすれば彼女が楽になれるか、考えつかないんだけど……」
「まあ、私は……ライバルになるしかないんだろうけど」
「うん? ライバル?」
「うん。友達だけど競える相手って意味で、だけどね」
そう――彼女は主人公で私は立ち塞がる悪役令嬢だ。なら私に出来るのは彼女の前に立ち塞がる以外にない。今のマリエルに欠けているのは自分の為に頑張れない事だ。行動基準が誰かの為過ぎて自分の為に努力出来ない。辛い時はどんなに慰められても絶対立ち直れない。
視線を向けるとマリエルは笑っている。だけど事情を知った後だとまるで夢を見ているかの様に淡くて儚い虚ろな笑顔だ。手を伸ばそうとしては再び降ろすのを繰り返している。気付かなかったけど今まで私と触れ合う時もそうだったんだろう。もう幾ら手を伸ばしても両親や弟妹には絶対に届かない。そして話していたクラリスが私の元にやってくる。
「……ルイーゼお姉ちゃん。今日、連れていって貰った市場、色々凄かったのですよ。見た事のない食べ物も売られてたのです」
「……うん、そっか」
「明日は絶対にお姉ちゃんも行きましょう。折角ここまで来たんですから、体調が良ければ皆で一緒に行きましょう。きっと楽しいです」
クラリスも少し興奮しているみたいで魔眼を使う事も忘れているみたいだ。そんなクラリスの肩越しに、マリエルが羨ましそうに懸命に話す小さな背中を見ている。
「……んじゃあ明日は皆で行こうね。私も体調がだいぶ良くなったし多分明日は大丈夫だろうから。マリエルお姉ちゃんに連れて行って貰った処に皆で一緒に行こうね」
そう言うとマリエルの顔から羨ましそうな表情が消えて嬉しそうに笑うのが見える。それで何が必要なのか少し分かった気がして首を竦めると私も小さく笑った。