131 マリエルの過去
目が覚めると見た事のない天井があった。背中に感じるのはベッドの柔らかい感触だ。だけど最後の記憶はあの馬車の中にいた事しか覚えていない。それで戸惑っていると部屋の扉が開いた。
「――あ、リゼ。起きた?」
「え……あ、あれ、リオン?」
入ってきたのはリオンだ。もしかして私、また倒れた? だけどいつも倒れた時とちょっと反応が違う。いつもはもっと心配そうなのに今回は妙に落ち着いている感じがする。それで何とも言えず目を瞬かせているとリオンが笑った。
「覚えてない? 車台でリゼ、寝落ちしたんだよ」
「え、寝落ち?」
「うん。初めての旅行で結構はしゃいでたみたいだし、今回は倒れたって言うより体力の方が先に尽きた感じだよ。元々リゼは体力が無いんだからもうちょっと注意しとくべきだったよ。本当にごめんね?」
それを聞いて思わず頬が熱くなる。まさか私がはしゃいでたなんて全然自覚していなかった。まあ、確かに夜もすぐに寝付けなかったし枕が違うからだと思っていたけど今回の旅行は私の人生で初めて経験する『生きる為』じゃない行動だ。楽しみじゃなかったと言えば嘘になる。だけどそれよりも聞いておかないといけない事があった。
「……あ、あの、リオン……?」
「うん? 何、どうしたの?」
「あの……もしかして、今回もリオンが私を運んだの?」
「え、うん。これでも一応婚約者だしね?」
「そ、その時、もしかして……お姫様抱っこ、だったの?」
「ん? お姫様抱っこ? って……ああ、女の子を横抱きに抱える事か。まあそうだけど、それ以外に抱えて運ぶ方法ってあるの?」
そう逆に尋ねられて私は目が点になった。え、そう言えば人って抱えて運ぶ方法ってそんなに無かった気がする。特に貴族令嬢を運ぶ時に肩に担いだり脇に抱えたりなんて絶対しないし背負われるのだって子供しかされない。基本的に腰やお尻が強調される運び方はしない。
あれ、と言う事は運ばれる時って絶対お姫様抱っこにしかならないんじゃないの? それで悩んでいるとリオンが笑った。
「……あのねえ。普通そのお姫様抱っこ自体、身体をしっかり鍛えてないと無理なんだよ。だけどリゼの場合は身体が小柄だし体重だって軽過ぎる位だ。リゼに体力が無いのは食べる量自体が少な過ぎる事も原因だよ。女の子はお姫様抱っことやらに夢を見過ぎだと思うよ?」
「う、うぐぐ……」
だけどそうは言っても女の子の側から見ればそんな男子の理屈は通用しない。別にお姫様抱っこ自体は天然ちゃんじゃ無いと思うけどあんな言われ方をした後できっと運ばれる私を見てルーシーやマティスは「やっぱり天然ちゃんだ」って考えるだろう。それにどう対抗するかを考えていると部屋の扉が開いて中年の男性が入ってきた。
「……お目覚めになりましたか? 体調は問題ありませんか?」
「はい、有難う御座います――リゼ、こちらはマリエルの義父さんのビクター・ティーシフォン男爵。この部屋はマリエルの部屋だって」
そう言われて私は部屋の中を見まわした。だけど余り使い込んだ感じがしない。まるで客間みたいな印象だ。カーテンも女の子向けじゃないしよく見るとベッドも大きくて大人の男性向けみたいだ。
「それで……お嬢さんは何と仰るのかな?」
「あ、申し遅れました。私はマリールイゼです。お部屋を貸して下さって本当に有難うございます。それでリオン、皆はどうしたの?」
「ああ、バスティアンとマリエルが案内して街に出てるよ。リゼは僕がいないと人見知りでまともに話せないと思って残ったんだ」
「……過保護過ぎるのに世間知らず言われるの、納得出来ない……」
そんな私達のやり取りに男爵は笑っている。そうして少しすると再び尋ねられた。
「……マリールイーゼ嬢。失礼ですが何方のお家のご令嬢なのでしょうか? お恥ずかしい話、マリエルは余り教えてくれないので……」
それで私は起き上がると身体を男爵に向けて背筋を伸ばす。
「……大変失礼致しました。私はマリールイーゼ・アル・オー・アレクトーと申します。アレクトー公爵家の娘です」
だけどそう答えた途端、男爵は驚いてその場に跪いた。
「……まさか、英雄アレクトー家の、セドリック様のご令嬢だとは思いも寄りませんでした。大変失礼致しました。私はビクター・ティーシフォンと申します。姫君のご来訪をお喜び申し上げます」
まさかそんな反応をされると思って無かった私は慌てて手を振って男爵の態度を断る。
「あ、いえ、別に公式じゃないですし、私はマリエルに、お友達に誘われて来ただけですから……余り畏まらないでください」
「は……そうですか……分かりました。道理で街中で魔法が使えなくなった報告が上がっている訳です。英雄一族直系の方がいらっしゃっていれば当然です。すっかり失念しておりました……」
あーそっか。英雄一族の特徴、魔法阻害ってそこにいるって簡単にバレてしまうのね。魔法は基本的に貴族にしか公開されていない技術だから平民には気付かれないけど貴族には簡単に確認出来てしまう。
「……そう言えば男爵様はお父様をご存知なんですか?」
「ええ、勿論。私は男爵としてこの地で騎士団を統括しておりますが私自身も騎士出身です。セドリック様の事は同じ戦う者として存じておりますし尊敬しております。お父上は例え英雄や公爵でなかろうととても素晴らしい、尊敬出来る御方ですよ?」
ビクター男爵はそう言って懐かしそうに笑う。考えてみたら男爵位なら騎士として戦場にも駆り出される筈だ。それならお父様やお兄様の事も知っているに違いない。ただ見ている限りこの男爵は結婚している様には見えない。一応私は女子で普通結婚していれば顔を見せて挨拶するのは奥方が定番だ。いわゆる女の子の寝室に殿方が入るのは憚られる、っていうアレです。
それにマリエルのお義父さんは貴族にしては余り何かを企む人には見えない。私が公爵家だと聞いて最初に顔を青くしたし、何かを企む人なら愛想笑いを返している筈だ。それで私は何となく、勢いで尋ねてしまっていた。
「あの……マリエルは平民出身の養子、ですよね? 男爵様はどうしてマリエルを養子にされたんですか?」
だけどそう尋ねた途端、今度こそ男爵の顔色がはっきり変わる。隣でリオンが少し呆れた顔になっているけれどそんなの関係ない。この部屋はマリエルの部屋だったと言ったけどとても女の子の部屋には見えないし生活していた空気も感じられない。それを前にして私は尋ねずにはいられなかった。
「な……何故それをご存知なのです⁉︎ あの子がそう申し上げたのでしょうか⁉︎」
「あー……ええと……マリエルは何も言ってません。まあその、いわゆる、英雄一族のアレ、みたいな?」
私が曖昧に答えると男爵はそれで勝手に納得を始める。
「……なるほど。公爵家のご令嬢ですし、身辺警護の意味で近付く者の調査が行われるのですね。ですがまさかそこまでお調べになっていらっしゃるとは思いませんでした……」
「それで、どうしてマリエルを養子にしたんです?」
私が尋ねると男爵は言い淀む。別に陰謀がどうとか言うつもりは無いけどマリエルを何故アカデメイアに入学させたのかは以前から気になっていた事で、今回それを聞く事も目的だった。マリエルには魔法の才能がある事を私は知っている。それは元の乙女ゲームでも有名な情報でその事はしっかり思い出している。だけど男爵が観念して答えた理由はそう言う陰謀じみた物とは完全に無縁の話だった。
「……あの子、マリエルは……津波で壊滅した漁村の唯一の生き残りなのです。両親と弟、妹がいた様なのですが集落自体が津波で完全に消滅しました。あの子は潮流に乗って戻った遺体を見つけて弔おうとしていたのです。それを捨て置けず、私の養女に致しました……」
それを聞いて私とリオンは顔を見合わせた。