130 南西の港町、グレフォールへ
私は今、馬車の中で揺られていた。
あの酷いお茶会の翌日、夕方になる少し前だ。マリエルが一通の手紙を持って私の処にやってきた。それはマリエルの義父、ビクター・ティーシフォン男爵からの手紙だ。マリエルは頻繁に義父に手紙を送っていたらしく友達が出来た事も報告していたらしい。男爵は南西部の港湾都市で守護職に就いているらしく地元を離れられない。それで招待して地元の美味しい料理を食べて貰いたいと言う事だった。
丁度冬季休暇が始まる頃と言う事もあったし私やリオン、クラリスもアカデメイアから実家が近いから戻る必要もない。それでリオンに話そうとした時にふと思って、私は天然かどうかを聞いてみた。
『――リゼはかなり箱入り娘だし、天然って言うより世間知らずって言う方が正しいかも知れない。リゼの世界って凄く狭いよね?』
そう言われて私はぐうの音も出なかった。実際私はアカデメイアの他だと実家と叔母様の家しか知らない。街に買い物に行った事もないしお友達の家にもお呼ばれした事も無い。普段から兎に角やり過ごす事ばかり考えていたから自分から世界を広げようとした事もない。
そうなれば選択肢は一つしか無いでしょ。世間知らずとか天然って言われるのを何とかしなきゃ。そして新生、クールビューティ・マリールイーゼとして爆誕するのです。それにお友達に招待されて実家に行くなんて生まれて初めてだしとても楽しそうだ。
だけど当然チキンで人見知りな私がいきなり一人で行く事なんて出来る筈が無いから友人達にも声を掛けた。
ヒューゴとセシリアは実家の冬季訓練があるらしくて一緒に行くのは無理だって言われた。シルヴァンはそもそも王族で長期間王宮から離れる事自体が無理だしレイモンドはエドお兄ちゃんと修行するって決めてたらしい。
となればメンバーは自然と決まってくる。招待主のマリエル、私、リオン、クラリスは当然としてそこにバスティアンが加わった。彼が来ると言う事は当然ルーシーもセットだ。それと今回は新しく友人になったマティスとセシルが同行する事になった。
そしてバスティアンは元々侯爵家でお父上に随行する事が多かったらしい。本当は駅馬車を使っていく予定だったけどシェーファー侯爵家のご厚意もあって視察に使う馬車を出して貰える事になった。
シェーファー侯爵家は元々国内各地を視察している。侯爵家は国内管理を王家から任されている家で王国運営の要だ。バスティアンはその次期後継者で何度か現地に行った事もある。それに公爵家の私が同行する事もあって物凄い馬車を貸し出してくれた。
「――凄いね、この馬車! 全然揺れないよ!」
座席に膝を立てながらマリエルが小さな子供みたいに窓の外を見てはしゃいでいる。当然席も凄く柔らかいクッションが敷き詰められていて普通の馬車とは比べ物にならない快適さだ。私は叔母様の家に行く時と帰る時にしか馬車に乗った事がないけど明らかに違う。
「これは長距離旅行用の専用馬車なんですよ。長時間過ごす必要があるので高い技術が投入されてます。野営も車台で過ごせる様になってます。さっきマリエルさんが仰ったのも車軸に板バネが入って振動を抑える仕組みになっているからです。他にも脱輪防止に通常の四輪式じゃなくて内四輪、外四輪の合計八輪式になってます。あくまで脱輪した時の予備なので普段は接地してませんけどね?」
「え、これってクッションのお陰じゃないの?」
「ええ、クッションだけではここまで快適になりません。長距離を長時間乗り続ける物なので居住性に相当気を使っているんですよ」
バスティアンの説明によるとどうやら馬車としても特別に準備された物らしい。そもそも普通は馬が二頭の二頭立てなのにこの馬車はなんと四頭立てだ。その分運転も難しいらしく専任の御者が運転してくれている。勿論それもシェーファー侯爵家の専属従事者だ。そんな説明を聞いていたリオンは感心した様子でバスティアンに話し掛けた。
「……馬車って横転し易いから普通でも難しいのに、脱輪対策までしてるんだね。まあこれだけ車台が大きいと脱輪すればどうしようも無いから非常用に予備輪まで付けてるのか。それが重しになって横転も抑えられるけど重量があり過ぎて四頭立てじゃないと無理なんだな」
「ええ、リオン君の仰る通りです。でも他にも色々と最新技術が投入されてるんですよ?」
「へえ……一体何だろ?」
「それはですね、車輪に軸受けと呼ばれる機構が搭載されていて車輪の回転を滑らかにしているんです。通常の車輪は軸部分への負担が大きいので摩耗し易くて振動も大きくなるんですよ。ロルモン式と言う新技術で車輪の回転を滑らかにしているのです」
「へえ……それってどう言う仕組みなんだろ?」
「軸受けと言う部品の中に小さな球状の金属が沢山入っていてその中で転がっているんです。その金属の加工工程で魔法も使用されているらしいです。その新技術開発の為に我が家も投資してるんですよ?」
「けど、そこまで凄い技術なんて王族でも使って無いだろ? それに重量も結構増えるし。四頭立てじゃないと無理なんだろうなあ」
「まあ、それは仕事用ですからね。短距離移動ではなく長距離、それも長時間馬車に揺られるだなんて王家はしませんから。野盗対策にも力を入れてますよ? 硬材を金属で補強してますから簡単に突破出来ません。火矢を使っても燃えませんし斧程度じゃびくともしません」
「凄いな、それ……もう戦争でも使えるレベルじゃないか……」
何と言うか……シェーファー家ってそう言う部分に全力を注ぎ込む家なのね。バスティアンの饒舌な処を見るとかなり好きみたいだけどリオンもそれを興味深く聞いている。男の子ってこう言うの、本当に好きだよね。正直私もクラリスも何も言える事がない。マリエルは外の風景を眺めて喜んでいる。マティスとセシルに至ってはもう何が何だか分かってない様子だ。でも大丈夫、私もクラリスも全然話についていけてないし。だけど唯一ルーシーだけが嬉しそうにニコニコしてバスティアンの腕に抱きついている。多分バスティアンが饒舌なのってそれも関係してるんだろうなあ。
だけど技術に興味はないけど全然揺れないのは助かる。馬車に乗って辛いのは振動だし、休憩も頻繁に取る必要がある。昔、叔母様の家に行く時だってあの細かい揺れで気持ち悪くなったからだし。なのにこの馬車は本当に揺れない。まるで地面を滑ってるみたいな感じだ。
そうやって馬車は街道を進んでいく。三日掛かる道のりだけど途中にはシェーファー家専用の別邸が準備されていてそこで休憩や寝泊まり出来る様になっている。流石侯爵家、お金の使い方が徹底して快適さ重視で全くブレない。お陰で男女一緒に馬車の車台で雑魚寝みたいな事にもならなかったし、私も体力的に大助かりだ。
そして三日後。私達は南西部の港湾都市グレフォールへ何のトラブルもなく、実に快適な旅が出来たのだった。