13 未来を知る力
私が目覚めたのは真夜中だった。周囲は真っ暗で窓の外も闇に染まっている。まだ微睡んでいたい気がするけれど目を閉じても夢の中には戻れない。
――だけど楽しい夢だったな。あんまり覚えてないけど。
確か兄弟達と何か遊びをする事になって勝てばりんごの氷菓子が貰える、とかだった気がする。叔父様と叔母様もいた気がするけど何だか曖昧だ。一つだけ悔しいのはあれが全部夢で氷菓子が食べられないと言う事だった。
全身が怠くて仕方ない。こんなの随分久しぶりだけど体調を崩した時とは少し怠さの種類が違う。前は動きたくても動けない感じだったのに今は動けるけど動きたくない。
結局、私は目を閉じてぼんやりしていた。眠ろうとしても意識がはっきりし過ぎて眠れない。だけど目を閉じていると少し楽な気がする。そうしていると不意に扉の方から小さく木を擦る音が聞こえた。それでも見る気分になれなくてじっとしていると足音が聞こえてくる。それは私のすぐ傍までやってくる。少ししてひんやりした布が私の唇に充てがわれた。これは……水で濡らした布だ。少しだけ雫が口の中に入ってくる。それで目を開くとすぐ傍で叔母様が器に浸した布を私の口に咥えさせているのが見えた。
「……おば、ざば……?」
声が掠れて上手く発音出来ない。喉が枯れているみたいでヒリヒリする。だけど叔母様は泣きそうな顔に変わると私に被さる様に頬を撫でた。
「よかった……ルイーゼ、目覚めてくれて……」
「……え……おばざば?」
「ああ、声が上手く出せないのね。待っていて頂戴、すぐお水を持ってくるから……いい、眠っちゃダメよ?」
叔母様は慌てた様子で部屋を飛び出していく。それで少し待っているとすぐに戻ってきた。手には陶器製のポットとグラスを持っている。いつもならトレイに載せて持ってくるのに今回はそのままだ。ベッド脇のサイドテーブルにグラスを置いて注ぐのを見た私は起き上がろうとした。
「……ぐぇ……っ痛ぅ……」
だけど全身が軋む様に痛くて起き上がれない。背中や腰が突っ張るしお腹や肩、腕も痛い。そんな私の様子を見て叔母様は私の背に腕を差し込むと起き上がらせてくれた。
「ああ、筋肉痛が酷いのね。ほら、力を抜いて。あれからずっと寝ていたから身体が強張ってしまったのね。大丈夫よ、ちゃんとお水を飲んで生活していればすぐ治まるわ」
だけど起き上がった処で腕も痛くて上げられない。指先もブルブル震えてとてもグラスを持てない。それで叔母様が代わりに飲ませてくれた。普通の水じゃない。柑橘類の様な匂いが薄らするし飲んでみるとほんのり甘い味が口の中に広がる。どうやら水に絞った果汁を混ぜているみたいだけど薄い味が妙に濃く感じる。結局それを三杯以上も飲み干してやっと一息吐いた処で叔母様が話し始めた。
「ルイーゼはどれ位覚えているの?」
「……ううん、全然覚えてない……叔母様、どうして私、こんな事になってるの?」
「そう。ええと……リオンやエドガー、ジョナサンと一緒に遊んだ事は覚えてる? ダンスの練習の後で、午後からアーサーに言われてやった事は?」
「……何となく、遊んだ事は覚えてる気がするけど……」
だけどそう答えた時、不意に左足に違和感を感じた。何か嫌な感じというか「あ、これは来る」みたいな確信めいた予測だ。そしてその違和感が大きくなると突然足の先が伸びてふくらはぎに激痛が走った。いわゆるこむら返りと言う奴だ。ただ足がつっただけならまだ何とか我慢出来るけど今は全身筋肉痛だ。のけぞったまま声どころか呼吸も止めて悶絶する。それを見てすぐに察してくれた叔母様は足のつま先を戻してくれた。
「……ルイーゼ、大丈夫?」
「……うん……大丈夫……痛いけど……」
「もう少しお水を飲みなさい。きっと身体がまだ脱水気味だから足がつったのね。ほら、少しずつで良いから」
そう言われて私はちびちびお水を飲む。だけどその痛みのお陰でぼんやりしていた頭がはっきりした。
あの時私はリオン達と鬼ごっこをした筈だ。だけど途中から変に頭が冴えてきて捕まえようとする手を全部避けた。それに変に興奮していた感じがする。その事を話すと叔母様は小さくゆっくりと頷いた。
「そうよ。あの時ルイーゼは明らかに異常だったわ。普段身体を動かしてないのに踊るみたいに全部避けた。だけどあの子達三人を完全に避けた後、倒れちゃったのよ」
「……何となく覚えてる……」
「悲鳴をあげたのなんて久しぶりよ。このまま死んでしまうんじゃないかって……だけどもしかしたら薬湯を減らした所為で魔法を使ってしまったのかも知れないわね」
「……え、そんな私、魔法なんて使った記憶が――」
だけどそう言い掛けて私はリオンの魔法を思い出した。
リオンの魔法は確か意識しなくても勝手に使ってしまうと言っていた筈だ。じゃあ私は? 当然私だって「英雄の魔法」なら特に何もしなくても使える筈だ。普通の魔法と違って呪文も無いし意識する必要もない。だって勝手に発動してしまう「特殊能力」みたいな物だもの。
だけど、じゃあ私の魔法って何? 一体どう言う効果のある魔法なの? まさか避ける為の魔法? だけどそれはそれで何かあった時に使える気はする……んだけど……。
複雑そうな顔をしていたんだろう。叔母様は真面目な顔になって私の両手をそっと掴んだ。
「……きっとあの時ルイーゼは未来予知をしていたんだと思うわ。ほら、アリストクラッツで会う子供達の話をしてくれたのと同じで。アーサーも私と同じ考えよ?」
「……えー、どうかなあ……ちょっと違う気もする……」
私は叔母様の話がとても信じられなかった。だって入学してから起きる事は日本の記憶を思い出した所為だ。それは予知じゃなくて記憶で――知識と言う方が近い。だけどダンスで避けた時はもっとこう、直感的だった。確かに予知に似てるとは思うけどそんな大層な力じゃない。それに悪役令嬢マリールイーゼにそんな特別な能力があっただなんて聞いた事もないし、そもそも英雄の魔法も知らない。
だけど納得出来ない私に叔母様は頭を振った。
「ルイーゼは分からなかっただろうけどあの時、ルイーゼの目が紫色になっていたのよ。光っていたと言う方が正しいかも知れないわ。だって離れていてもはっきりと分かる位目の色が変わっていたんだもの。これだけは確かよ?」
「え……叔母様、今は何色に見える?」
「今はクレメンティアと同じで綺麗な青よ。少し暗くてもそれ位は分かるわ」
青い瞳――それはゲームイラストでのマリールイーゼの瞳の色だ。主人公マリエルは逆に赤っぽい瞳。多分主人公とライバルだから対比として赤と青なんだと思う。
だけど未来予知だなんてまるで神殿で神託を聞く巫女みたいだ。もしかして私が知らないだけでマリールイーゼはその才能があったんだろうか。私はゲームをプレイした事が無いし話題として知っているだけで設定に詳しく無い。
「……取り敢えず、少し落ち着いたのならもう一度寝た方が良いわ。身体が痛いって事はまだ休息が必要だって事だから。見ててあげるから目を閉じて横になってなさい」
そして私は叔母様に言われる通り、目を閉じてベッドに横になった。眠くないと思っていたけど目を閉じているといつの間にか眠ってしまったらしい。結局そのまま、次に目覚めた時には朝になっていた。