128 張り詰める空気
あれからすぐにルーシーとセシリアが婚約報告をして皆に祝福されて二人はとても幸せそうだ。そんな中で私は立ち上がると手にお菓子のお皿を持って俯いた少女に近付いた。
「――マティスさん、大丈夫?」
私が声を掛けるとマティスは俯いていた顔を上げる。顔は真っ青で飲み物やお菓子にも全く手をつけてない。
「……その、マリールイーゼ様、申し訳ございません……」
「ん? 別に敬語とか使わなくてもいいよ?」
「英雄一族の方に、そんな訳には……それに皆様、爵位のある貴族の方ばかりです。私達みたいな騎士家の人間が混じる訳には……」
そう言うとマティスは再び俯いてしまう。完全に萎縮してしまっていて立ち直れそうにない感じだ。
普通の貴族ならそう言う事を相当気にする。だけどアカデメイアは基本的に権威の持ち込み禁止だから余り常識的過ぎると逆に問題になってしまう。私は準生徒として色々経験してそう考えていた。貴族の確執は凄く厄介で何をするにしても立場を意識してしまう。考えてみるとリオン以外ではここに来て話し掛けてきたのはアンジェリン姫とシルヴァンの二人しかいなかった。今では仲良しのセシリアやルーシーですら私に接しようとはしなかったんだから。
貴族の立場への確執は凄まじい。一般的な常識を持つマティスには私の意見は受け入れ難い物だ。だけどだからと言ってそれを強制したりは出来ない。思わずクラリスを見るとマリエルと楽しそうにお話をしながらお菓子を食べている。私にとって正しくても相手にとっては正しくない事もある。それをつい先日思い知らされたばかりだ。
これは私が上流階級の人間だから言える事であって爵位を持たない家の子であるマティスに幾ら『立場を気にせず敬語を使わなくても構わないよ』と言っても通用しない。時間を掛けて説得すれば彼女も馴染んでくれるとは思う。でもこのお茶会で彼女が感じた事は覆せない傷になってしまう。今、ここで彼女を説得しないときっと今後私達を避ける様になる。でもそれが分かっているのにどう説得すれば良いか私には思いつかない。それで迷っているとアンジェリン姫が私と彼女を見て立ち上がると微笑みながら静かに近付いてきた。
「――あら、どうしたの? マティスさん、全然お茶もお菓子も手に取ってないみたいだけど……さては立場で遠慮しているの?」
そしてド直球を投げてくる。マティスは『はい』と小さく呟くだけで顔を上げようとはしない。そんな彼女をハラハラしながら見ているとお姉ちゃんはにっこり笑って楽しそうに言った。
「……マティスさんは騎士団長の娘さんなのね。それなら平民と一緒に飲み食いする事もあるでしょう?」
「……はい……」
「その時、平民の方が『騎士の方は貴族なのでご一緒するのは無礼に当たります』と言って食べようとしなかったらどう思うかしら?」
「……それは……ですがそれとこれとは全く別の問題です……」
「んー、そうねえ。だけどその前に顔を上げて、もっと周囲を見てみるべきじゃないかしら?」
「……どう言う事でしょうか?」
「私は王族の姫でマリーは公爵家の姫君よ。だけど子爵家や男爵家の皆さんも普通に接しているし飲んだり食べたりしているわ? それをちゃんとあなたは見ている?」
「それは……皆様、爵位のある方々ですから……」
「そう? でも私やマリー、貴方にも爵位は無いのよ?」
「…………」
「爵位――権威は家の当主である父親が持つ物であって女には与えられないの。皆が私やマリーを尊重して敬語を使うのはそう言う権威が関係する場だけよ。例えば社交界や舞踏会では嫌でもその娘の父親を意識するもの。だけど貴方だってお父上の騎士団長と言う権威に頼る事が出来るでしょう? 要は権威に頼る必要があるかどうかなのよ」
「……それは……ですが……」
何と言うか聞いてるだけで胃が痛くなってくる話だ。だけど私がお姉ちゃんと同じ事を言ってもマティスは絶対聞き入れない。お姉ちゃんはこの中で絶対的な権威を背負っているからこそ、爵位を持たないマティスに対して言える。それ位マティスは真面目過ぎるし、きっと元の攻略対象と同じで自分の中の信念を曲げないだろう。
だけどマティスが譲ろうとしない中でお姉ちゃんはふぅ、と息を吐き出すと楽しそうに笑った。
「まあ――建前で言うとそうなのよ。だけどマリーは英雄一族の人間で、その上ちょっと天然ちゃんなのよね。だから普通の貴族の常識を振りかざしても絶対通用しないわ? マリーの天然ちゃんっぷりは凄いわよ? 私だって王家の姫君だって主張出来ない位だからね?」
「……え……て、天然、ちゃん……?」
「今回もね。私を招待してくれたのはマリーじゃなくてマリーの親友のルーシーなのよ? マリーは私が王族だから遠慮したんじゃなくて単純に『お前が来ると皆萎縮するから来るな』って考えたんじゃないかしら。まあだけど私は嬉しかったから来たんだけどね?」
「……は、はあ……」
「今、ここにいる全員は権威で結ばれていないのよ。マリーを中心に『お友達』だから集まっているの。当然私も王女ではなく親戚のお姉ちゃんとして来ているけれど貴方はそうではないの? 貴方は騎士の子として招待されたのかしら? そうなら貴方の方が正しいわ?」
王女にそう言われてマティスは完全に黙り込んでしまった。だけどさっきとは少し違う。萎縮した雰囲気が消えて顔色ももう青褪めてはいない。ただ、懸命に何かを考えている様に見える。そうして少しの間悩んでから彼女は顔を上げると小さく呟いた。
「……私は騎士の子としてではなく友人として招いてくれた事に感謝すべき、と言う事でしょうか。彼女の家にではなく、彼女自身に対して敬意を払うべき……と言う事でしょうか?」
「ええそうね。マリーは公爵家の権威で友人を作らない。ここに集まった全員がマリーの努力で友人になったの。だからマリーが公爵家の令嬢でなくなっても皆さんは友人として振る舞う筈よ?」
そしてそれを聞いていたエマさんが席から立ち上がる。
「ええとね、マティスさん。私はルイちゃん――マリールイーゼさんに命を救って貰ったのよ。権威ではなくて、彼女が身を呈して庇ってくれて私の代わりに怪我までしたの。私は公爵家を尊敬しているけど彼女を敬愛しているわ。こうして招待してくれるお友達ですもの」
いつの間にか部屋の中は静まり返っている。皆黙って事の成り行きを見守っている……だけど皆、笑顔だ。顔をあげたマティスは周囲の皆を見回すと小さくため息をついた。
「……分かりました。私が間違っていました。ごめんなさい、ルイーゼさん。折角お友達として招待してくれたのに、私は場の空気を乱してしまったわ。許して貰えるかしら?」
それで私もホッと胸を撫で下ろすと笑って答えた。
「当然でしょ? お友達を招待したんだし、別に空気を乱してもいないしマティスさん――マティスも皆と友達になれば良いよ。貴族らしくって言うのなら、ここで友達になって皆に助けて貰えば良いのよ」
「ふふ……何て言うか、ルイーゼさん……ルイーゼの周囲は貴族特有の嫌な空気が全然ないのね。こんなの私、初めてだわ」
マティスもやっと飲み込めたのか普段の口調に戻っている。だけど私はどうしても看過出来ない事が一つだけあった。それで今度はアンジェリンお姉ちゃんをじっと見て尋ねる。
「それは良いとして――お姉ちゃん、聞きたい事があります」
「えっ……マリー、一体何かしら?」
「……私が天然ちゃんってどう言う事?」
「……えっ? 折角良い感じのお話をしたのに、そこ?」
アンジェリン姫は呆気に取られた様子で口を閉ざす。だけどこれだけははっきりしとかないと。なんか良い話風に終わったけど私は自分が天然と言われた事をスルーしたりしない。ええしませんとも。私、天然ちゃんじゃないもん。ちゃんと否定しておかないと今後、ここにいる知り合い全員から『ああ、この子は天然だから』って共通認識で見られる様になっちゃう。そんな風に言われたらその場で泣き崩れる自信があるよ、私。
だけどそんな私を見て、周囲の皆を見つめるとお姉ちゃんは真面目に答えた。
「……マリー、自分がかなり天然ちゃんだって気付いてない?」
「私、天然じゃないよ!」
だけどそう言うと今度はルーシーが苦笑する。
「姫様、天然って自分が天然だって気付いてないと思うよ?」
「……えっ? あ、そう言われてみれば確かにそうね」
えっ、ちょっと待って? もしかしてお姉ちゃんだけじゃなくてルーシーも私が天然だと思ってるって事? と言うか全員苦笑してるって事は皆、私が天然だと思ってるって事なの? ダメだ、これは絶対にはっきりさせて否定しておかないと。
――だけどそれがお茶会の空気を破壊する本当の要因になるだなんて当然、私も予想してなかったし皆も分かってはいなかった。




