120 レイモンドの事情
「――実はレイモンドはアカデメイアに入りたくなかったんだよ」
リオンの部屋に入るとエドガーはそう言った。だけどその割に彼は彼なりに楽しく過ごしていた様に見える。
「……いや、でもエドお兄ちゃん。あの人、もう凄い勢いで女の子に声を掛けまくってたんだけど。それに友人のマリエルにも言い寄ってたんだよ? それで入学したくなかった、って言われても……」
「うん、それも聞いてる。食堂までリールーを追い回して失礼な事を言った事もね。怒って当然だからそれは擁護しないよ。その上で一度だけ彼にやり直す機会を与えてあげて欲しいと思ってさ?」
「……そう言われても話を聞いてみないと何とも言えないし。それでレイモンドの事情って何なの?」
私がそう尋ねるとエドガーは頷いてリオンに声を掛けた。
「……リオンも知ってるだろ? レイモンドの実家、ブレーズ侯爵家って昔からうちに対抗心燃やしまくってたし。まあリオンは社交界に余り参加してなかったから知らないのかも知れないけど」
「……知ってるよ。あの侯爵、僕に敵意剥き出しだったから」
まさかそんな因縁があったなんて思いもしなかった。道理で普段は温和なリオンが最初から辛辣だった訳だ。きっとレイモンドに対してじゃなくてブレーズ侯爵家の人間だから警戒してたんだろう。
「ねえエドお兄ちゃん? だけど侯爵家ってうちみたいな公爵家と仲が悪いの? うちとシェーファー侯爵家はそんな話、聞いた事がないんだけど……?」
シェーファー侯爵家はバスティアンの家だ。だけど特に仲が悪いと言う事も無い。大体嫌っているのなら私に対して普段からあんな風に付き合いだってなかった筈だ。それで私が首を傾げているとエドガーは苦笑した。
「それはグランドリーフ王国が直接戦争をしてないからだよ。うちのイースラフトがまとめて他国の侵略を防いでる。地理的な理由はあるけどグランドリーフも我が国に物資支援や騎士団の派兵をしてるから王宮は把握してる。でも一般にまで話は降りて来ないだろうね」
「え、でも……戦争してると仲が悪くなるの?」
「そりゃあ資源管理をしてるのは侯爵家だしね。公爵家はアベル伯父さんが最前線に出張って戦ってるけど戦争ってお金が掛かる。それに侵略してくる相手も英雄一族の存在があるから放置しておけないって考えてるっぽくてさ」
「うちとかアレクトーってそんなに凄いの?」
「考えてもみてご覧よ? アベル伯父さんたった一人で相手側の一個師団、八千人強の兵士達を単身で壊滅させちゃうんだから。そりゃあ国としては英雄一族を守った方が明らかに得だからね?」
……一人で八千人って……それって一騎当千の八倍……だけど英雄一族は魔法完全無効化があるからそれ位軽く達成しそうだ。その上に英雄魔法なんて言うえげつない独自能力もある訳で。そりゃあ周辺国にしてみればそんな英雄がいつ侵略してくるかと思うと不安な筈だ。
アカデメイアでも魔法の授業はあるけど教えているのは一般生活用の魔法ばかりだそうだし、戦争で使う殺傷力のある軍事魔法は一般に情報が一切開放されていない。冒険者と言われる人達の使う攻撃魔法は厳密には軍事魔法じゃなくて生活用の民生魔法を独自改良しただけの軍事魔法もどきって聞いた事がある。まあ私自身アレクトーの人間だから私の周囲だけは魔法がない世界も同然なんだけど。
「――まあ、交渉は王族がやるし侯爵家としてはその採算を取らされるだけになるからさ。でも王族は憎めないから英雄一族に怒りの矛先が向かう訳。侵略国は僕らの存在を示唆してるから。まあ英雄一族を排除する方向に持っていく為の世論誘導みたいな感じだけどね?」
あー……うん。アレクトーって元魔王らしいし。でも英雄一族って名称になってるから周辺国家が一丸になって戦争を仕掛ける事が出来ないんだろうなあ。国同士の戦争って大義名分が必要になるから。
「まあ、それでだ。レイモンドの親は公爵家に物凄い対抗心を燃やしてて、リオンがアカデメイアに留学する事を何処かで聞きつけてレイモンドも同じく留学させようとした訳だよ。でも普通は準生徒で留学は認められてない。リールーの叔父さんが頑張って無理矢理許可を取り付けてくれた物だからね。それでも諦められないブレーズ侯爵はレイモンドを無理矢理リオンと同じ学年で留学させた、って訳だよ」
「……あー……何だか事情が全部、分かってきた気がする……」
「うん。まあ僕は社交界でレイモンドとはこっそりそれなりに仲良くしてたからね。リールーの事も話してたけど実際のリールーを見ても本人だと気付かなかったみたいだ。イースラフト侯爵家の自分に対して高圧的な叱り方をされて、それでやっと気付いたらしいよ?」
私はやっと全部が腑に落ちた気がした。
どうしてレイモンドはまだ十四歳なのにアカデメイアに入学してきたのか――それは十六歳のリオンが正規生になるからだ。対抗心を燃やすブレーズ侯爵としては自分の子供がそれより遅れて留学する事が堪らなく嫌だった。だってそれだと後追いや真似だと言われるもの。
だけどレイモンド自身はアカデメイアに入りたくなかったから入学してから不祥事を起こして放校される事を狙った。だけど彼にとって誤算だったのは、貴族令嬢はこのアカデメイアでより上流貴族と知り合う事を目標にしていた事だ。隣国の侯爵家でもお近づきになれれば男爵や子爵、下流貴族の令嬢にとってはむしろ願ったり叶ったりだ。
そして更に私がマリールイーゼだと気付かず、同じ調子で絡もうとしてしまった。公爵家は王族の血縁で侯爵家よりも上の立場だし。
「……要するに私が予想より子供っぽくて気付かなかった、と」
「えーと……まあ、リールーはいつでもとっても可愛いよ?」
「……それで? なんでエドお兄ちゃんは、レイモンドと一体どう言う経緯で仲良くなったのよ?」
「あー、それは……彼は僕と良く似た境遇だったからさ。彼は侯爵に落ちこぼれ扱いされてた。彼には兄が二人いるけどどっちもそれなりに優秀でね。一つ歳下のレイモンドがリオンより優秀な成績を出せば自分達の勝ちだ、みたいに考えた臭いね」
「え、似た境遇? エドお兄ちゃんが?」
「そうだよ――ってああ、そうか。リールーは僕の英雄魔法がどう言う物か、知らなかったっけ。僕の魔法は目の前の相手の状態、例えば古傷や相手の得意な事を知るだけなんだよ。怪我とか何かを隠していても見破れる……ほら、英雄としてはイマイチな力だろ?」
それを聞いても私は余りイマイチだと思えなかった。だって要するにそれって『鑑定』って事でしょ? 例えばスパイが侵入して大勢の中に紛れ込んでも見破れるって事じゃん。確かにリオンの力も似てるけどそこまではっきり分かる訳じゃないらしいし、どちらかと言えばクラリスの魔眼に近い。だけど魔眼は相手の考えを読み取れるだけで相手の古傷や得意な事までは分からない。ある意味最強の能力だ。
「……んー、エドお兄ちゃんの力ってそこまで過小評価しちゃ不味い能力な気がするんだけど……」
「うん? それってどう言う?」
「だって……それ、不審者とかスパイが侵入して大勢の人の中に紛れ込んでも分かるって事でしょ? 相手が毒が得意なら毒を隠し持ってるかも知れないって予想出来るじゃない? だって自分が得意な事を隠して仕込まない人なんていないんだもの」
「……えっ……?」
「普通なら証拠がないとダメでも鑑定能力で分かるって言えば問答無用で捕まえられるでしょ? 全然イマイチに聞こえないけど……」
「……そう言われてみるとそうかも。凄いな、リールーは。アベル伯父さんは戦闘での使い方は教えてくれたけどそう言う事までは教えてくれなかった。そうか、そんな使い方もあるのか……」
……何ていうか、英雄一族出身者は全体的に自分の能力を低く見積り過ぎる傾向が強い気がする。私だって未来視って言われてそう思い込んでたし。だけど実際はこう言う特別な力って設定通りの定型能力じゃなくて見逃してる効果があって本当は別だったり。実際にリオンの力だって相手を察する能力じゃなくて今の処は『経験喰らい』って判断されてる訳で。もしかしたらまだ気付いていない特別な事もあるのかも知れない。
「そうか。今度からそう言う事も考えてみるよ」
「うん。エドお兄ちゃん、頑張ってね」
「それはまあ兎も角として――それで劣等感を抱いてた事も無駄じゃなかったとは思うよ。お陰でレイモンドと仲良くなれたしね?」
うん、エドガーが優れているのは立ち直りの速さだ。普通なら悩んでしまう処でもそれはそれ、これはこれとしてすぐ割り切れる。
「まあそう言う訳だからさ。レイモンドに一度だけで構わないからやり直すチャンスをあげて欲しい。ダメかな、リールー?」
そう言われて私が視線を送るとリオンは苦笑して頷く。それで私も頷くとエドガーは嬉しそうに笑った。
でもなあ……私、ああ言うタイプって本当に苦手なんだけど上手く行くのかなあ? でも私って思い込んで動いて大失敗するタイプだし今回のルーシーの件でもリオンに相談してやっと何とかなった。
そう考えるとレイモンドも何とかなるのかも知れない――そんな風に思う事にした。