12 私だけの魔法
夏の暑さが落ち着いた頃。流石にもう汗が滲む事もなくなって私のダンスの練習が始まった。ダンスは相手も同じ体格くらいの方が良いらしくてリオンと練習をする事になった。室内かと思っていたら庭でやるそうだ。
ジョナサンとエドガーは私より背が高い事もあって選ばれなかった。きちんと正しくダンスを覚える為には歩幅が同じ位が良いそうだ。特にダンスが初めての私に変な癖が付いてしまうと不味いらしい。それでも二人は私が踊る事に興味があるらしくて見学と称して庭先にあるテーブルでお茶を飲みながら私とリオンを楽しそうに眺めている。
だけど意外だったのが叔父様までそのテーブルに座ってお茶を飲んでいる事だった。普段はいらっしゃらない事も多いのに何故かダンスの練習の時には必ずいる。叔母様が先生だから結局毎回一家勢揃いと言う不思議な光景だ。
そしてリオンが相手だと物凄く踊り易い。慣れていない私を相手に完璧にステップを踏んでいる。これは彼の魔法のお陰だろう。上半身はぎこちないのに足運びだけは完璧に私に合わせてくれるから足を踏む事もないし動きが全く滞らない。そのお陰もあって私の上達もかなり早かった。
そして練習も五回目を迎える頃、叔母様は私にドレスを準備してくれた。子供用だけど物凄く嬉しい。回った時に綺麗にスカートが広がる様に作られていて私は一層踊る事が楽しみになった。そうして何度目かの練習の時だ。
私とリオンが踊っていると不意に彼が視線を私の後ろに向ける。いつも私の動きを見ているのに変な感じだ。
だけど次の瞬間、頭の中で「避けなきゃ」と言う考えが浮かんだ。何を避けるのかも分からないのに身体が勝手に動く。最初はリオンを中心に私が半分回転して、次は私を中心にリオンを無理矢理振り回す。そのまま彼はバランスを崩して転倒してしまう。手と腰を掴んでいた私も勢いを抑えられなくて結局二人一緒に転倒してしまった。
「――ちょ、二人とも大丈夫⁉︎」
叔母様が心配そうな声をあげて駆け寄ってくる。だけどリオンの様子がおかしい。驚きの余り声も出せない様子で私の顔を凝視している。そしてその向こうではエドガーが中腰の姿勢ですぐ近くで固まっているのが見えた。
「あいたた……リオン、変な動き方をしてごめんね?」
だけどリオンは何も答えない。まるで予想していなかった事が目の前で起きたみたいな驚き様だ。だけど彼は少し俯いて私の足元を見つめるとポツリと小さく漏らした。
「……今……リゼがどう動くか、分からなかった……」
「え? それはだって……リオンよそ見してるんだもん」
「……だから、そうじゃなくて……」
リオンは言葉にならない位ショックを受けた様子でそのまま地面を見つめ続けている。そんな私達のやり取りを聞いていた叔母様がテーブルで固まっている叔父様に視線を向けるのが見える。叔父様は手にティーカップを持ったまま、無言で叔母様に頷いた。だけど一体何の意味があるのか私には分からない。そうしている内にお昼になって一旦ダンスの練習は中断して食事を摂る事になった。
そうして食事を終えて庭へ出てもダンスの練習の続きは無かった。その代わりに叔父様が笑顔で私とリオン達三人兄弟に向かって言う。
「――さて。ダンスの練習は午前中までにして、午後からは皆で遊ぶ事にしようか。ルイーゼもかなり体力が付いてきたみたいだしね――エド、お前もルイーゼと遊びたくてくだらない真似をしたんだろう? どうせだし皆で一緒に遊んで交流しなさい。皆も今日はそれで良いね?」
「……はい。分かりました、父さん」
エドガーは素直に頷く。だけど表情は真面目でいつもの様子とは違う。ジョナサンは普段通り無愛想で表情からは何も読み取れない。そしてリオンも無言で頷いた。叔父様は頷くと私達四人に向かって遊びの内容を話し始めた。
「まずルイーゼは逃げる役だ。最初はリオンが追いかける役をしなさい。ルイーゼは触れられない様に逃げてリオンが触れればリオンの勝ち。但し強く叩くのは無しだ」
「……え、叔父様? どうしてそんな遊びなんですか?」
「それはうちの息子達が可愛い妹に構いたくて仕方がない様だからだよ。リオンだけが一緒にダンスをしているのに二人は眺めているだけだからね。少し不公平だろう?」
「……別に構いませんけど……でも私、まだ体力も無いし走り回ったりは無理だからすぐ捕まっちゃうんじゃ……」
「ふむ、それもそうだ。じゃあこうしよう。ダンスの舞台を小さくしてその中だけで競う。社交界では他の人にぶつからない様に踊りながら避ける必要もあるんだ。これならルイーゼのダンスの練習にもなる。実践的だが相当な実力が身に付くし大人でも出来ない人が多い技術だよ?」
そう言われて少し興味が出てきた。要するにこれは狭い範囲での鬼ごっこだ。触れられると負けだけど逃げ切れば私の勝ち。小さい私は勝てないだろうけど大人でも出来ない事が出来ればきっとアカデメイアに入った後でダンスで困る事はない。そして更に叔母様が声を掛けてきた。
「……アーサー、それだとルイーゼに不利よ。どうせなら王都で貰ってきた冷菓子を賭けましょう。勝った相手から冷菓子を貰えて負けたら自分の分だけ食べられる――ルイーゼ、りんごを凍らせて擦りおろした珍しいお菓子よ?」
それを聞いて俄然やる気が出てくる。この世界ではまだ私は氷菓子を食べた事がない。大分涼しくはなってきたけどまだ暖かいからきっと美味しい筈だ。ここでは冷蔵庫や冷凍庫が無いから魔法で凍らせるらしい。魔法は基本的に貴族しか使えない。調理技術を会得した貴族は少ないから非常に高価だ。それを食べられるなら是非挑戦してみたい。
そして遊びが始まった。最初の相手はリオンだけど遠慮があるから勝てるかも知れない。それにダンスの練習ならダンスっぽい動きをした方が良いかも――そう考えた私はダンス前のスカートの端を摘んでお辞儀する仕草をした。
だけどそれが挑発になってしまったのかリオンは物凄く真剣な顔で普段の遠慮が全くない。あっちゃー、私もしかしてやっちゃった? そんな後悔をしながら私は逃げた。
一人だけでダンスってこれ、ダンスと言うよりバレエに近い気がする――そんな余計な事を考えながら頭の中ではさっきと同じく妙な思考が浮かび始める。ここはこう、ここはこう、そしてここはこうしないと「逃げられない」。
本当に変な感じだ。感覚が研ぎ澄まされていく。次に彼の手がここに来る事が分かる。だからそれを避ける。特に疑問に思う事も無い。まるでダンスをしている時の感覚みたいだ。どう動けば良いのか先に分かる。そうして結局、私は時間切れになる最後まで立ち続けていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……リゼ、凄い……全然、捕まえ、られない……」
気が付くと肩で息をしながらリオンが地面に座り込んでいる。首筋が赤く染まって汗も掻いているみたい。だけどそれに比べて私は殆ど息切れもしてなかった。今まで練習していたダンスみたいだ。ダンスの時も私は息切れなんてしなかったしそれ程汗も掻かなかった。ただ夢中になって遊んでいた感覚が一番近い。
「――よし、じゃあ次は僕だ。リールー、僕はリオンとは違うからね――ほーら、兄ちゃんが捕まえちゃうぞお!」
そう言ってエドガーが私に向かってくる。だけどそれも全部避けて私は逃げ続けた。着ているドレスの布地に触れられる事もない。その様子を見ている叔母様は口元を手で押さえて驚いている。遊びを見ているだけだった筈の叔父様の顔からも笑みが無くなって真剣に眺めている。だけど私は踊るみたいに避け続けた。
スポーツ選手がなるトランス状態――ゾーンってこんな感じなのかな。何だか楽しくなってきて思わず笑みが溢れてしまう。どうやっても捕まる気がしない。
そしてエドガーにも結局触れられず、最後にジョナサンが私の前に立った。だけどその表情はとても遊びには見えないし少し怖い。でもふわふわした感じだ。ランナーズハイみたいな感じ? 自然と微笑んでしまう。
そうして私はジョナサンからも一切触れられる事なく完全に逃げ切ってしまった。ああ、凄く楽しかったのにこれでもう終わりかあ――そんな考えが脳裏を過ぎる。
だけどそんな風に思っていると叔父様が言った。
「――次はリオンとエドガー、二人でルイーゼを捕まえてみなさい。妹に完封されては兄として恥ずかしいぞ!」
それで舞台にリオンとエドガーの二人が立つ。それを前に私は最初にした様にスカートを指で摘んでお辞儀する。
――楽しい。何これ、凄く楽しい。どう避ければ良いのか前もって分かる。その通りに避ければ当たらない。まるでパズルのピースが最初から全部分かってるみたいだ。
悩む事も考える事もない。だって分かっているんだからそこから身体を動かせば良い。それだけで逃げられる。
そうやって二人同時でも私は逃げ切って次にエドガーとジョナサンを相手にしたけれど全部避けた。最後に三人を同時に相手をする。流石に前もって分かっても避けるのが大変だ。だけどそれでも逃げ切って見せる。だって私はまだ生きていたいんだから。死にたくない。生きている事が楽しい。嬉しい。この幸せを手放したくない。もう自分が一体何を考えているのかすら分からない。
そして最後に三人が顔を見合わせて頷く。今までみたいに避けようとしても絶対に無理だ。でもその隙間を縫う様に身体をのけ反らせる。三人の顔が激しく強張っていた。
ガタンと言う音が聞こえて私は視線を向ける。そこでは叔父様が顔色を変えて椅子から立ち上がっている。カップが倒れて飲み物がテーブルに溢れて地面に落ちていく。
――ああ、勿体ないなあ。
そんな事を思いながら私の意識はまるで電池が切れたみたいに突然プツンと途切れた。