117 セシリアとルーシー
セシリアは思った以上に酷い有様だった。自分の部屋に入ってみると床の上でセシリアが座り込んで号泣している。余りにも酷い状態で声を掛けるのもはばかられる位だ。だけど声を掛けない訳にもいかない。それで私は彼女の前にしゃがむと声を掛けた。
「……セシリア、どうしたの?」
「……まぁりぃぃー……」
だけど彼女は縋る様に私の名を呼ぶだけで泣き止まない。ルーシーとマリエルの二人と顔を見合わせながら考え込んだ。
確かにこんな状態ならルーシーだって冷静になるよ。だって泣きたくても先に相手がボロ泣きしていれば案外泣けなくなるもの。怒りも悲しみも感情は相手が先に発散していれば自分は冷静になってしまう物だ。ルーシーの場合、最近は落ち着いていたし余計に戸惑う気持ちが大きかったんだろう。どう手を付けて良いかすら分からない表情をしている。マリエルも固まっているし兎に角事情を聞くしかない。
「……どうしたのセシリア。ほら、泣き止んで。理由が分からなくてルーシーも困ってるでしょ?」
そうして随分長い事あやし続けて、やっとセシリアが告白した内容はまあ……私もルーシーも、マリエルも驚く内容だった。
「……ヒューゴにね……婚約しよう、って告白されたの……」
「は……はあ⁉︎ それっていつ⁉︎」
「……ほんの少し前……だけど私、ルーシーと喧嘩みたいになっちゃったから……言えなかったの……」
ほんの少し前――喧嘩になってたって事は多分、ルーシーがやらかして私が監督生になる事をお願いした辺りだろうか。その時にリオンに頼んでシルヴァン達を集めて貰って事情を聞いたけど、その時にヒューゴはセシリアと婚約する事になるだろうって言ってた筈だ。
と言う事はあの前後にヒューゴはセシリアに婚約を持ち掛けていた事になる。多分ヒューゴの性格的にルーシーが大変な事になってると知った後だろう。有言実行なだけじゃなくて行動に移るのも尋常じゃなく早い。なんてイケメンな上に男前なの、ヒューゴは。ルーシーとバスティアンの話を聞いてきっと彼は『ちゃんと言わなければセシリアが辛い思いをする』って考えたんだろう。それでそのまま速攻でセシリアの元に言って告白した、と……。
「……だけど……ルーシーが辛い思いをしてるのに、そんな事、言えなくて……もう、この話自体、断った方が良いのかな、って……」
あー……うん。これって罪の意識が残るトラウマみたいな状況に陥ってたのか。セシリアは親友のルーシーが恋愛で辛い状況にあるのに自分だけが上手く行くのが耐えられなかった。セシリアの性格なら充分あり得る――と言うかこれ、絶対私が動いた所為じゃん……。
流石にこれには本気で頭を抱えた。これじゃあ私って完全に暗躍してる悪役令嬢そのものじゃない。罪悪感に耐えられず、私は思わず二人に向かって頭を下げていた。
「――セシリア、ルーシー、ごめんなさい!」
「……え?」
「え、どうしたの、マリー……?」
「これ多分、私の所為だわ!」
そして私は事のあらましを二人に説明した。テレーズ先生にお願いしてルーシーの監督生になった事、それで私の部屋で預かる事を決めた事、シルヴァン達男子組を呼んで事情を聞いた事も全部。だけど二人は怒る処か笑ってくれた。
「……それは私の所為でもあるでしょ。私が無茶な事をしなかったらマリーだってそうしなかった筈だもん。普段はドライな事言っててもマリーってどうこう言って世話焼きだもんね」
「うん……そだね。と言うかマリーが聞いたお陰でヒューゴは責任を感じちゃったんだね。何だか悪い事をしちゃったかも……」
「え……二人共、怒ってないの? なんだか私、裏で色々してたって感じなんだけど?」
「怒る訳ないじゃん。私達の事を思ってやってくれたんでしょ? それに多分、マリーが監督生をしてくれてなかったら私、アカデメイアを放校処分にされてたと思うし」
「え、そうなの? ってルーシー、一体何をしたの?」
「え……えっと……その……」
「え、何? こんな風になったんだし隠し事は無しにしてよ?」
「……バスティアンの部屋で、ベッドに、忍び込みました……」
「……うわ……それは……」
「それも……その、服全部脱いで……裸、で……?」
「…………」
そしてそんな二人のやり取りを頬を赤くして聞いていたマリエルは不意に沈んだ様子に変わる。
「……だけど本当にごめんね。全部、私の所為だよね、それ……」
「まあきっかけはマリエルさんだけどね。でも責任じゃないよ?」
「うん。それで暴走したルーシーも悪い。だけどまさか裸で男の子のベッドに潜り込むとは思ってなかった……」
「いやもうあの時はね! セシリアと喧嘩になっちゃった事もあって凄い絶望してたの! もうこれしかないって思っちゃったの!」
そう言って三人は和気藹々と話している。ルーシーが取り乱す事は多分もう無いだろうけど横顔を見ていると疲れた様にも見える。それが私の心をざわざわとさせる。その直感が正しいかどうか分からない。だけど我慢出来なくなって立ち上がった。そんな私を見上げてルーシーが首を傾げる。
「……ん? どしたの、マリー?」
「……ルーシー、ちょっと待ってて」
「んん? 別にいいけど?」
それで私は一人、キッチンの扉をくぐるとリオンの部屋に駆け込んだ。
「……リオン。これって間違ってるのかなあ?」
「うん? リゼ、どうしたの?」
「あのね。多分、今すぐバスティアンを呼んだ方が良いと思う。だけど余計な事かも知れないし。ちょっと私、自分のやる事に自信持てなくて……」
私がそう言うとリオンは立ち上がって私の目の前までやって来る。そして私の両肩に手を置くと真面目な顔で尋ねた。
「……どうしてリゼはバスティアンを今すぐ呼んだ方が良いと思ったの?」
「え……えっと……多分だけど、ルーシーはバスティアンの事を諦めようとしてる、から?」
「諦めるって……どうして?」
「きっと疲れちゃったんだと思う。今は皆と明るく話してるけど不自然な気がする。セシリアとヒューゴの事も祝福してるみたいなんだけど、笑い方が何だか疲れ果ててる様に見えたから……」
私がそう言うとリオンの顔色が変わった。そのまますぐ私から離れると上着を手に取って廊下への扉に手を掛ける。
「――バスティアンをすぐ連れて来る。だからリゼはお茶を出して話を引き延ばして。お菓子は確かクラリスが作った物があったよね? それを出して上げてくれないかな?」
「はい、分かりましたです」
クラリスはそれですぐに準備を始める。私は何かをして良いのか分からなくて戸惑った声を上げた。
「え……リオン、どうするの?」
「多分リゼの感じた事は間違ってない。きっとこのままだと二人共後悔する事になる。だから出来る事はやっておこう。相談してくれて良かったよ」
それだけ言うとリオンはすぐに扉の向こうへと消える。それで私はクラリスと一緒にお茶の準備を始めたのだった。