114 これ、あかん奴
数日後、私とリオンはある教室の中を窺っていた。
ルーシーについてはテレーズ先生と相談した上でしばらく一緒に生活する事を決めている。あれからかなり落ち着いてクラリスも一緒にいる事が多い。特にルーシーはこれまでにあった捻くれた言動が消えて物凄く素直になったし甘えてくる様にもなった。きっと本当の意味で親友になれたんだと思う。
それで私はルーシーをクラリスに任せて、早速四人目の攻略対象をリオンと一緒に確認する事になった。
レイモンド・ブレーズ――イースラフトの侯爵家子息で私の一つ歳下で十四歳。本来なら留学するにしても来年の筈なのに何故か今年マリエルと同じタイミングで入学している。エドガーがグランドリーフに来る事になってアーサー叔父様が情報を持たせてくれたお陰でそこまでは分かっている。ただ少し気になるのはエドガーが『そんなに悪い奴じゃないよ』と言っていた事だけだ。
「――リゼ、あいつだ。あれがレイモンドだよ」
「え……どれ?」
「ほら、令嬢達に話し掛けてる。だらしない格好してる奴」
そう言われて視線を向けるとネクタイをだらし無く緩めて令嬢数人に話し掛けている男子がいる。十四歳と聞いていたけど随分大人っぽい印象だ。だけどそれを見て私は「あー」と小さく声を上げた。
これ、多分アレだ。ちょいワルって感じで主人公と最悪な出会い方をするけど事情が分かってきて同情する奴。要するにダメな男を分かってあげられるのは自分だけ、みたいに好きになるパターン。
でも残念ながら、私は例えどんな事情があったとしてもそれで他人に当たる人ってかなり嫌いだ。無関係な他人なんだから礼節をもって接するべきだ。なんせ私をこう躾けたのはあのお母様と叔母様だからその点で譲る気が全くない。事情があるから何をしても許されるみたいな考えは自分に甘いだけで他人に対して失礼極まりない。エドガーには申し訳ないけどアレは私には受け付けないタイプの人間だ。
「あれは……ないわ」
「……え? リゼ、それはどう言う……?」
私がポツリと漏らすとリオンがびくりとして私を見つめる。
「ああ言う人に私、興味全くないから」
「……なんか怖いな。女の子は好きか興味ないか、それ以外は嫌いしかないって聞くけど……」
「何言ってんのよ。それがうちの家訓なのよ」
「……家訓? それってどんなの?」
「――辛い時ほど笑って見せろ、守るべき者を不安にさせるな」
「……あー。そう言う意味か。確かにそう言うのならうちにも似た言葉があるな。家訓って言うより英雄としての心構えだけど……」
「……あの人、服装と態度に如何にも『家族と揉めてます、だから不良ぶって拗ねてます』って姿勢が現れてんのよ。どんなに同情出来る理由があったとしてもね、ちゃんと周囲に誠実に向き合えない人って私、物凄く嫌いなんだよね。だから死んでも同情してやんない」
「…………」
「……何よ、なんで黙り込むのよ?」
「……いやあ……リゼって時々、男より男前だよね。そう言う部分があのマリエルと似てる気がするのかも知れないなと思って……」
「それを言うならお母様と叔母様が男前なのよ。そんな二人に育てられたんだから私が男前なんじゃなくてお母様と叔母様に似ただけよ」
「……なるほどなあ……」
きっとあのレイモンドと私が接する事はない。と言うか相手する気がないし残念ながら私はああ言うタイプに全く惹かれない。警戒はしておいた方が良いだろうけどそれ以上はない。それでその場を立ち去ろうと踵を返した、そんな時だった。リオンがポツリと呟いた。
「……あれ? マリエルが来た」
「……えっ?」
そう言われて思わず振り返る。そう言えばマリエルって私といる時はべったりだけど普段はどうなんだろう? 考えてみたら怒った時は南西部訛りが炸裂する位しか彼女の事を知らない。
それで私とリオンが様子を眺めているとマリエルに気付いたレイモンドが不敵な笑みを浮かべて近付いていく。
「よう、マリエル。お前は今日も可愛――」
だけどそう言って彼が彼女の肩に手を伸ばした瞬間、マリエルの身体が僅かに沈むとくるんと一回転した。教練書を胸に抱いて流れる様な小さな回転だ。だけどそれはダンスのターンとは違う。沈み込んだ身体が大きく移動している。どちらかと言うと競技で用いられるルーレットと呼ばれるフェイント技に近い。その速さも尋常ではなくレイモンドの視界からはきっと一瞬で消えた様に映っただろう。
そうやって一瞬で通り過ぎてあっと言う間に距離を開ける。怖いのはマリエル自身、まるで一切何もなかったかの様に振る舞っている事だろう。レイモンドの存在を完全に無視している。有無を言わせぬ沈黙が完全な拒絶を物語っている。そんな避けられ方――いや、素通りされれば声を掛ける事だって出来ない。案の定、レイモンドも声を掛けるタイミングを完全に逸して沈黙してしまっている。
「……やっぱり彼女は凄いな。リゼのダンスも凄いけど方向性が全然違う。リゼは華麗に避けるけどマリエルの場合は気配を消して素通りしてる感じだ。リゼの紙一重とは違って瞬間的に距離も取ってるから基本的に見せる為の動きじゃない」
「……マリエルもああ言うタイプは余り好きじゃないんだろうね」
「そうだね。そんな感じが凄くするよ」
実際、今までの攻略対象は性格的な違いはあっても基本的に誠実なタイプが多い。シルヴァンもそうだしバスティアン、ヒューゴも何方かと言えば真面目な性格だ。全員貴族だからと言うのも大きいのかも知れない。でもレイモンドは悪い意味で貴族らしい感じだった。
そんなやり取りをしていると気付いたのかマリエルがこちらへ顔を向ける。私とリオンがいるのを見た途端、彼女の表情がパッと明るく変わる。そのままスキップする勢いで私達に近付いてくると彼女は嬉しそうに笑いながら尋ねてきた。
「――るーいーちゃん! もうお友達は大丈夫なの?」
「あ、えっと……まだ部屋にいるよ? しばらくは一緒に生活する予定だから、マリエルも我慢してね?」
「大丈夫だよ! だけど……まさか私がバスティアン君を取ると思われてたなんて思わなかったよ。そんな事ないけど、私が言っても多分不信感の方が大きいだろうしね。だけどいつか紹介してね!」
マリエルはルーシーの事情について大まかに把握している。バスティアンのベッドに裸で忍び込んだ事までは流石に知らないけど自分が敵視されていた事も把握している。その上で誤解を解こうと自分から動かないし全部私に任せてくれている。流石主人公、下手に考えて勝手に動き回ったりしない。ただ少し物分かりが良すぎる気はする。
「……マリエルはバスティアンの事、本当に好きじゃないの?」
「んー? 頼れる男の子だとは思うよ? だけど好きかどうかと言われると考えてもなかったかな。私は……そう言う幸せは無くて構わないと思ってるから。だから皆が幸せならそっちの方が良いんだよ!」
だけど何だろう。マリエルの返事が何処か引っ掛かる。相変わらず明るい調子だけど一瞬目が細められて自分は幸せになる資格が無いと言った様にも聞こえる。確かマリエルは男爵家の養子でアカデメイアにやってきた筈だ。養子――と言う事は元の家族もいた事になる。
だけどそれを尋ねようとした時、不意にリオンが私の肩に手を載せて耳元で囁いた。
「……リゼ。取り敢えず場所を変えよう」
「……え?」
「……レイモンドがこっちに気付いた」
そう言うと視線だけを向ける。それまで話していた令嬢達に何やら話すと踵を返してレイモンドがこちらを見ている。どうやらマリエルを目で追っていたらしい。急ぎ足ではなくゆっくりとこちらに近付いてこようとしている。それで私はマリエルの手を掴んだ。
「……マリエル、時間はある? ちょっと付き合って」
「え、授業も終わったし良いよ? だけど何処に行くの?」
それで私は答えず、リオンと一緒に廊下へと飛び出した。