110 異変
「――あら、クラリスは一緒ではないの?」
「え、はい。今はリオンと一緒に食堂に出掛けてます」
一〇月を少し過ぎた頃、テレーズ先生が部屋にやってきた。丁度クラリスはリオンと一緒に食堂に出掛けている。どうも最近はお菓子の作り方を教えて貰っているらしい。以前から手伝う事が多かったけど自分も美味しいお菓子を作ってみたくなったんだと思う。それで私が答えるとテレーズ先生は声をひそめて尋ねてくる。
「……マリールイーゼ。貴方はこの処、ルーシー・キュイスと会っていますか?」
「え? ルーシーですか? そう言えば最近は全然会ってないですけど……」
新規生達、マリエルが入学してからルーシーもセシリアも部屋に遊びに来ていない。話を聞く限りバスティアンやヒューゴと一緒に南西部言葉の講習会に参加している筈だ。それにマリエルの人気が凄くなり過ぎて私を友人だと公言した為に私も余り出掛ける事が出来ない。
マリエル自身は良い子だし性格も温和だ。誰とでもすぐに友達になれる明るい女の子だ。だけど彼女がアカデメイアにやって来てからは色々とドタバタしている。シルヴァンやバスティアン、ヒューゴも傾倒してしまっているしセシリアとルーシーも最近は話もしていない。
それで首を傾げているとテレーズ先生はため息を漏らした。
「……そうですか。では貴方は最近ルーシー・キュイスには関わっていない、と言う事で間違いないのですね?」
「えっと……関わっていないと言うか、最近会ってないだけなんですけど……ルーシーに何かあったんですか?」
何だかテレーズ先生の尋ね方に嫌な感じがする。先生はルーシーと私が友人だと知っているしセシリアの事も知っている。なのに会っていないかではなく『無関係か』と聞くのは変だ。それで私が尋ね返すとテレーズ先生は少しの間黙って考えた末にやっと口を開いた。
「……ルーシー・キュイスは今、謹慎処分を受けています」
「……え⁉︎ 謹慎って……ルーシー、何かしたんですか⁉︎」
「先日、男子寮のある男子生徒の部屋に侵入しているのが発見されました。貴方も知っているバスティアン・シェーファーの部屋です」
「……バスティアンの部屋に? え、どうして……」
「それが……ほぼ全裸に近い状態でベッドに潜り込んでいたのが発見されたのです。流石に相手がシェーファー侯爵家なので今はまだ連絡はせずに事情を聞こうとしています。私の補佐官アンナ・クレーマンの部屋で事情聴取と監視の為に一緒に過ごしています」
それは私にとっては物凄く衝撃的だった。まさかルーシーがそんな事をするだなんて思っていなかった。だってルーシーは口では過激な事は言っても実際は物凄くウブでそんな事は出来ない子だからだ。
思わず黙り込んで必死に考える。ルーシーはバスティアンの事が好きだった筈だ。だけどそこまでした理由が分からない。ルーシーはバカな子じゃないしそんな事をして見つかればどうなるかだって分かっていた筈だ。この教導寮は先生の生活寮だから巡回はないけど男子寮と女子寮は普通に寮監が巡回をしている。特に異性の寮室へ侵入すれば激しく咎められるし男女関係なく家を勘当されてもおかしくない。
「……あの、テレーズ先生。ルーシーと会えませんか?」
「それは……難しいでしょうね。何しろ事が事です。間違い自体は無かった様ですが、事情によっては両家へ連絡しなければなりませんし場合によっては放校処分も充分に有り得ますから」
……ダメだ、埒が明かない。テレーズ先生は厳格公正な人でちゃんと説明出来ないと絶対に聞いてくれない。逆にちゃんとした理由さえあれば融通してくれるし無理も通してくれる。でもその方法が思い付かない。そもそも私は恋愛なんて全然分かってないし先生もその事を知っている。このままじゃルーシーと会わせて貰えない。
そして何も思い付かず諦めそうになった時、扉が開かれてクラリスとリオンが帰って来た。クラリスは頬を赤くしながら両手でお皿を持っている。その上には焼きたてのお菓子が乗せられている。
「……ルイーゼお姉ちゃん! リオンお兄ちゃんに教えて貰って私、頑張ってお菓子を作ってみました! 味見して貰え――あ」
「あら、クラリスは料理の練習をしていたのですか?」
「あ、はい、テレーズ先生。よろしければ先生もお味見をしてくださいますか? 私、一生懸命作ってみたんです!」
「ええ、構いませんよ。それでは一つ、戴きますね」
そう言って先生はお皿からお菓子を一つ取って食べる。その様子を緊張しながら見上げるクラリス。だけどそれを見て私の頭に一つだけ閃いた事があった。
「……よく出来ていますね。これならお茶会で出してもかなり高い評価を受けるのではないかしら?」
「えっ、本当です? 凄く嬉しいです!」
「――テレーズ先生。少しよろしいですか?」
「はい、何ですか、マリールイーゼ?」
「私はクラリスの指導生として評価されていますか?」
「……そうですね。実際にクラリスの成績は年齢に対して非常に高いです。当然その指導生の貴方も指導能力を高く評価されていますよ」
「なら――ルーシー・キュイスの事情聴取と監視役について私に一任していただけませんか?」
「……えっ? 貴方が……事情聴取と監視役、ですか?」
「はい。私は彼女の親友でもあります。その上で私になら話してくれるかも知れません。アンナ先生は上手く聞けているんですか?」
「……いいえ、ですが……」
テレーズ先生は少し考えると首を横に振った。
「ですが――貴方が親友であるからこそ親友の情に流されないと言う証明が出来なければなりません。マリールイーゼ、貴方はとても優しい子です。親友の為に便宜を図ろうとするのではありませんか?」
これは……ダメだ。そう言われてしまうと私が何を言ってもきっと説得力が無い。私がルーシーと仲が良い事をテレーズ先生はしっかり把握してる。だからこそ私に任せるのは危険だと言っている。
だけどそんなどうしようも無い時、それまで私と先生をじっと見ていたクラリスがリオンの袖を引っ張って耳打ちする。リオンは身を屈めてそれを聞くと不意に手を上げてテレーズ先生に話し掛けた。
「――あの、テレーズ先生。一つよろしいですか?」
「……何ですか、リオン・エル・オー・アレクトー?」
「事情はよく分かりませんが、リゼは友情に流されて間違った事をする様な子じゃありません。確かにリゼは優しいですがそういう配慮が出来ていればそもそも、僕は婚約でこんなに困ってませんよ?」
「……ああ……そう言われてみれば確かに……」
ぐふぅっ……これって援護? それとも責めてる? と言うかなんでテレーズ先生も否定してくれないの? 信用されていない事が信用される理由になるって事? 物凄っごく傷付くんだけど……。
そこでテレーズ先生の視線が今度はクラリスへと向かう。
「ですが……そうなるとクラリスは一緒では不味くありませんか?」
確かにまだ子供のクラリスの前で全裸で男の子のベッドに潜り込んだとか事情を聞くのは普通なら厳しい。だけどクラリスは魔眼が使えるから実は全部事情を理解しちゃってるんだよね。元々お医者さんの家の子でそう言う知識も凄くあるし、特に女の子だからそう言う事に対しても凄くしっかりしてる気がする。そこで今度は私が反撃する形でテレーズ先生に答えた。
「ああ、ならリオンの部屋で寝泊まりすれば良いです」
「……マリールイーゼ、何を言っているのですか。リオン様は男性ですよ? 年端もいかないとは言え異性と生活させる訳には……」
「大丈夫です。クラリスは私とリオンにとって妹同然ですし私とリオンは婚約してます。それにもしリオンが手を出す様な男子ならとっくに私に手を出している筈ですよね? でもそう言う事は一度もありません。クラリスが来る前だって隣の部屋で簡単に来れる状態でもそう言う事はありませんでした」
「……ぐっ……」
私が胸を張って言うと今度はリオンが胸を押さえる。少し苦しそうな顔で私を睨むと挑戦的な笑みが浮かぶ。
「……つまり、リゼは……僕に手を出して欲しかったって事かな?」
「んー? 単にリオンが無節操に女の子に手を出す様な男子じゃ無いって言ってるだけでしょ? それとも実はそう言う事をしたい男子なの?」
「そ、それは……くそう、分かったよ……僕の負けだよ……」
「ふふふ、私に口で勝つには一〇年早いわ!」
そして私が勝ち誇っていると物凄く冷静な顔のクラリスが手を上げてテレーズ先生に話し掛けた。
「あの……テレーズ先生。私、お医者さんの子なので別に恋愛関係で恥ずかしがったりしませんしショックも受けません。むしろリオンお兄ちゃんやルイーゼお姉ちゃんよりマシだと思います」
「……ぐふうっ……」
「……かはあっ……」
それで今度は私とリオンが同時に胸を押さえる。そんな私達を見てクラリスは素の顔で不思議そうに首を傾げた。
「……え、だってお兄ちゃんもお姉ちゃんも私より世間知らずですよね? キスも出来ない婚約者なんてちゃんちゃらおかしいです」
「……すいません。ごめんなさい。私が悪かったです……」
「……僕が間違ってました。クラリスの方が上級者です……」
そんなやり取りを聞いてテレーズ先生は軽く吹き出す。そして少し咳き込むとやっと笑顔になった。
「……分かりました……ではマリールイーゼ。私、テレーズ・カルティエの責任に於いて貴方にルーシー・キュイスの監督と事情聴取をお任せします。何か分かればちゃんと私に報告する様にしてくださいな。しっかりお願いしますよ?」
こうして私はルーシーとしばらくの間、一緒に生活する事になったのだった。