107 男前な彼女
「――だけどさっきの話、聞いていて良かったよ」
廊下を歩いているとシルヴァンが呟く。あれから話し合った結果余りマリエルに対して特別な感情を抱かない方が良いと言う事になってバスティアン達に注意を促す為だ。彼は特にマリエルに対して好意を抱いている――それがシルヴァンとリオンの意見だ。そして決定的だったのがクラリスの証言だった。魔眼を持つクラリスは普段は個人のプライベートについて言わない様にしていたらしいけど今回は事情が事情と言う事で口を出す事にしたみたいだ。
だけどさっきの話を何故聞いていて良かったんだろう? まあ私の抱えている問題に対処する為なのかも知れないけどシルヴァンの様子を見る限り少しホッとしている様にも見える。
「……ん? 聞いてて良かった、って?」
「いやあ……実は僕もあのマリエルって子の事が結構気にはなっていたからね。警戒してるのとそうじゃないのはかなり違うだろ?」
そんなシルヴァンの返事にリオンが苦笑する。
「……シルヴァンってああ言うタイプの子が好みなのか……」
「えっ……あっ、違うぞ⁉︎ ただ単に、ああ言う感じの反応をする女子っていないからさ! ルイーゼと同じで僕を特別扱いしようとしないだろ? ああ言う風に接してくれる子はいないんだよ!」
お前もか! 要するに普通の男の子として反応してくれたマリエルが気になっていたって事だよね? まあだけどシルヴァンの言う事もちょっぴり分かる。だって基本的にシルヴァンは皆から様付けで呼ばれてる。皆と距離を感じてもおかしくないし、そう考えるとリオンと特に親しいのも頷ける。多分、初めて友達になれる相手と思ったんじゃないかな。
だけどチョロ過ぎる王子様になってる感も否めない。大事にされ過ぎて無菌培養された子は抵抗力がなくなるっていうアレだ。
そうしてマリエル達新入生が授業を受けている教室に続く廊下に出る。だけどそこで突然、威勢の良い激しい方言が聞こえてきた。
「――あァ? おどれら何抜かしてけつかんねん! ええかげんにせんといわすぞ、ワレ!」
声の主はマリエルだ。廊下で令嬢二人を前に凄い剣幕で怒鳴って周囲の生徒達も凍りついている。方言が余りにも強烈過ぎて何を言っているのか分からないらしく令嬢二人もきょとんとしている。
「……えっ?」(令嬢二人)
「……えっ?」(シルヴァン)
「……はい?」(クラリス)
「……えっ?」(周囲の生徒達)
「……あっ……!」(マリエル)
どうやらマリエルは今でも感情が爆発すると方言が飛び出してしまうらしい。確か大陸南西部の方言だった筈だ。だけど流石に今回のは私も良く分からない。と言うか『けつかんねん』って何? それで周囲が固まっているとそこに若い男性の声が響いた。
「――素晴らしい南西部訛りですね。特に先ほどの独唱は現地でも使える人が殆どいません。『威圧言語』と呼ばれる所以ですよ」
その言葉でその場にいた全員の視線が声の主へと向かう。それはバスティアンだった。彼は拍手をしながら歩いてくる。そうしてマリエルの前までやってくるとにっこり穏やかに笑った。
「先ほどの言葉はコモンで言うと『君たちは何を言っているのか。いい加減にしないと潰すぞ』と言う意味です。一見過激に聞こえますがこの言葉を彼女が使ったと言う事はそれだけの理由があった筈ですよ? マリエルさん、一体何を言われたんですか?」
そう尋ねられてマリエルは素の表情へ変わる。恥ずかしそうにしていたのは方言が出てしまった事に対してであって、相手に怒鳴った事には悪い事をしたとは思っていないらしい。そしてマリエルはバスティアンではなく、今も固まったままの令嬢二人に向かった。
「……ルイーゼちゃんは私を友だと言ってくれました。それを過ぎた事だと、貴方達は立場をわきまえろと言いましたけどそれを認める訳にはいきません。それを受け入れれば彼女が私を友と認めてくれた思いを踏み躙る事になります。地位や立場に違いがあっても友情は成立するんです。彼女が認め、私が認めたのならば、その友情にとやかく言われる筋合いはありません。貴方達にとっての友情は遠慮して『自分如きは友人と言えません』と言う事なんですか?」
そう言われて令嬢二人はショックを受けた顔になるとお互いをじっと見つめ合う。
「……いいえ、そんな事はありませんわ。私と彼女は例え立場が違えど真の友人――その事に嘘偽りはございません」
「……ですわね。そう言われて初めて気付かされました。貴方の仰る通り友情とは、友人とは遠慮する物ではありませんでしたわね」
……え、何これ? なんか令嬢二人は手を取り合って友情の再確認をし始める。それを見てマリエルはうんうんと頷く。周囲の生徒達も感銘を受けた様子でいつしか廊下は拍手喝采で満たされた。
「――か、かっけえ……」
不意にそんな呟きが聞こえて隣を見るとシルヴァンの目がまるで少年の様にキラキラと輝いている。それでよく見ると廊下にいる生徒の中で特に感動しているのは殆どが男子生徒ばかりだ。ちょっと不安になって隣にいるリオンを見ると彼はそれ程感銘を受けた様子もない。そんなリオンは私の視線に気付くと息を吐き出した。
「……なるほどね。彼女が主人公で恋愛――って事はあのマリエルって子は男子に支持されるって事か。だけどその様子だとリゼもクラリスも、どうして男子がこんな風に盛り上がってるのか分かってないんじゃない?」
「……え、うん。シルヴァンも何だか様子が変だし、正直に言うとちょっと引いてる、かな?」
「私もよく分からないです。盛り上がってますけど、どうしてそこまで感動してるのかが分かりません」
私とクラリスはそう答えて顔を見合わせる。と言うかまるで宗教に染まったみたいでちょっと気味が悪い。廊下にちらほらいる他の女子達も若干引いた感じで遠巻きに眺めているだけだ。そんな様子を確認するとリオンは苦笑した。
「……要するにさ。あのマリエルって子は男子の気持ちを理解してるんだよ。多分女の子には分からないだろうけど無意識にでもそれが分かってるからああ言う発言が出る。リゼから聞いてたけど確かに貴族令嬢の考え方じゃない。あれは男女がもっと近い立場の人間の発想だ。彼女が平民出身って言うのは本当だったみたいだね」
あ……そっか。そう言えばリオンは叔母様の家で生活していた頃から私の話を聞いている。マリエルと言う平民出身の女の子が男爵家の養子になってアカデメイアに入学する事も知っている。きっとマリエルが平民出身と知るのは私とリオンだけ。下手をすれば他の誰も――テレーズ先生達アカデメイア側もそこまで把握出来ていないのかも知れない。
「まあ……貴族令嬢が理解してくれない男の気持ちを分かってくれる女の子なら大抵の男はコロッといくだろうね。マリエルは考え方が女子にしては無骨過ぎる。その上見た目も可愛らしいから余計に支持する男は増えていくんじゃないかな?」
それを聞いて私はハッとした。そうか、マリエルが乙女ゲームの主人公で攻略対象に支持されるのってそう言う部分なんだ。女子の気持ちが分かる男の子がモテるのと同じで、マリエルは男の子の気持ちが分かる女子だからモテる。別に特別な魅力や能力があるからモテるんじゃない。男子と似た発想が出来る女子で、男子の心情を察してくれるからモテる。貞淑とか女を磨く事しかしない貴族令嬢には絶対に太刀打ち出来ない武器を持っている。
「あれは多分、叔母さんや母さんが近いと思う。そんな子が年相応の無邪気さと考え方なんだからそりゃ人気も出るさ。一言で言えば『男前な彼女』って感じかな? 見栄えも普通以上で幼い女の子みたいな無邪気さで男の気持ちまで分かるんだ。貴族の男でそれに抗える奴はそういないんじゃないかと思うよ?」
「……なるほどね。貴族の男の人が平民の女性に惹かれる理由って実はそう言う部分なのかも知れないね……」
「そう言う事。まあ僕らアレクトーは貴族とは言っても貴族に近い立場なだけで平民とか貴族って意識は薄いからね。だからそう言う魅力にほぼ反応しない。もしかしたらリゼが注目され易いのも同じ様な理由とか魅力を感じる貴族の男が多いから、なのかもね?」
正直耳が痛い。そっか、だからそれを感覚的に言うと『幼い女の子みたいに無邪気で物怖じしない』って事なのかも。本来の私がそれでモテたんだとしたら元祖平民少女のマリエルには絶対敵わない訳だ。私はどうこう言っても公爵家令嬢で男の子の気持ちを察する事は出来ても限界がある。だって私は普通の女の子だもの。
「……多分、マリエルはもっと人気が出るよ。令嬢にも支持する子が出てくると思う。マリエルを同じ女子として見るか、男と同じで他人として見るかでその辺りの反応は変わってくる筈だから」
そんな予言じみたリオンの言葉に私はただ頷くしかなかった。