100 初めての相手
私が目を覚ました頃には部屋には皆の姿は無かった。だけどすぐ傍から声が聞こえて視線を向ける。
「――リゼ、起きた? 体調はマシになった?」
ベッドのすぐ横ではリオンが椅子に座っている。どうやらアンジェリン姫に抱きつかれたまま眠ってしまったらしい。窓の外で陽はまだ落ちていない。それ程長い間眠っていた訳じゃなさそうだ。
「あれから大変だったんだよ。レオボルト――リゼの兄さんが叔母さんに捕まってさ。どうも黙って一人でイースラフトに戻ろうとしてたらしくて。叔母さんだけじゃなくて僕の母さんも泣いちゃって結構な修羅場みたいになったってシルヴァンが言ってたよ」
うわ……それ、物凄くありそう。だって元々身体が弱い私の時もお母様は泣きそうになってたし、その上お兄様まで自殺を考えてたなんて知ったら親としては堪ったものじゃないだろう。
だけど覚えている限り、お兄様がそこまで追い込まれた原因は私にもある。叔母様の家に出てしまった所為でお兄様は私との距離感が掴めなくなっていた訳だし。勿論これはお父様やお母様も同じでアカデメイアに行った後も実家に戻らなくても何も言われなかったのはそれが原因だったんじゃないかな。
だけど本当にもうお兄様は大丈夫なのかな――そんな事を考えているとリオンが私の手を取って目を細くして笑った。
「……ああ、うん。多分兄さんはもう大丈夫だよ。叔母さんもクラリスを同席させてる。今回の事で兄さんは叔母さんの信用を失くしたらしい。まああの人は生真面目過ぎる感じだからね。自分がリゼを追い込んだって言うのが本当に許せなかったんじゃないかな?」
確かにそれは凄くありそう。元々私が四歳の頃までお兄様は本当に優しかったし真面目な人だったから。真面目な人って一人で思い悩んで悪い方向に突き進む気がする。きっと自分を苦しめるつもりでアベル伯父様の元で修行を受けてたに違いない。
「……いや、本当にさ。リゼは兄さんと良く似てるよ。リゼも自分が許せない時は自傷行為みたいな自分の虐め方をするし。でもリゼは身体が本当に弱いんだからそう言う事はもうしちゃダメだからね?」
う……否定出来ない。思わず目を伏せてしまう。お兄様に限らず私も思い込みが激しい処が結構あるし、それで更に自爆して倒れてしまう事も多い。だから似てると言われても微妙に喜べない。
だけどそこで私は顔を上げてリオンをまじまじと見つめた。なんだかリオンの魔法が強くなってる気がする。ここまで私は何も喋っていないのに手を繋いでいるだけでリオンは私と普通に会話をしているみたいに返事をしている。まるでクラリスの魔眼みたいだけどリオンの力は元々感情が分かる程度だった筈だ。
そう言えば英雄の魔法は成長するって聞いた気がする。それはリオンに限らず私の魔法ももっと強くなるって事だ。そうなったら一体どんな事になるのか想像出来ない。
それにあの時、エマさんを助けた時も意識してなかった。助けたのは単に視界に入ったからだ。それで何もしなかったらエマさんが死んじゃう事が視えて勝手に身体が動いてしまっただけだ。だけどリオンは少しだけ考えると苦笑した。
「……さっきはああ言ったけどさ。多分、リゼが未来を変えたのは多分、僕が初めてだったんだと思うよ?」
……え? 私がリオンの未来を……変えた?
「前に言った事があったよね? リゼのお陰で僕は母さんや家族と触れ合う事が出来る様になったって。実は僕、リゼと会った時は人間の事が本当に嫌いだったんだよ」
そう言ってリオンは昔を思い出すみたいに目を伏せる。
「……僕は父さんに連れられて色んな場所に行った。だけどそこで会った人達は皆、相手を利用する事しか考えてなかった。それで家族以外受け入れられなくなってた時にリゼと会った。最初は泣き虫な女の子だと思ったけど僕と似てるって思ったんだ」
「…………」
「そしたら僕に母さんが甘えてくれるのを待ってるってリゼが教えてくれたんだ。もしリゼが教えてくれなかったら僕は今も人間嫌いだったかも知れない。だからリゼが直接運命を変えたのは僕が一番最初の人間なんだと思うよ」
それは本当に予想外も良い処だった。リオンは最初に出会った時から大人しい印象だったし聞き分けも良かった。それに五歳の時点で人間不審だなんて想像も出来ない。それで私は思わず声を上げてしまっていた。
「え、嘘⁉︎ リオンがそんな風だったなんて――って、あれ? 声が……出てる? ん、ん……あー……あれ? 何だか普通に声が出せる様になってる……あ、あはは……何でだろうね?」
これまではどんなに頑張っても普通に話せなかったのに声が出ている。それで何となく気不味くて戯けた感じになってしまう。だけどリオンは驚いた顔で無言になって、そのまま近付いてきて私を抱き竦めた。
「……ひょっ⁉︎」
「……やっと……やっとだ……久しぶりにやっと聴けた……リゼのいつもの声だ……本当に長かった……やっとだ……」
耳元でリオンの囁く様な声が聞こえる。だけど顔は見えずその声は震えていてまるで泣いてるみたいだ。抱きつかれて慌てたけどそんな風に喜んでくれて嬉しい。私も思わず涙ぐんでしまう。私はそっとリオンを抱き返して同じ様に耳元で囁いた。
「……有難う……リオン、本当にありがとね……」
一年以上出せなかった声で私が言うとリオンの抱きしめる力が強くなる。なんだか首や頬、耳元が熱くなった気がする。こんな風になったのは初めてでどうすれば良いか分からない。
結局しばらくの間私とリオンはそのままの姿勢でいた。