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10 水への恐怖

 あれから私は普通に日常を過ごしていた。あんなに体力が無かったのに半年もすると湖へ往復出来る位にまで歩ける様になった。特別な薬草を使った薬湯と環境が良かったお陰か春先に来た頃と比べて随分とマシになった。地道に散歩を続けた事も良かったのかも知れない。流石にまだ走ったりすると体力が続かないけど。そして叔母様が来れなくても何処に行く時もリオンが必ず一緒だ。


 そうそう、あれからリオンは叔母様と良く手を繋ぐ様になった。最初は叔母様も驚いていたけれど急に末っ子が甘える様になって素直に嬉しいらしい。時々リオンに抱きついたりして笑っているけれど彼も素直に笑っている。きっと叔母様の純粋な愛情が伝わる事が心地よいんだろう。


 そして初夏を迎えた頃、湖に出掛けた時に湖岸で浅瀬を眺めながら水を手で掬う。思っていた通り水は綺麗だしとても冷たくて気持ちが良い。それでふと思って隣にいるリオンに私は尋ねてみた。


「――リオン、この湖って泳げるのかなあ?」

「え? 泳ぐって……普通泳ぐ人はいないと思うけど」


「え、そうなの? この湖って水も凄く綺麗だし夏の暑い時とか冷たくて気持ちよさそうなのに」


 この時私は彼が「普通はここで泳がない」と言う意味で言っている物とばかり思っていた。綺麗な水に見えるけど実は綺麗じゃないとか、危ない生き物がいるとか。勿論今すぐにと言う話じゃなくてもっと身体が丈夫になってから皆で水遊びをすれば涼しくて楽しそうだと思っただけだ。


 こんな事を尋ねたのは悪役令嬢の死亡理由の一つが溺死だからだ。もし泳げれば簡単に溺れて死ぬ事なんて無い筈だし水泳は全身運動と言うから身体も鍛えられる。浮力で体重が軽くなるから水中歩行もリハビリになるそうだし。


 だけど――違った。私の認識とリオンが持つこの世界の常識の間にズレがあった。彼は「ここでは泳がない」とは言ってない。彼は「普通泳ぐ人はいない」と言ったのだ。


 こんな事を聞いたのは叔母様が一緒じゃなかったから少し気が緩んでいたのかも知れない。それくらい私はリオンに心を許していたし何も疑問に思っていなかった。だけど彼は不思議そうに首を傾げて尋ねてくる。


「……と言うかリゼ、父さんや母さんでも泳いだりなんてしないし出来ないよ? それにリゼだって女の子なんだから裸足になったり肌を見せると叱られるんじゃない?」


「え? だけどローディ叔母様は泳いだり出来そうなのに泳いだりしないの? 夏の暑い時とか、水遊びとか普通に皆を連れて来てそうな感じなのに?」


 この時点で私でも流石に違和感を覚えていた。だけど口にしてしまった言葉は取り消せない。それに綺麗な叔母様がリオン達三人を連れて湖で水遊びしている姿を想像してそう言うのも良いなと思っていたから。

 だけど――リオンの反応は予想と全然違った。


「え、何言ってるんだよ。女の人は水遊びなんてしないし僕や兄さん達も暑くても水に入ったりしないよ? だって水の馬に拐われて水の国に連れていかれるもの。そうなったらもう帰ってこれない。だって人間は水の中じゃ息が出来なくて溺れて死んじゃうんだから」


「えっ? この湖にそんな魔物がいるの?」

「……僕は見た事はないけど……」


「そんなのいないと思うんだけどなあ。水着とか――」


 だけどそこまで言ってから私はやっと気付いた。そう言われてみるとお母様も水着なんて持ってない。夏場の暑い時は木陰で過ごす程度だし家の窓を開けて風通りを良くする位だ。それに薄着になる事はあっても肌が見えない物ばかりだし手桶に水を汲んで足をつけたりもしない。


 その事実に愕然としながら私は隣に立っているリオンを見上げる。途端に彼の頬が赤く染まって慌てて顔を背けた。そのまま私の方を見ずにリオンは小さく呟く。


「……だ、だからリゼも足を出したりしちゃダメなんだからね! それに……そんな事をしたら幾ら優しい母さんでもきっと怒るよ? 『女の子が人前ではしたない』って」


 そうだ――そうだった! あのゲームって私が、マリールイーゼが死ぬパートがやたら文学的な見せ方で有名になったんだ! それって他の乙女ゲームと違ってかなり硬派だったって事だ。そんな世界に水着シーンなんて登場する訳がない。大体水着が存在する世界なら悪役令嬢が水路に落ちてそのまま溺れ死ぬなんて事もあり得ない。水着は水に入って泳ぐ為の服でそれが無いって事はそもそもここでは泳ぐ習慣自体が無い。つまり力を抜けば人の身体が水に浮く事もこの世界では殆どの人が知らない――。


 それは知識がある身としては衝撃的だった。そう言えば私も裸足になる事なんてベッドの上でしか無い。それ以外の場所では基本的に女は男に素足を見せる事も憚られる世界でどうやって水着なんて存在出来ると思ったんだろう。


 私が今着ている服は装飾もゴテゴテしていないし素朴で過ごしやすい物だ。袖があるけど風通しが良くてスカートの丈も膝が隠れる程度しかない。これが許されるのは私がまだ四歳程度の子供だからだ。だけど歳が上がるに連れて貴族女性の服は肌が隠れる物になっていく。これは叔母様やお母様も――と言うか私の知る女性は二人しかいない。


「……そっか。そりゃあんな服で水に落ちたら泳ぐ処じゃないよ……そんなの、絶対に、溺れちゃう……」


 きっと悪役令嬢マリールイーゼは水を吸って重くなった服を着ていたから何も出来ず溺れたんだと思う。身体が弱くて力も無かった彼女に抗える筈もない。そしてそれは私自身の事でもある。そう考えるだけでゾッとする。水に落ちて身体に纏わり付く重い服が水底に自分の身体を沈めていく――どうしてもそんな事ばかり想像してしまう。


「――えっ……だ、大丈夫、リゼ⁉︎ 顔が真っ青だよ!」


 へたり込んだ私にリオンが心配そうに声を掛ける。だけど私は目の前にある湖から目を逸せない。湖の水は澄んでいて綺麗だけどもう綺麗だと思えない。水底を見ているだけで吸い込まれそうになる。兎に角早く水際から離れたいのに身体が竦んで動けない。


 結局リオンは私を背負って連れ帰ってくれた。その時に私がどう感じたのか察したらしく、彼はそれ以降私を湖に誘う事も無い。私はトラウマを一つ抱える事になった。


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