記録94:訓練生と暗殺者の卵
「ムニカル家のご当主様がお待ちです」
私は使用人の女に手を引かれて、屋敷の中に足を踏み込んだ。電気は一応通っているが予想以上に暗い。一体誰がこんな事をしているのか、甚だ疑問だ。
「ねえ、使用人さん。私...何をしてるの?」
私には理解できなかった。この女が何故こんなにも戦慄した表情をしているのか、何故眉一つ動かさない、視認のような顔をしているのか―――
なぜ、死人のように手が冷たいのか。
...
......
...............
視線。
後ろを振り返った。
ナイフが飛んできている。咄嗟に躱すと、眼の前にあった階段に突き刺さった。
それから、連続して全方位からナイフが何本も飛んできた。途中から使用人の手を振りほどいて避けることに専念していて、気づけば足元の至る所にナイフが転がっていた。
「使用人さ―――」
殺意!
床に落ちていたナイフを取って、使用人の武器を受け流した。
それから何も言わない使用人の足首にm小さい体を活かしてナイフを突き立て、前転しながらもう一本のナイフを取って、使用人の女の膝裏めがけて投げた。
ナイフは綺麗に刺さり、鮮血が吹き出した。
片足が使い物にならなくなっても戦おうとする使用人に、いつの間にか、私はナイフを取って首元に向けて突き立てんとしていた。
「待っ―――」
グサッ
直前での命乞いに、私はナイフを持つ手の力が抜けたと思っていた。
しかしナイフは自分の意志とは反して彼女の首元に深く食い込んで、貫通した。
使用人の女は何も言えないまま地面に倒れ込み、私を鬼の形相で睨みつけながら事切れてしまった。
これは...夢なのか?夢ならやけにリアルだ。
母の感覚が完全に再現されている気がする。なら、ここは母の過去と考えるのが妥当...
「よし...これで...ダイジョブ」
無理やり母っぽい口調にして、死体を置き去りにして階段を登った。
一弾一弾を踏みしめるたびに、腐った気の軋む音が屋敷の中に響き渡った。誰もいないはずなのに、やけに賑やかな屋敷を進んでいくと、階段の先には分かれ道があった。
右だ。
右に曲がって歩き出した。長い廊下だった。家の中なのにも関わらず霧がかかっていたので、置くまで見通すことはできなかった。
右手には等間隔に大量に設置された扉、左手には自分の身長よりも数倍の高さのある窓がズラリと並んでいた。
結構古い屋敷なのかなと考えていると、突き当りに大きな扉が見えてきた。
扉に手を触れてみると、冷たい。
手が凍りそうだ。
ふと、窓の外を見てみた。
猛吹雪だった。
まあ、そりゃ寒いよなと思いながらも、扉を開けようと、力いっぱい押し込んだ。
開かない。
もっと力強く押してみたが、一向に開く気配はない。
ちょっと離れて、体当たりでもしてやろうと思っていると、扉が"向こう側から押されて"開いた。
引き戸だった。
恥ずかしさで何も言えないまま部屋の中に入ると、そこでは豪勢な食事会が催されていた。
長いテーブルの一番奥に母の父...ムルの父がいた。
「アスカ、座りなさい」
「はい、お父様」
食事の席につくと続々と他の人も入ってきて一緒に食事を取り始めた。
皆が何食わぬ顔で食べているので、私も料理を食べようかとテーブルに並べられた皿に目を落とした。
私の皿にだけ、人の目玉が乗っていた。
隣の更には頭皮のこびり付いた髪の毛の束、そして生爪がトッピングされていた。
ドリンクはおよそ飲めないような色をしたドリンクだった。
そして周りの人の皿に目をやってもどれも人間の一部のような物ばかりが並んでいた。
それを周りの人達は、何食わぬ顔で食していた。
「どうした...食べなさい」
父が言ったが食べる気など起こらない。
というか、第一にこんなものを食べさせようとする親の気がしれない。
「...やだ」
私の口から、その二文字がこぼれ落ちた。
父は血相を変えて怒鳴った。何を言っているかが全く理解できなかったが、すぐにこの家を出ていけと言ったのは聞こえた。
それから私は、とにかく逃げるようにして屋敷を後にした。
吹雪の中、外に出た所で行く宛もなく彷徨ったので、思っていたよりも早く体力が尽きて、地面に倒れ込んだ。
お腹が空いて死にそうになる感覚を初めて味わった。
「死にたく...ないよぉ」
涙を流しながらそう呟いていると、眼の前に見知った風貌の男が現れた。
「生き残りか......」
彼は私の顔にむけてナイフを振り下ろそうとした。
しかし抵抗する力も残っていない私は大人しく運命に身を委ねて目を閉じた。
「おい、お前。名前は?」
「ム......ル...」
うまく口が動かない。
男は少し笑いながら、私のことをひょいと持ち上げて屋敷に戻った。
◆二〇四〇年 第三次世界大戦勃発直前
朝食を摂っている最中、母が突然俺に家庭教師を付けると言い出した。
「家庭教師?」
「そう、家庭教師の先生よ。あなたが陸軍士官学校に行きたいなんて言うから、パパの友達の知り合いを連れてきた貰ったの」
「そんなの良いよ。その人に悪いしさ」
「もう退役したらしいわ」
ゲッ...ならよっぽどの爺さんだろうな。
はぁ、めんどくせえ。
しかし、俺の予想に反して家庭教師として呼ばれて我が家にやってきたのは俺より少し年上...といっても十歳程度は離れているのだが、思っていたよりも若い人がやって来た。
しかもかなり美人な女性だった。
「よろしくお願いします。アレクサンダー君」
「あ、はい。こちらこそ」
一旦母も交えて三人で話をした。
そこで聞いた話をまとめると、彼女の名前はエルマンガルド・ミューラーと言ってドイツのアーヘンの街からやって来た女性で、独身のようだ。現在二八歳。つまり俺の十個上というわけだ。
黒い髪に青い目をしていて、顔立ちも整っているので、モデルかと思うほどだ。
これで独身だと言うのは無理があるように思えるので、きっと性格に難があるのだろうと思ってよく観察していると、エルマンガルドが笑って言った。
「もう、さっきからチラチラ見すぎですよ。まるで私の性格に難があるんだろうなみたいな顔をして」
正直、ドキッとした。
この一瞬で心を読んできたのだと錯覚してしまったほどだ。
小さい頃から感情があまり表に出ないと言われて育っていた手前、急に心を読まれたので少し驚いてしまったのだ。しかし、彼女の次の言葉に俺は更に驚かされた。
「なんで心読めるんだよ、小さい頃から表情筋と感情はあまりリンクしていないのにって顔だね」
完全に心の中を読まれている。しかも俺の小さい頃のことまで、見透かしている。きっと持てない理由コレなんだろうなとか思いつつ、俺は彼女に聞いた。
「なぜ、軍を辞めたのですか?」
「......それはまたいつか、二人の時に」
そう言って微笑む彼女に、母が言った。
「じゃあ、お母さんは買い物に行ってくるわ。アレックス、ちゃんと勉強教えてもらいなさいよ」
「分かってるよ」
母が変な気を使って外出したので、俺はエルマンガルドに聞いた。
「読心術か...それも、自然に」
「初対面でここまで分かったのはアレックス君が初めてだね」
どこか淋しげにそういった彼女はよしっと言って謎の気合を入れた。
そして教材をドンと机の上に置いて言った。
「さ、勉強だ!」
あー、両親ともに最重要事項を伝えてなかったんだな。まあいい、今からでも方針転換は十分できる。
「俺、勉強の方は大丈夫なんです。だから、その...面接の方だけ」
「え?あ...そう......」
「せっかく教材持ってきたのに、使ってもいない重い荷物を持って帰らなきゃならないのかって顔ですね」
「はは、ばれちゃったか」
「まあ俺が教材を運びましょうか?家、この近くですよね?」
彼女は少し笑って言った。
「後で頼むよ」
それから、俺達は面接の練習と実際の受験生だった彼女の体験談を交えた話を聞いた。
なにかとても重要なことを忘れている気がしたが、その時だけは何もかもを忘れて楽しむことができた。
暫くして、日も暮れてきたのでそろそろお開きということで、俺のカバンに彼女が持ってきていた教材を詰め込んで、家まで送っていくことになった。
彼女の家はここから徒歩で十五分程度の場所にあり、暫く借りているとのことだった。
「アレックス君、私のこと先生って呼んでくれない?」
「なぜ......いや、一応先生ですからね。分かりました」
「じゃあ、私はアレックスと呼ぶからね」
「了解です」
そうだ、確かにこの時俺はエルマンガルドの事を先生と呼び始めたのだ。
先生、先生、先生。その言葉を発しようとするたびに、なにか大切なことが頭をよぎった。
だが、なぜか先生がこれほど愛しく、そして懐かしく感じるのはなぜだろうか。
そんな事を考えているうちに、俺達は先生の家の前に到着していた。
「ありがとね、アレックス。重いから助かったよ」
「いえいえ、そんな事はありませんよ」
すると、先生は少し気恥ずかしそうに言った。
「お礼と言っては何だけど、夕ご飯、奢ってあげようか?」
「...よろしくお願いします」
それから暫く時間が立ち、先生と一緒にご飯を食べていた。先生はわざわざ度数の高い酒を飲んでいて、俺はワインを貰って飲んでいた。
食事も終わって、いざ片付けという所で、先生が俺の手を取って近くのソファに押し倒した。
「私、酔っちゃった、介抱してくれない?」
紅潮した肌、汗ばんだ首筋、虚ろな瞳、そして俺の首筋に回された彼女の柔らかい手。
欲求に負けそうになる自分を抑えながら、水を飲ませてから先生をなんとかベッドまで運んで布団に寝かせた。胸元がわざと開けるような服を着ていたので、運んでいる最中に少し暗い触れても罰は当たらないだろうという邪な考えが頭をよぎった。
だが、ずっと違和感があった。
何も考えずに、先生の眼の前でその違和感を口にした。
「未練がましい...」
思い出した。
完全に思い出した。
こんな所でイチャイチャしてる場合ではない。先生はもう既に死んでいる。
これはビナーの策略だ。
そう、分かっている。分かっているのだ。
だが、この光から抜け出せる気配がない。ずっと考えていると、だんだん光の世界が崩れ始めた。どうやらビナーの力には限界があったようだ。
「さ、開戦だな」
気づけば手元にロングソードがあった。
戻ってきてくれたんだな、ありがとうと感謝をしていると、先生の幻影が呟いた。
「頑張ってね」
「はい」
そうして光から覚めたと思えば、今度はまた違う光の中に居た。
今度は雪の降る...屋敷の前だった。
「アレックス?」
幼い少女の声が聞こえてきた。そこには見たことのある顔に酷似した顔があった。
「明日香?」
お読み頂きありがとう御座いました。次回もこうご期待!
次回『代償』




