第七話 「首席と次席の実力」
魔物は黒い狼のような姿。数は七体。おそらく『黒狼』だと思われる。
「魔物の姿を見て馬が取り乱してしまい、安全を考慮して急停止させていただきました。いかがいたしましょうか」
「ここで待機していてくれ。すぐにあの行商団を助ける」
「私も行くよ」
ディルは迷う素振りを見せずに助けに向かい、私も後についていった。
行商団は護衛をつけていなかったのか、剣や槍を持って自分たちの手で追い払おうとしている。
でも、あれじゃダメだ。
魔物の体内にも魔法の源となる魔素があり、奴らは無意識下でそれを鎧のように展開させて身を守っている。
その不可視の魔素の鎧を『魔装』と呼び、普通の武器ではまったく傷を付けることができないようになっているのだ。
魔装を打ち破るためには、それ以上に強い魔法で攻撃をするしかない。
そのための魔術師。魔物討伐は私たちの仕事だ。
「ローズマリーは右手側の魔物を!」
「わかった!」
短く声掛けをして、私たちは二手に分かれる。
横目にディルが、手元から氷の剣を出しているのが見えて、彼も私と同じ考えであることを密かに悟った。
行商団の人たちを巻き込まないように、大規模な魔法は使わずコンパクトな戦い方をする。
そのためには近接戦闘用の魔法を使うのが得策で、私も近づいて戦うことにした。
(【超人的な時間】。【子守りの愛撫】)
魔法を発動した瞬間、体が急激に軽くなる。
身体強化魔法の【超人的な時間】の効果だ。
同時に右手にコバルトブルーの光が灯り、私はその手を黒狼に伸ばした。
「はあっ!」
行商人たちを襲うのに夢中になっている黒狼に、背後から近づいて右手で触れる。
するとその狼は、糸の切れた操り人形のように、唐突に地面に倒れた。
これが昏睡魔法の【子守りの愛撫】の力。
この魔法を使えば、触れただけで魔物を眠らせることができるようになる。
原理としては魔素を麻酔効果のある性質に変換し、それを接触部から流し込んで昏睡させている。
ただし動物系の魔物のみに有効で、体が大きすぎる個体にも効果が薄い。
「魔物が、たった一撃で……」
「女の魔術師なんて、初めて見たぞ……」
行商団の人たちが驚いた顔を見せる中、黒狼がやられたことに気付いたもう一体が、すかさず私のもとに飛びかかってくる。
「ガウッ!」
私は素早く反応し、身を屈めて黒狼の真下に潜り込んだ。
通り過ぎさまに、奴の体に右手で触れる。
また一体、地面に吸われるように黒狼が倒れ伏した。
するとすぐ目の前に黒狼が二体いたので、即座に肉薄する。
閃くような速さで右手を当てると、その二体も地面に倒れて、不意に辺りが静まり返った。
見るとディルの方もちょうど同じタイミングで片付いたらしく、三体の黒狼が目の前で氷漬けにされている。
「あ、ありがとうございます魔術師様! なんとお礼を言ったらいいか……」
「今後はきちんと護衛の魔術師をつけるようにするんだね」
見たところ重大な怪我を負っている人もいないみたいだし、何事もなく終わってよかった。
眠らせた黒狼を、ディルが代わりに処理してくれて、行商団に感謝されながら私たちは馬車へと戻っていった。
その途中、ディルがやや呆れた様子で、不意に囁いてくる。
「四階位魔法の並列発動か。相変わらずとんでもないことを平然とやってのけるね、ローズマリーは」
「えっ、そう?」
「僕は身体強化魔法の【超人的な時間】と、簡易的な二階位魔法の並列発動が限界だっていうのに」
魔法は実用性と習得難度によって、それぞれ『階位』というものが設定される。
最も初歩的で簡単な一階位魔法、適切な指導と数ヶ月の訓練によって習得できる二階位魔法、習得に一年近くの訓練を要する三階位魔法。
二階位以上の魔法が戦闘において実用的であるとされ、三階位魔法を一つでも習得できているかどうかが、一流か否かを分ける線引きになっているのだ。
そして私がさっき使った二つの魔法は、さらにその上の四階位魔法。
「高い階位の魔法ほど、発動には多大な集中力と脳の処理能力が必要になる。四階位の魔法は発動だけでも困難なのに、それを二つ同時に発動と維持をさせるなんて……正直常人離れしすぎていて、不気味にすら感じてくるよ」
「人を怪物みたいに言わないでよ!」
魔法の並列発動は 右手で計算問題を解きながら、左手で文章問題を解くようなものと偉い魔術師が言ったそうだ。
四階位魔法の並列発動は、その問題が少し難しくなっただけだと私は思っている。
あとは慣れの話なので、別に常人離れした技術ってわけでもない気がするんだけど……
「改めて君との差を見せつけられたような気がするよ。認めたくはないけどね」
「……とりあえずそれは褒め言葉として受け取っておくよ。ていうかそれを言うならディルだって、魔物に襲われてる行商団を見ても、顔色一つ変えずに落ち着いて行動してたじゃん。すごい冷静さと判断力でそっちの方が怖いと思ったよ。さすがは神童の王子様」
「……でも、勝てなかった」
「えっ?」
「並列発動のことだけじゃない。倒した黒狼の数も、君は四体で、僕は三体だ」
そう言われて、私は一瞬だけ固まってしまう。
すぐにその言葉の意味を理解して、呆れるというより驚いてしまった。
「まさか、今の戦いでも私と競ってたの!?」
「僕は常に君に勝つつもりで過ごしているんだ。突発的な魔物討伐の場面でもね。それをよく胆に銘じておくといい」
ディルは挑戦的な視線をこちらに向けてそう言ってきた。
どれだけ私に勝ちたいのか、この王子様は。
あまりの負けず嫌いっぷりに、私は思わず呆れた笑みをこぼしてしまった。
――――
再び走り出した馬車の中。
ディルは窓の外に目を向けながら、先ほどの戦いの光景を思い出していた。
行商団の人たちに大事がなかったのは何よりだ。
ついでに行商人たちとの繋がりもできて、このコネクションは今後必ず役に立つはず。
と、成果に関しては満足しているけれど、ローズマリーにまた負けてしまったのは悔しいと思う。
同時に彼女の魔術師としての凄さに、改めて打ちのめされていた。
(毎度のことだけど、本当にローズマリーは無名貴族出身の令嬢なのか疑わしくなってくる)
魔法は実用性と習得難度によって階位が設定される。
そしてローズマリーが使っていた四階位魔法は、習得に血筋や才能まで絡んでくるほどの超高等魔法だ。
どれだけ時間を費やしたとしても習得できない魔法ばかりで、本来ガーニッシュ伯爵家の血に四階位の魔法を習得できるほどの才覚は備わっていないはず。
ではなぜ、ローズマリーが四階位の魔法を扱えるのか。
それはただ純粋に、使えるようになるまで練習をしたから。
魔法が大好きで、使いたいと思った魔法はできるようになるまで練習をする。
余計なことは考えず、寝る間も惜しんでひたすらにその魔法のことだけを考え続ける。
簡単なことのようで、とてつもなく難しいこと。
(ローズマリーは“努力のみ”で、血筋や才能の壁を乗り越えたということだ)
そしておそらく四階位魔法の並列発動も、できるまで練習をしただけなんだろう。
誰もが辛く苦しいものだと思っている魔法の練習を、何よりも楽しい遊びとして捉えている彼女だからこそ成し得た偉業。
他の魔術師とは明らかに感性が違う。
(魔導書に記された魔法だって、習得できるかどうかはその人の努力次第だ。読めば“誰でも”記された魔法を使えるようになる万能な書物と思っているのは、彼女がただ努力家で筋金入りの魔法好きというだけの話なんだ)
昔、ローズマリーに魔法の才能はないかもしれないと思った。
けれど“魔法が好き”ということ自体が、かけがえのない貴重な才能だと今一度痛感させられる。
夢中は時に、才覚を凌駕する。
(近づけば近づくほど、果てしなく遠い存在だと気づかされてしまう。僕はあまりにも無謀なことをしようとしているのかもしれない)
ローズマリーを超えたその時に、本当の気持ちを告白する。
それが実現できる日が果たして来るのだろうかと、ディルは今回の戦いを経て今一度大きな不安を抱えたのだった。
(まあ、それはそれとして……)
先刻、馬車が急停止し、ローズマリーが腹部に突っ込んできたことを思い出す。
少しだけ手が髪に触れて、さらりとした感触が手のひらに走った。
同時に果物を思わせる甘い香りが鼻腔をくすぐり、その時の感覚がいまだに脳裏に残っている。
そして、爆発しそうだった嬉しい感情も。
(さっきは本当に危なかった……! 嬉しすぎて顔が緩んでしまうところだった!)
今までになくローズマリーと接近できた。
思わずそのまま彼女の頭を両腕で抱きしめてしまいそうになったほどだ。
死に物狂いで平静を装ったが、顔に出ていなかっただろうか。
あの爆発的な歓喜の気持ちを、噯にも出さずに堪え切ることができたのはもはや奇跡に近い。
しかし願わくば、もう一度馬車が急停止してローズマリーが飛び込んで来てくれないかと、ディルは冷静な顔で窓の外を見つめながら考えていたのだった。