第四話 「秘めた想い」
ディルとローズマリーが話を終わらせた後。
婚約に関する細かい話はまた後日するということで、二人はその場で解散することにした。
ディルはローズマリーを送ろうかと提案しようとしたが、それよりも先に彼女は嬉しそうな様子で家路を駆けて行ってしまう。
そのことに残念さと安堵を同時に覚えながら、ディルも王宮に向けて足を動かした。
「…………ふぅ」
ローズマリーと話している時は平静を装っていたが、その必要がなくなりディルは大きく胸を撫で下ろす。
まだ拭い切れていない緊張感を冷や汗に変えて流し、彼女と会話している時の自分の様子を慎重に思い返した。
(顔に出ていなかっただろうか)
知らずに笑みがこぼれていたり、声が上擦ったりしていなかっただろうか。
おそらく大丈夫だとは思う。
この感情を隠すことにはもう慣れているし、気持ちを自覚してから三年も秘めてきたことだから。
しかし今回ばかりは非常に危なかった。
なぜなら……
(まさか、ローズマリーと結婚できることになるとはね。“嬉しすぎて”夢でも見ているようだ)
ディルは今一度それを思い出し、顔を熱くさせながら笑みをこぼした。
ディル・マリナードは、生まれながらにして神童と呼ばれていた。
かつて魔法の力により、魔物に占領された魔占領域を切り開いたマリナード一族。
その末裔に相応しく、彼は生まれながらに魔法の源となる『魔素』を莫大に宿していた。
また、魔法習得に欠かせない『想像力』に関しても天賦の才を有していた。
魔法とは、体内に宿されている魔素を変換して引き起こす“超常的な現象”のこと。
想像力によって魔素をあらゆる性質や物質に変換し、火を出したり雷を落としたりできる。
そしてディルは、通常であれば血の滲むような修練を経て習得するはずの魔法も、才能のみで即習得できた。
どれだけ魔素消費の激しい魔法も、莫大な魔素量のおかげで連続発動ができた。
生まれながらに現役魔術師を凌駕する逸材。
そんなディルが物心をつく頃には、すっかり王家の子息らしく自信にも満ち溢れていた。
現国王の父と、歳の離れた兄からも多大な期待を寄せられて、自分が特別だと信じて疑わなかった。
それが災いしたせいか、当時の彼は少し自惚れていた。
周囲にも高圧的な態度を取り、子供ながらに我儘をぶち撒け、思い通りにならなければすぐに誰かに怒りをぶつける。
自分を中心に世界が回っていると信じていて、そんなディルを周りの人間は咎めることができなかった。
それらの横暴が許されるほどに、ディルの才能は光り輝いていたから。
しかし、そんな彼の心を、初めて打ち砕く人物が現れた。
『王立エルブ英才魔法学校、第五十四期生、新入生代表――首席入学者ローズマリー・ガーニッシュ』
名門の魔法学校の入学式の日。
ディルは入学試験にて、首席の座をものにしたと信じて疑っていなかった。
周りの新入生たちも噂の神童の名が呼ばれると思っている中、耳を打ったのはまるで違う人物の名前だった。
特に魔術師の家系というわけでもない、貧乏伯爵家の一介の令嬢。
ディルは初めて自尊心をへし折られた。
『ローズマリー、絶対に許さない!』
ディル・マリナード、当時十二歳。
今まで誰にも負けたことがなかった彼が、初めて黒星をつけられた。
とんでもない敗北感と屈辱を味わい、その怒りを直接ローズマリーにぶつけた。
『ローズマリー! 次の試験では絶対に僕が勝つ!』
それからというもの、試験や課題がある度にローズマリーに勝負を仕掛けた。
自分が負けるなんて絶対にありえない。何かの間違いだと証明するために。
しかし毎回見事に負かされた。
どれだけ勉学と訓練を積んでも、ローズマリーにはあと一歩だけ届かなかった。
そして力を付けていくほどに、ディルは痛感させられることになる。
ローズマリーがどれほどの逸材かということを。
ローズマリーは決して、魔法の才能に恵まれているというわけではなかった。
自分のように生まれながらに莫大な魔素を宿しているわけでもない。
凄まじい魔力を有しているわけでもない。
感覚や想像力に長けているわけでもない。
彼女はただ、魔法が好きなだけだった。
魔法を使うのが好き、魔法を見るのが好き、魔法を調べるのが好き。
その好きを原動力にして、ローズマリーは無自覚に超人的な速度で成長を遂げていた。
天賦の才に恵まれている者を凌駕するほどの、恐ろしい成長の早さ。
自分が類稀なる天才だと自覚しているからこそ、ディルはローズマリーの凄さに打ちのめされた。
好きというだけでここまで成長できる人間がいることに、心の底から驚かされた。
『ローズマリー、君はいったいどこまで強く……』
そんな彼女の背中を追い続けて、早くも三年が経過。
ディルはいつしか、彼女に恋心を抱くようになっていた。
周りの目も顧みず、ひたすらに好きなことに打ち込む純真さ。
大好きな魔法を満面の笑みで楽しむ可愛らしい姿。
それらに心を奪われて、ディルは初めて人を好きになった。
だからディルは、いつかローズマリーを追い越したその時に、この気持ちを伝えようと思った。
相手には婚約者がいるから、決して自分の元には来ないとわかってはいた。
それでも思いの丈だけでもぶつけようと考えて、そのために彼はますます修行に励んだ。
高慢だった性格も気が付けば丸くなっていて、目標を見つけたことで彼の人生は一層色づいた。
しかし、その願いも叶わず、早くも卒業の時。
最後の卒業試験でもローズマリーを追い抜くことができなかったが、ディルの気持ちは変わらないままだった。
『僕たちの勝負はまだ終わっていない。勝ち逃げなんて絶対にさせないからな』
彼にとってこの言葉は、ある種の告白のようなもの。
まだ諦めてはいないという意思表示。
いつか必ず追い越して愛を伝えるという強い覚悟。
図らずもそんな彼女との結婚が叶うことになったが、まだ本心は伝えないようにしようと思っている。
やはりこの気持ちは、ローズマリーを追い越して、初めて白星を掴んだその時に告白しようと。
ディルは好きというその一言を伝えるために、愛するローズマリーの背中を追い続けていくと決めたのだった。
帰路を歩く中、ディルは改めてローズマリーへの想いと向き合う。
やがて王都のシンボルであり、ディルの生家でもある王宮が見えてきて、それを眺めながら密かに思った。
(この国……いや、世界的に見ても、女性蔑視の価値観があまりにも強く根付いてしまっている)
男尊女卑で男を立てる時代。
そう言われるほどに男性と女性には圧倒的に立場の差がある。
どこを見ても男性優位の情勢が多く、特に政治と魔術師界隈ではその傾向が顕著に窺える。
此度の王立エルブ英才魔法学校の卒業パーティーを見てもわかる通り、女性で首席卒業を果たしたローズマリーに非難の声が殺到していた。
あれはあまりにもおかしいと、ディルはいまだに新鮮な怒りを胸に感じる。
(いや、あるいは僕も……)
ローズマリーと出会っていなければ、彼らと同じことをしていたかもしれない。
それ以前に高慢だった性格も直っていなかっただろうし、いまだに周りに高圧的な態度をとっていたことだろう。
ローズマリーのおかげで、ディルは変わることができて、現代の曲がった思想にも気が付くことができた。
だから他の人たちもきっと……とディルは思う。
(今回僕が任された開拓事業はとても大きなものだ。そこでローズマリーが目に見えた功績を残せば、自ずと彼女は民衆に認知されるようになる)
そしてローズマリーの圧倒的な力と存在を知って、凝り固まった価値観を変えてくれるかもしれない。
女性に魔術師は務まらないという考えは、明らかに間違っていると。
そうすれば彼女が気兼ねなく大好きな魔法に打ち込める世界が、遠くないうちにやってくるに違いない。
(そのためにも僕が、彼女に活躍の機会をたくさん作ってあげるんだ)
大好きな人が、大好きなことに熱中できる、そんな世界を作るために。
ディルは人知れず夜空を見上げて、大きな決意を抱いたのだった。