第三十八話 「想いを言葉に」
夜になり、私は約束通りバルコニーへと向かった。
程よくお腹も空いているため、うきうきとした足取りで二階へと向かう。
バルコニーは屋敷の二階にある。
小規模の食事会ならできそうなくらい開放的な場所で、町の様子も眺めることができるので景色もいい。
到着すると、そこにはすでに食事が用意されていて、ディルが蝋燭に火を灯しながら待っていた。
私が来たことに気付くと、彼は椅子を引いて席に座るよう促してくる。
一連の所作があまりにも滑らかだったので、私は驚いて一瞬だけ固まってしまった。
こんな風にエスコートされるのは初めてのことである。
おかげで上空の綺麗な星空に気付くのも遅れてしまったほどだ。
ともあれ椅子に腰掛けると、ディルがグラスにワインを注いでくれる。
次いで対面の席に座り、彼は自分のグラスにもワインを入れてそれを掲げた。
「それじゃあ、黒竜討伐お疲れ様、ローズマリー」
「うん、お疲れ様」
互いのグラスを打ちつけ合って、グラスに口をつける。
お酒はあまり得意な方ではなく、ディルはそれを考慮して選んでくれたのか飲み口が軽やかだった。
それでいて味わいは芳醇で、気分を上品にさせてくれる。
こんなことならもっと綺麗なドレスでも着てくればよかった。
「綺麗な星空……。バルコニーでお祝いしたのは大正解だったね」
景色は最高だし料理は豪華。
バルコニーは私とディル以外に人がいないので心地よい静けさに包まれている。
でも、たった一つだけ懸念があった。
「それにしても、こんなに豪華にしてよかったの? まだ森林地帯の復興とか残ってるし、奥地の開拓のための資源も必要で、色々物入りなんじゃない……?」
「黒竜討伐の報奨として多額の資金をもらえたから、そこは心配いらないよ。それにこれだけの贅沢をするくらいの働きを、僕たちはしたと思っているからさ」
確かに王国最大の災厄と恐れられた魔物を討伐できたわけだからね。
その魔物のせいで、貴重な資源が大量に眠っているピートモス領の奥地も開拓できなかったわけだし。
これからその開拓が進んで王国はますます発展を遂げるだろうし、その立役者として多少の贅沢は目を瞑ってもらえるか。
それに……
「まあ、ディルは三百年現れなかった五階位魔法の習得者にもなっちゃったわけだからね。そのお祝いも兼ねるなら、むしろこれは質素に映るくらいだよ」
もっと贅沢してもよかったほどだ。
歴史の文献に名を残せるほどの大業を成し遂げたディルには、たくさんの褒美があっていいと思う。
せめてもの思いで、私が称賛の言葉を送っておいた。
「改めておめでとう、ディル。五階位魔法の習得なんて本当にすごいよ」
「それを言うなら、君こそだろ」
「……?」
わたし?
果たしてディルと並ぶほど称賛されるようなことをしただろうか?
そう疑問に思っていると、彼がその言葉の真意を話してくれた。
「四階位魔法の三並列発動。あの土壇場で未知の技術を会得するなんて、誰にも真似なんかできるはずない。そのおかげで黒竜に決定的な一撃を与えられたし、君こそ最も多くの称賛を受けるべき存在だ」
「そ、そうかな……」
素直に嬉しい言葉だった。
おかげで少し照れてしまう。
その気持ちを誤魔化すようにグラスに口をつけていると、ディルは私の顔を見つめながら続けた。
「君はいつも、僕を驚かせてくれるね」
次いで彼は、しみじみとした顔で感慨深そうに話す。
「王立エルブ英才魔法学校に入学したその日も、才覚者だと自負していた僕を抜かして、君は首席入学者として堂々と名前を刻んだ」
私もよく覚えている。
それが気に食わなくて、ディルが入学初日に突っかかってきたことも。
「それからも成績を落とすことなく、むしろますます魔法の腕を上達させていって、名門の魔法学校の首席に常に居続けた」
誰かさんが追いかけてくるからだよ、と私は心の中で笑う。
「僕はそんな君をずっと追い続けてきた。近づけば近づくほど、より遠い存在なのだと何度も思わされた。けど、君に勝ちたい一心で、僕は自分なりに魔法を追究していった」
普段はあまり気持ちを表に出さないディルが、すごく嬉しそうに微笑んで言う。
「そしてようやく、君に一つだけ勝つことができた」
「……そうだね」
こればっかりは負けを認めざるを得ない。
ディルは私が習得できなかった五階位魔法を会得した。
それを目の前で完璧に使いこなして、黒竜を討伐してみせたのだ。
でも、気分はまったく悪くない。
そしてディルは、空に見える星々に手を伸ばしながら、噛み締めるように続けた。
「それでね、いつか君を追い越して白星を掴んだその時に、伝えようと思っていたことがあるんだ。実は今夜の晩餐は、それを伝えるための特別な席でもある」
「伝えようと思ってたこと?」
不意にディルが、まっすぐな瞳でこちらを見据えてくる。
何を言われるのだろうかと小首を傾げていると……
「ローズマリー……」
ディルは、青空のように澄み切った顔で、はっきりと言った。
「僕は、君が好きだ」
ドクッと、私の心臓が脈を打つ。
まるで予想もしていなかった言葉を受けて、私は思わず固まってしまった。