第三十七話 「二人の晩餐」
黒竜との戦いを終えた後、私たちはすぐに開拓兵たちと合流した。
そして討伐した旨を伝えると、みんなは歓喜の叫びを上げてくれた。
この領地に迫っていた危機が去り、王国の災厄の再来も防ぐことができたのだから当然ではある。
そしてその噂は、すぐに王国全土に広まることになった。
マーシュ・ウィザーの暴走による災厄の飛竜の目覚め。
激闘の末に覚醒した王子ディル・マリナード。
結果、討伐は無事に成功し、脅威は完全に消滅した。
私たちはその成果を称えられることになり、一方で元凶のマーシュは王都から駆けつけてきた衛兵に捕縛された。
そして審判の結果、下された判決は労役場での『無期強制労働』。
つまりは死ぬまで過酷な労働を課せられる終身刑を言い渡されたというわけだ。
判決が下った瞬間、マーシュは過呼吸を起こしながら泣き崩れたと聞く。
この先まだ自由な人生を長く送れただろうに、その道を自らの手で断ってしまったわけだから後悔はひとしおだろう。
けれどあれだけの犯罪に手を染めておいて、それが若気の至りで許されるはずもない。
奴にはきっちりと罰を受けてもらう。
反対に私たちは、二頭の大蛇の討伐による祝賀会から間もないというのに、また王都から催しのための招集を受けた。
ソイル王国の悲願でもあった黒竜討伐を成し遂げたとして、その功績を国王様や国民たちから盛大に称えてもらった。
そんなこんなで各地を転々とし、私とディルはてんてこ舞いの忙しさを味わった。
そしてようやくのことでピートモス領の屋敷に帰ってきて、人心地つくことができたのは、黒竜との激闘からおよそ一ヶ月後のことだった。
「はぁ〜、やっと帰ってこられた……」
書斎に漂う本の香りを吸い込んで、私は楽園への帰還をしみじみと感じる。
黒竜との激闘から今日まで、本当に息つく暇もなかったという感じだったから。
祝賀会は誇らしかったけど、その後は黒竜との戦いについて鮮明な話を求められた。
マーシュの断罪のための証言もしなくてはならなかったので、ここ一ヶ月は取り調べを受け続けている気分になったものだ。
むしろ黒竜との激闘以上に疲れを感じたかもしれない。
けど、それももうおしまい。
今日からまたのんびりとした生活が訪れる。
この屋敷の書斎で、好きなだけ魔導書を読む日々が送れるんだ。
……と、そういうわけにもいかず、実はまだまだ予定がぎっしりと詰まっていたりする。
黒竜の暴走によって荒らされた森林地帯の復興。
奥地の開拓が可能になったためその立案と作戦実行。
黒竜との戦いを鮮明に記録に残すという任務も王都側から課されている。
本格的に作戦が立ったら、いよいよゆっくりできる時間はなくなってしまうだろう。
だから魔導書を楽しめるのは今しかない。
また忙しくなる前に存分に目に焼きつけておこうと思って、片っ端から魔導書に手をつけていると……
「ローズマリー、少しいいかい?」
「あっ、ディル」
不意にディルが訪ねてきた。
ディルがこの書斎を訪ねてくるのは、いつも決まって次の作戦が定まった時が多い。
そう思って私は返した。
「どうしたのディル? もしかして次の作戦が決まった? 森林地帯の復興? それとも奥地の開拓?」
「あまりプレッシャーをかけないでもらえるかな。まだどれも具体的な作戦は立っていないよ」
「ご、ごめんごめん」
まだ王都から帰ってきたばかりで、確かにそれは無茶だったかもしれない。
前のめりになってしまったことを申し訳なく思っていると、ディルが壁際に置いてある椅子を指で差して尋ねてきた。
「少し別件で話をしにきたんだ。座ってもいいかい?」
「うん、どうぞ」
頷くと、ディルは椅子を持ってきて机の前に座る。
って、ここはディルの屋敷なわけで、私が了承するのはおかしい気がするけど。
遅れてそんなことを思いながら、ディルがなんだか少し改まった様子に見えて、私は訝しい気持ちを抱いた。
するとディルは端的に話を切り出してくる。
「今夜、晩餐でも一緒にどうだい?」
「えっ、ご飯?」
「今夜は天気がよくて星が綺麗に見えるらしい。だからよかったらバルコニーで、一緒に食事でもしようかなって思ってね」
珍しいお誘いに、思わず面食らってしまう。
まさか晩ご飯のお誘いをしに来たなんて、まったくの予想外だ。
今までそんなこと一度も言ったことなかったのに。
でも、その誘いにはちゃんとした理由があった。
「思えば、王都で祝賀会を開いたりはしてもらったけど、僕たち自身でお祝いはしてなかったからさ。二人で協力して黒竜を討伐した祝勝会でもしようと思ってね。まあ、もうお祝いは充分だって言うなら無理にとは言わないけど」
「ううん、そんなことないよ。やろうよ祝勝会」
なんだかんだで一緒に協力して一体の強大な魔物を倒したのも、これが初めてだし。
綺麗な星空の下で食事をするのも純粋に楽しそうだから。
何よりも……
「それにちょうどよかったよ。私もディルにじっくり聞きたいことがあったからさ」
「聞きたいこと?」
「五階位魔法のこと」
私は書斎の棚にあった一冊の魔導書を持ってくる。
それは飛行魔法の【神の見えざる翼】について記された魔導書で、その一冊を見せながら続けた。
「この三百年間、誰一人として習得できなかった飛行魔法【神の見えざる翼】。ディルはそれを三百年ぶりに習得した魔術師になったんだよ。だから魔法の感覚とかずっと聞きたいって思ってたんだ」
魔法を習得するには、実際にその魔法を扱える人物に感覚の共有をしてもらうのが一番。
そのために発動感覚やら習得方法やらを記した魔導書が現代に残されている。
そしてもちろん直接感覚を聞くことでも、魔法の習得には繋がるので、ディルに五階位魔法の感覚を教えてもらおうと思っていたんだ。
この魔導書だけでは限界があったし、何よりこれが記されたのは三百年も昔のこと。
同じ現代に生きているディルから感覚の共有をしてもらう方が絶対に確実である。
けれど……
「わざわざ僕の口から話さなくても、いずれ僕が監修した【神の見えざる翼】の魔導書が世に出されることになっている。それを待っていればいいじゃないか」
「うーん、それもそうなんだけど……」
ディルは三百年間現れなかった五階位魔法の習得者として、新たな魔導書の制作を王国軍から頼まれている。
だから急いで本人の口から聞かなくても、ディルの感覚が記された魔導書は遠くないうちに世に渡ることになっているのだ。
ただ……
「実際に【神の見えざる翼】を使える魔術師が目の前にいて、そのコツを聞かずにはいられないよ。ただでさえずっと使いたいって思ってた夢の魔法だし。そのコツ一つで習得できる可能性もあるんだから」
「とは言っても、僕だってこの魔法の感覚を口頭で説明できる自信がないんだ。確実に文字に起こした方が伝えやすい。それに君としても、大好きな魔導書という形の方が、より参考になっていいんじゃないかな」
「そ、それは確かに……」
三百年間、誰も習得ができなかった五階位魔法の感覚を、口頭で説明しろというのはさすがに無茶か。
それに魔導書の方が私としては参考になるというのもその通りである。
まあそういうことなら仕方ないか。
大人しくディルが監修した五階位魔法の魔導書が出るのを待つことにしよう。
今宵の晩餐は純粋に飛行魔法の使い心地とか感想を聞く場にすればいい。
それもそれで楽しみである。
「それじゃあまた今夜、晩餐の時にバルコニーで」
「うん、わかった」
ディルはそう言い残して書斎を去っていき、私は再び魔導書に目を落としたのだった。