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第三十六話 「憧れを超えた先」

 黒竜(シャドウ)が飛び去っていく光景を前に、ディルは焦りを覚える。

 同時に何もできないという激しい無力さを感じた。

 絶対に奴を止めなければいけない。けれど自分には何もできない。

 飛び去っていく黒竜(シャドウ)を瞬時に撃ち落とせるほどの手腕を、自分は持ち合わせていないから。


(僕にいったい、何ができる……?)


 明らかに魔法の発動が間に合わない。

 間に合ったとしても、自分の魔法程度では決定打にならないだろう。

 そもそもあそこまで離れた標的に魔法を直撃させるのも至難だ。

 自分が類稀なる天才だと自負しているからこそ、才能だけではどうしようもない状況というのも熟知している。

 何より自分は、地上にいた黒竜(シャドウ)さえもまともに傷付けることができなかったのだから。


 それを代わりにやってくれたのは、ローズマリー。

 目の前でローズマリーの覚醒を見たことで、ディルはまた一段と実力の差を見せつけられた。

 自分の才能がその程度なのだと、改めて実感させられる。

 こんな自分には、きっと何もできない。

 飛び去っていく飛竜の背中を眺めていることしか……


(…………いや、そうじゃないだろ!)


 今ここで重要なのは、できるかできないかじゃない。

 やらなきゃいけないんだ。

 この領地の主人として、多くの開拓兵を率いる将として、何よりローズマリーの婚約者として。

 ここで黒竜(シャドウ)を逃がせば、またより多くの人が傷付けられてしまう。

 それはすなわち、あのマーシュという男の悪意によって、新たな犠牲者が生まれてしまうということだ。

 それが許せないのは当然だけど、その事態にローズマリーが多大な責任を感じる可能性が高い。


 マーシュの怒りを買ったのは自分で、そのせいで飛竜を目覚めさせてしまい、たくさんの人を傷付けてしまったと。

 ローズマリーに悲しい顔をさせるのだけはダメだ。

 彼女に一番似合うのは、魔法を楽しんでいる時に見せるような、子供のように純粋で明るい笑顔なんだから。


(絶対に僕が、黒竜(シャドウ)を止めてみせる――!)


 体の内側が、燃えるように熱くなった。




――――




 遠ざかっていく黒竜(シャドウ)の背中に右手を向けながら、私は瞬時に思考を巡らせる。

 四階位魔法の並列発動……

 いや、確実に間に合わない。

 魔法の発動速度には自身があるけど、並列発動となると僅かに時間が掛かる。

 黒竜(シャドウ)の両翼はすでに広がり、着々と背中が遠ざかりつつあるのだ。

 魔法で跳躍して追いつこうとするのも難しい。

 ここは単発の四階位魔法で、撃墜を試みるしかない。


 幸い、先ほどの四階位魔法の三並列発動によって、黒竜(シャドウ)は深傷を負っている。

 見る限り魔装も完全な状態ではないので、単発発動の四階位魔法を傷口に撃ち込めれば、充分な決定打になるはずだ。

 あとは私が、この一撃を外さなければ……


(性質は鋼。形状は大矢。【巨人殺しの鋼矢ジャイヤント・キリング】)


 右手の平に鈍色の巨大な魔法陣が展開される。

 そこから鋼鉄製の大矢が高速で射出され、飛び去っていく黒竜(シャドウ)の元へ飛来した。

 申し分ない威力と速度。照準も大きく狂いはしていない。

 私は祈るような気持ちで、放たれた鋼鉄の大矢の行方を見守った。

 そして、その祈りが届いたのか……


 矢は、黒竜(シャドウ)の傷だらけの右翼に直撃した。


「やった!」


 大矢に貫かれた黒竜(シャドウ)は、その巨体を空中でぐらりとふらつかせる。

 そのまま翼を止めて、黒き飛竜は力無く地面に落ちていった。

 だが……


「グ……オオォォォ!!!」


「――っ!?」


 黒竜(シャドウ)はここ一番の雄叫びを上げて、再び翼を動かし始めた。

 影のように黒い巨体は、また空高くへと舞い上がっていき、こちらに背中を見せて飛び去っていく。


「止まって!」


 私は諦めずにまた右手を構える。

 しかし魔法の発動が間に合わず、黒竜(シャドウ)は完全に射程の外へと行ってしまった。

 この距離じゃ届かない。黒竜(シャドウ)を止めることができない。

 私の一撃に、数千人の命がかかっていたかもしれないのに……!

 悲痛な心の叫びは、森のざわめきに虚しく消え去っていくだけで、私はただ遠ざかっていく竜の後ろ姿を見上げていることしかできなかった。


 その時――




「あとは任せて、ローズマリー」




「えっ……」


 視界の端を、一つの影が横切る。

 それはまるで風に乗るように、あるいは羽ばたく鳥のようにして、軽やかに空へと舞い上がっていった。

 その後ろ姿が、間違いなくディルのものであることに、私は自分の目を疑う。

 気のせいや幻覚などではない。

 ディルは明らかに……


「……飛んでる」


 魔法による跳躍というわけではない。

 一時的に上空に跳び上がったというわけではなく、重力に逆らうようにして完全に浮遊している。

 そしてディルは泳ぐようにして、鳥よりも速く自由に空を飛び、離れゆく黒竜(シャドウ)の背中に急接近していった。

 あまりにも超常的な現象を前に、私は唖然と立ち尽くす。

 しかしこの疑問の答えに、たった一つだけ心当たりがあった。


「もしかして、飛行魔法……?」


 人という種を、地上から解放し、空の領域へ踏み込ませる夢想の魔法――【神の見えざる翼(フリュー・ゲル)】。

 永続的な滑空と浮遊を可能にするその飛行魔法は、唯一『五階位』の位を与えられた超高等魔法だ。

 この三百年間、誰一人として習得できなかった魔法で、私だって魔導書を読み込んでも使うことができなかったのに。

 ディルはこの土壇場で、飛行魔法の感覚と真髄を掴んだっていうの?

 黒竜(シャドウ)を止めたいという強い気持ちが、彼を一つ上の次元へと覚醒させた。

 類稀なる魔法の才覚を持った、神童ディル・マリナードの真価が、今ここで発揮される。


「はあっ!」


 ディルは高速飛行により、瞬く間に黒竜(シャドウ)の真後ろに接近する。

 その気配を察したのか、黒竜(シャドウ)は後ろを振り返って威嚇するように咆哮した。


「グオオォォォ!!!」


 次いでディルを迎撃するように火炎の息吹を吐き出す。

 思わぬ反撃に私はつい小さな悲鳴を漏らしてしまうが、ディルは不可視の力に引っ張られるように真横へ回避した。

 続け様に放たれた炎も、空を泳ぐようにして自由自在に掻い潜っていく。


「……すごい」


 思わず口からこぼれた称賛の台詞。

 私が習得できなかった五階位の飛行魔法を、この土壇場で使えるようになって、しかもそれをいきなり完璧に使いこなすなんて……

 紛れもない稀代の天才魔術師だ。

 ディルは華麗な飛行で黒竜(シャドウ)の迎撃を潜り抜けると、氷の長剣を生成する二階位魔法によって武器を作り出した。

 それを右手で振りかぶり、飛翔の勢いと共に全力で振り抜く。


「せ……やあっ!」


 ディルのその一撃は、黒竜(シャドウ)の負傷していた右翼に見事に直撃した。

 それだけにとどまらず、ディルは空中で旋回して幾度も右側の翼を斬り刻む。

 最後に高々と長剣を振り上げて、渾身の一撃を叩き込むと、黒竜(シャドウ)の翼は完全に動きを止めた。

 今度こそ力無く地面へと墜落していく。

 凄まじい地響きと轟音を広げながら、黒竜(シャドウ)の巨体は森林地帯へと落ち、生気を失くして完全に鎮まった。


 黒竜(シャドウ)の絶命を遠目に見つめながら、私は呆然と固まる。

 あまりにも衝撃的な光景を目の当たりにしてしまい、頭の整理がまるで追いついていなかった。

 するとそんな私の前に、氷の長剣を携えた銀髪の青年が、上空からふわりと下降してくる。

 彼は地面に到達する寸前で止まり、シャボン玉のように宙に浮遊したまま、どこか誇らしげに笑みを浮かべた。


「ローズマリー……」


 その意味を、彼の口から告げられる。


「ようやく、君に一つだけ勝つことができた」


 刹那、王立エルブ英才魔法学校に入学してからの六年間の軌跡が脳裏をよぎる。

 私とディルは、入学した時からずっと競い続けてきた。

 そして私は一度として白星を譲ったことはなく、魔法の分野において常に彼の上に立ち続けてきた。

 卒業まで崩れることのなかった首席と次席の関係。

 しかし今この瞬間、その立場が初めて逆転する。

 私が習得できなかった五階位魔法を完璧に使いこなし、ディルは黒竜(シャドウ)を空の領域から引きずり下ろしてみせた。


『僕は常に君に勝つつもりで過ごしているんだ。突発的な魔物討伐の場面でもね。それをよく胆に銘じておくといい』


 有言実行とはまさにこのこと。

 負けず嫌いもここまでくると、さすがに感服せざるを得ない。

 でも、ディルのその負けん気のおかげで、最悪の事態を避けることができた。

 これ以上誰も傷付けずに済ませることができたんだ。

 ホント、この王子様は……


「……今回ばかりは、負けを認めるしかないね」


 こうして黒竜(シャドウ)を止めることができたのと同時に、私はこの瞬間初めて、ディルに黒星をつけられたのだった。

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