第三十五話 「大好きの到達点」
「う……そ……」
傷一つない黒竜の姿を見て、私は果てしない絶望を感じる。
この一撃で倒し切れるとは思っていなかったけど、まさか魔装すらろくに削れないなんて。
あの赤蛇さえも一撃で屠った、私の全力の複合魔法なのに……
「まさかローズマリーの全力でも、傷一つ付けられないとはね」
言葉を失っている私の傍らで、さしものディルも苦い顔を見せる。
そんな私たちの絶望を後押しするかのように、黒竜が再び業火の息吹を掛けてきた。
「【逆行する白滝】」
ディルが目覚ましい反応で防壁魔法を展開してくれる。
黒竜もムキになったのか、その壁を壊そうとして絶えず炎の息を吹き続けていた。
今のうちに、黒竜を討伐する手段を考えないと。
でも、いったいどうしたら……
「グオオォォォ!!!」
ディルが築いた防壁を崩せず、黒竜は怒りを募らせたように咆哮する。
そしてこちらに構うのが時間の無駄と判断したらしく、奴は周りの木々に向かって炎を吐き出し始めた。
森林地帯の鮮やかな緑が、残酷にも燃やされていく。
私はそれを止めるべく、咄嗟に魔法を発動させた。
「ここは壊させない!」
千の短剣を射出する魔法と、所持している武器に強力な雷の性質を付与する魔法。
その二つを複合発動させることで、豪雷を宿した千の短剣を射出する魔法へと昇華させることができる。
私の周りに幾数もの紫色の魔法陣が展開されて、そこから雷を帯びた短剣が複数飛び出してきた。
高速で飛ばされた短剣たちは、瞬く間に黒竜の体に衝突する。
だが――
ガンッガンッ!
すべて魔装に阻まれて、あっけなく弾かれてしまう。
「貫けない……!」
宿した雷の性質も効果がなかったようで、黒竜はこちらに見向きもせず森を荒らし続けている。
奴の暴走を止められない。
どんな魔法も黒竜には通用しない。
かつて数多の凄腕魔術師たちがその身を犠牲にして、封印するしかなかった伝説の飛竜。
今の私の魔法の力じゃ、そんな怪物を止めることはできないんだ。
森を焼かれていく光景を、ただ呆然と眺めることしかできなくて、私は人知れず唇を噛み締めた。
「【予報外れの大霰】」
その時、傍らのディルが魔法を発動させて、水色の魔法陣から巨大な氷塊を放つ。
複数の氷塊は黒竜の体に衝突するが、傷を付けられずに虚しく砕け散っていった。
それでもディルは、続け様に魔法を放とうとしている。
ディルはまだ、まったく諦めていない。
この領地を守るために、仲間の開拓兵たちを傷付けさせないために、黒竜の暴走を止めようとしている。
「…………ダメだ」
弱気になっちゃ、ダメだ。
私も、みんなで開拓を進めてきたこの場所を守りたい。
あの男の悪意のせいで、すべてを踏みにじられるわけにはいかない。
大好きな魔法の分野で、諦めるなんてことは絶対にしちゃいけない。
私の大好きは、どんな苦境も困難も解決できる可能性を秘めている。
何より……
ライバルのディルに、失望なんてされたくないから。
(性質は炎。形状は大玉。【灼熱の球体】)
巨大な火球を撃ち出す火炎魔法。
(性質は爆発。形状は礫。【爆裂する小さな礫】)
大爆発を起こす小石を生成する爆発魔法。
それを同時に発動させる。
だがこれでは先ほどと同じで、四階位魔法の複合発動による【小さな太陽】にしかならない。
きっとまた黒竜の魔装に阻まれて、傷一つ付けることができないだろう。
だから、もう一つ――
(性質は風。形状は竜巻。【局所的な旋風】)
前人未到の試み。
四階位魔法の、三つ同時の並列発動。
二つの四階位魔法の複合だけでダメなら、三つを合わせてさらに火力を引き上げる。
巨大な火球を撃ち出す火炎魔法と、大爆発を起こす小石を生成する爆発魔法と、小さいながらも強烈な旋風を起こす竜巻魔法。
巨大な火球と猛烈な旋風を、爆発する小さな礫にすべて収めるイメージ。
それは炸裂の瞬間にすべての性質を解き放ち、高火力爆発を巻き起こすことができる。
言葉にするのは簡単だ。
問題は三つの四階位魔法を同時に使えるかどうか。
ただでさえ二つの並列発動だけでも高等技術だというのに、さらに魔法を一つ増やすなんて荒技としか言えない。
当然、前例だってあるはずもなく、人間の手で可能かどうかすらわからない未知の技法だ。
それでも、私なら……
「くっ……うぅ……!」
想像力を全開に働かせる。
構えた右手に莫大な量の魔素が収束していく。
今までにないほど集中力を研ぎ澄ませて、体内の魔素に全神経を注ぎ込んだ。
三つの魔法が、完璧に重なった感覚が迸る。
「【終幕の太陽】!」
感覚のままに魔法を解き放つと、巨大な真紅の魔法陣が右手に展開された。
瞬間、先刻よりも強烈な輝きを宿す礫が射出される。
それは空中に紅の軌跡を残しながら、黒竜の元に飛来し、巨大な右の翼に衝突した。
刹那、神々しい光が、辺り一面を白く染め上げる。
あまりの威力に、白光で視界が完全に覆われ、昼間だというのに一瞬だけ夜になったように錯覚させられた。
それだけの大規模爆発の直後、魔法を使った私にすら、灼けつくような熱気と鋭い旋風が襲いかかってくる。
森林地帯全体が揺れるほどの衝撃も広がり、その破格の威力の高さを物語ってきた。
次第に視界が晴れてくると、爆発の中心になった場所も明らかになっていく。
「グ、オォ……!」
魔法の直撃を受けた黒竜は、全身が焼け焦げて黒煙を上げていた。
魔装が破れて、本体に多大なダメージが及んだのは一目瞭然。
魔法が直撃した右翼に至ってはほとんど原型をとどめていなかった。
そして奴は糸の切れた操り人形のように、漆黒のその巨体を地面に沈める。
その様子を見ながら、私は自分自身が引き起こした魔法に驚愕していた。
四階位魔法の三つ同時の並列発動は、今の私ならできると思った。
だから発動できたこと自体にさほどの驚きはない。
けど、よもやここまでの破壊力があるとは想像もしていなかった。
これが私の、新しい力。
大好きな魔法を追究し続けて辿り着いた到達点。
それを離れた場所で見ていたディルも、倒れた黒竜を呆然と見据えながら立ち尽くしていた。
「君はいったい、どこまで強くなるっていうんだ……」
ライバルの前で格好のいい姿を見せることができた。
黒竜を討伐できたことより、そちらの喜びの方が私としては大きいように感じた。
しかしその時――
「グ……オオォォォ!!!」
「――っ!?」
倒したと思っていた黒竜が、突然咆哮しながら体を起こした。
予期せぬ事態に、私とディルは揃って目を見開く。
唖然とする中、黒竜は傷付いた翼を強引に動かしながら、空高くへと飛翔した。
そして私たちに背を向ける。
「まさか、逃げるつもり……!」
黒竜は私の一撃で深傷を負った。
命の危険を感じて、ここから逃げ去ろうとしても不思議じゃない。
まさかあの怪我で、まだ飛べる余力を残しているとは思わなかった。
絶対に逃すわけにはいかない。
「魔法で撃ち落とす!」
私は即座に右手を構える。
離れていく黒竜の背中に手の平を向けて、集中力を研ぎ澄ました。
ここで奴を逃がすと、また別の領地や人々が襲われることになる。
その被害は数百人程度の規模では収まらないだろう。
いわばこの一撃には、数千人の命が掛かっている。
失敗が許されない状況に、私は息を飲みながら右手に魔素を集中させた。