第三十四話 「大切な場所」
次第に地響きが大きくなる中、森林地帯の奥地を目指して私たちは走り続ける。
やがて木々が倒れていたり、茂みが焼け払われている荒地を見つけると、そこに向かって足を動かした。
そして辿り着いたその先に、私たちは確かに見つける。
木々を薙ぎ倒し、緑を息吹で焼き払っている、影のように黒い巨大な竜の姿を。
「あれが、黒竜……」
突風を巻き起こすほど大きな両翼に、刃のように鋭い爪と牙。
光沢のある黒い鱗は非常に頑丈そうで、蛇のように縦長の瞳孔をした赤目はかなり恐ろしい。
何よりも凶悪なのはその体の大きさで、縦の寸法だけで言えば私たちが暮らしている屋敷とほとんど同じ大きさをしていた。
かつてソイル王国を窮地に追い込んだ、災厄とも呼ばれた伝説の飛竜。
遠目からでもその恐ろしさが伝わってきて、ディルと一緒に立ち尽くしていると、不意に後ろから声をかけられた。
「ディル様! ローズマリー様!」
「来ていただけたのですね!」
「森林開拓班か……」
この森林地帯で任務中だった開拓兵たちだった。
見たところみんな怪我をしているようで、飛竜の息吹を少し受けたのか、火傷を負っている人たちもいる。
「遅くなってしまってすまない。状況を簡潔に頼む」
「負傷者は複数名おりますが、死者は出ておりません。そして森林地帯の被害ですが、現状はこの奥地の周辺のみが荒らされているだけで、土壌整備を行っていた中央部までは被害が広がっておりません」
よかった。思っているよりもひどい状況にはなっていないようだ。
死者は無しで、本格的に開拓を進めていた中央部までは飛竜の手が届いていない。
つまり……
「ここであの竜を止めれば、最小限の被害で事態を収めることができる」
私が思ったことを代弁するように、ディルが飛竜を見据えながら呟いた。
次いで彼は、すかさずこちらを振り向く。
「行こう、ローズマリー!」
「うん!」
彼の声に頷きを返すと、私たちは同じタイミングで飛竜の方へ駆け出した。
そしてディルは開拓兵たちに指示を残す。
「開拓兵は戦いに巻き込まれないように、できる限り遠くへ離れてくれ!」
「承知いたしました!」
「ディル様、ローズマリー様、どうかご武運を!」
開拓兵たちは力になれないことが悔しいのか、申し訳なさそうな顔で応えていた。
しかしそれも無理はない。
今、私たちの目の前にいるのは、このソイル王国を恐怖に陥れた過去最恐の魔物だ。
遠目に暴れ回っている姿を見るだけでも、生物的な本能が“逃げろ”と訴えかけてくる。
それでも私とディルは飛竜を目掛けて全力で走り、冷静に敵の姿を見据えた。
ここまで大きな魔物と戦うのは初めてだ。
でも、やることはきっと変わらないはず。
魔物が纏っている魔装を、魔法の力で打ち砕く。
そして本体に決定的な一撃を与えて、討伐を完遂させるんだ。
私の全力を……今まで積み重ねてきた修練の成果を……何よりも大好きな魔法を……
ただまっすぐに、相手に叩き込めばいい!
「グオオォォォ!!!」
暴走していた飛竜が、私たちの気配を気取ってこちらを振り向く。
次いで怒りの咆哮と共に、火炎の息を吹き出してきた。
魔法での防衛を試みようとした瞬間、隣でディルが叫ぶ。
「ローズマリーは攻撃に集中してくれ!」
彼のその声に、私はすぐに思考を入れ替える。
防衛のために回そうと思っていた魔素を、即座に攻撃の魔法用に転用させた。
そして飛竜の息吹は、代わりにディルが対処してくれる。
「【逆行する白滝】」
地面から噴水のように、巨大な純白の水柱が立ち昇った。
まるで流れに逆らうかのように、空へと昇っていく滝のように見える魔法。
水の壁と化したその魔法は、飛竜の高熱の息吹を完全にせき止めてくれた。
その間に私は、巨大な魔物に対して効果的な魔法を選び、右手を構えて発動を試みる。
(性質は鋼。形状は大矢。【巨人殺しの鋼矢】)
まずは一つ。
さらにすかさずもう一つの魔法を発動させる。
(性質は風。形状は竜巻。【局所的な旋風】)
四階位魔法の並列発動。
一つは鋼鉄製の巨大な矢を射出する魔法。
もう一つは小さいながらも強力な旋風を生み出す魔法。
どちらも威力は折紙付で、単体で使っても脅威となる。
その二つを同時に発動させることで、相乗効果が生まれてより強力な一撃へと昇華させることができるのだ。
矢の発射口に小規模の竜巻を発生させる。
それにより放たれた鋼鉄の大矢に強烈な回転の力が加わる。
単体で使っても充分な威力を持つ大矢の魔法に、より破壊力と貫通力を与えることができる。
矢は高速で回転しながら飛来し、強烈な一撃になって黒竜へと迫っていった。
だが――
カンッ!
「……硬い」
回転する鋼鉄の大矢は、黒竜の魔装に阻まれて弾かれてしまった。
並の魔物であれば、数十体重なっていても余裕で貫けるほどの威力なのに。
よもや魔装をろくに削ることもできないなんて、他の魔物とは頑丈さが桁違いである。
ただ、驚きはしない。
あの赤蛇にも四階位魔法は通用していなかったので、伝説の飛竜ならばそれ以上に厄介でも不思議はないから。
であれば……
(性質は炎。形状は大玉。【灼熱の球体】)
あの赤蛇を一撃で屠った魔法を、黒竜にも食らわせてやればいい。
(性質は爆発。形状は礫。【爆裂する小さな礫】)
四階位魔法の複合発動。
二種の魔法を融合させることで、まったく別の魔法へと変化させる絶技だ。
右手の人差し指に莫大な量の魔素が収束し、真紅の魔法陣が展開される。
その力の圧を気取ったのか、ディルはこちらから注意を促すより先に、すかさず後ろへ下がってくれた。
(【小さな太陽】)
指先の魔法陣から、紅色に光り輝く礫が放たれる。
それは黒竜の体に触れた瞬間、輝きが増して強烈な光を迸らせた。
真っ赤な光に視界が覆われた直後、激しい爆音と熱風が拡散する。
その衝撃によって森の木々が忙しなく揺れて、とてつもない地響きが辺り一面に広がった。
強風と土埃に煽られながら顔を手で覆っていると、次第に視界が晴れていく。
そして爆発の中心となった場所に、改めて視線を向けてみると……
そこには、無傷のまま佇んでいる、恐ろしい黒竜の姿があった。