第三十三話 「報復の一撃」
その人物がマーシュ・ウィザーであると認識すると、ディルはすかさず私の前に立ってくれた。
そして私は彼の背中越しに、驚愕の眼差しでマーシュを見据える。
様相はかなり変わっているけど、目の前のボロボロになっている人物はマーシュで間違いない。
奴はこちらに目を向けて、微かに笑っているように見える。
その目が血走っていることに不気味さを覚えていると、私も疑問に思っていたことをディルが口にした。
「なぜお前がここにいる。僕の領地で何をしているんだ」
その問いかけに、マーシュは確かな笑い声を返してくる。
「ハ、ハハッ……! 貴様らが、貴様らが悪いんだ……!」
「……なに?」
「貴様らだけ成功を収め……民衆から声援をもらい……いい気になりやがって……! 貴様らも破滅の道へと落ちるがいい」
マーシュの声は掠れていて、憎悪に満ちた声音と物騒な発言から一層の気味悪さを感じる。
いったいどういう意味の台詞だろうと首を傾げかけるが、私はハッと最悪の予感を脳裏によぎらせた。
「もしかして、黒竜の封印を解いたのは……」
ピートモス領の奥地に封印された伝説の飛竜。
その封印がなぜか解かれてしまい、飛竜は現在ピートモス領の森林地帯で暴れ回っている。
王国の魔術師たちが死力を尽くして施した封印は、そう簡単に解けるものではないはずだが、それを誰かが意図的に解こうとすれば話は変わってくる。
そして今、見計らったようなタイミングで現れた、私たちに強い恨みを持っているマーシュ・ウィザー。
背筋を凍えさせる私に、マーシュは悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「盛大に共倒れようではないか、ローズマリー」
「――っ!」
こいつのせいだ。
こいつが、黒竜の封印を解いたんだ。
私とディルに恨みを持っているから、開拓を進めているピートモス領をめちゃくちゃにするために黒竜を解放した。
ディルもその事実に気付き、マーシュに怒りの視線を向ける。
「落ちるところまで落ちたな、マーシュ・ウィザー……!」
「ハハッ! そうだ、その顔だ……! その顔が見たかったんだ、ディル・マリナード!」
マーシュの下品な笑い声が、森の中に木霊する。
その声に憤りを覚えたように、ディルの拳に次第に力が込められていった。
対して私は、彼の後ろで静かに俯く。
「ローズマリー、貴様の絶望した顔も見せてみろ! すべて貴様が原因だ! 貴様のせいでこの領地は、完全に滅ぶことになるんだよ!」
マーシュの悪意に満ちた視線を感じる。
私に責任を感じさせたいのだろう。あからさまに自責を煽るような口ぶりである。
とはわかっているものの、私の胸には否応なく責任感と後悔が湧いてきてしまった。
私がこの事態を招いてしまった。
私がマーシュの怒りを買ってしまったから、ここまで絶望的な状況に追い込まれてしまったんだ。
私のせいで、大切な領地が、開拓兵のみんなが……
「…………ふざけるな」
私は絶望ではなく、怒りに満ちた顔を上げた。
マーシュはその視線を受けて、驚愕したように目を見開く。
これは私のせいなんかじゃない。すべてはこの男が原因だ。
だからこの男の悪意なんかで、すべてを台無しにされてたまるか。
これまでみんなで開拓を進めてきた大切な場所を、私の力を認めてくれた開拓兵のみんなを、傷付けさせるわけにはいかない。
私が全部、守ってみせる。
「あんたの思い通りになんか、絶対にさせない! 黒竜は必ず、私が止めてみせる!」
「くっ……!」
マーシュが苛立ちを覚えたように顔をしかめる。
私が口車に乗らず、諦める様子を見せなかったからか、気に食わなそうに歯を食いしばっていた。
すると憤りが頂点に達したのか、魔法で鋼の剣を生成して、怒りのままにこちらに駆け出してくる。
「うらあぁぁぁ!!!」
怒りに狂ったその姿に、私は気圧されることなく冷静に奴を見据えた。
ディルが私を庇うように立っていたけれど、「もう大丈夫」と言って私は前に出る。
ここは、前のように魔法が封じられた空間ではない。
魔術師としてなら、私は絶対にマーシュに遅れなんかとらない。
この男は私が止める。
(性質は雷。形状は鎖。【交錯する雷鎖】)
体内の魔素を高速で操作し、右手に魔素を集中させる。
そしてマーシュの剣が届くよりも先に、四階位魔法を速射した。
右手から鎖状の雷が迸り、こちらに向かってきていたマーシュの肉体を一瞬にして縛り上げる。
同時に奴の全身に、青白い電流が走った。
「ぐああぁぁぁ!!!」
魔装によって体を守ってはいたが、マーシュの力では四階位の魔法を防ぎ切ることはできなかったらしい。
奴は鋼の剣を取り落とすと、それに続くように地面に倒れた。
この【交錯する雷鎖】は持続時間が長く、対象者をしばらくの間拘束することができる。
下手に動こうとすればさらに強い電気が走るようになっているので、マーシュはここから身動きがとれなくなったということだ。
戦いが終わった後、王都から衛兵を呼んで身柄を引き取ってもらうとしよう。
ただその前に……
私は倒れているマーシュの襟元を掴み、顔を上げさせて全力で右手を振りかぶった。
パンッ!
「うっ!」
頬を叩いた衝撃でマーシュは横たわり、地面で呻き声をこぼす。
赤くなった頬の痛みに奴は悶えており、私はそれを見下ろしながら、語気を強めて言葉を浴びせた。
「よくもここまでたくさんの人たちに迷惑をかけてくれたわね! 絶対にその罪を償わせてやる! これはその最初の一発よ」
「うっ……ぐぅ……!」
私自身もマーシュに被害を受けたので、こうして報いることができてよかったと思う。
その様子を傍らで見守っていたディルは、笑みを浮かべて頷いてくれた。
「やっぱりそれくらい強気な方が、よっぽど君らしいよ」
「行こう、ディル。黒竜を止めに。みんなで広げてきたこの領地を、絶対に守らないと」
「あぁ」
私とディルはそう言い合うと、縛りつけたマーシュをその場に残し、森林地帯の奥地を目指して再び走り出した。