第三話 「次席のライバル王子でした」
卒業パーティーの会場を後にして、ディルに連れられるままに町を歩く。
お互いに整ったフロックコートとドレスを着ているため、道ゆく人たちから視線を集めてしまった。
その目に私は気恥ずかしい思いをしていたけど、ディルの足取りには一切の迷いがなく、遅れて私は彼の背中に問いかける。
「ちょ、ちょっとディル、どこに行くつもりなの?」
「落ち着いて話せる場所に移動しよう。ここだとまだ人が多いから」
確かに私としてもディルとは落ち着いて話をしたかったし、聞きたいことが山ほどあった。
だからディルに身を任せることにする。
やがて王都の南部に位置する噴水広場に辿り着くと、ディルはそこで足を止めた。
夜になると巨大な噴水が街灯に照らされて、煌びやかな雰囲気を醸し出す場所。
そのため恋人たちのデートスポットとして名高いが、今宵はやや時間が遅いこともあって人気がほとんどない。
なんだか気まずいと思ったけれど、ディルに他意はなさそうで、ここで話をすることに決めたようだ。
私の手を離してこちらを振り返る。
「……ごめん、勝手に連れ出して」
「えっ?」
「あと、婚約のことも何も相談せずに、こっちで色々と決めて」
開幕から謝罪を受けることになるとは思わず、私はぽかんと口を開ける。
そもそもディルから謝られるなんて初めての体験だ。
魔法学校では常に競い合うライバル関係で、ほとんど憎まれ口しか叩き合ったことがなかったのに。
まあ、昔はよくこっちに突っかかってきた悪ガキの印象が強いけど、この年頃になって大人らしい落ち着きが出てきたからね。
不思議と感慨深い気持ちになっていると、ディルが続けて申し訳なさそうに言った。
「ローズマリーが嫌だったら、もちろん断ってくれてもいいよ。あくまであれは、僕が勝手に言ったことだから」
「い、いやいや、私としては願ってもない話だよ。王家との繋がりが作れて実家を助けられるんだから」
マーシュ様に婚約を取り消された時は本当にもうダメかと思ったけど、そこをディルに助けてもらえるなんてまるで予想していなかった。
ライバルのディルと婚約するということに、さすがに違和感を禁じ得ないけど、私としてはとてもありがたい話だ。
「でも本当にいいの? 私なんかが結婚相手になっちゃっても。色々と問題がありそうな気が……」
「それは第二王子の立場として、もっと慎重に相手を選んだ方がいいんじゃないかってこと?」
「まあそれもあるけど、この結婚にディル側のメリットがあんまりないような気がしてさ」
改めてそう尋ねると、ディルは不意にため息を漏らして、呆れたように返してきた。
「さっきも言っただろ。僕は君の力を買っているって。だから婚約して実家を助ける見返りとして、君には領地開拓を手伝ってもらうんだ。僕にとってはそれが何よりのメリットだよ」
「……そ、そう」
それだけ私の力を認めてくれているってことか。
ライバルのディルからここまで高く買ってもらっていたなんて、なんか少し照れくさいな。
まあディルがそれでいいと言うのなら、私も気にする必要はないのか。
ただ……
「お互いに悪い話じゃないのはわかったよ。でもさ、気持ち的な問題としてはどうなの?」
「気持ち的な問題?」
「ほら、私たちってずっといがみ合ってきた関係でしょ。だからそんな私と結婚することに抵抗とかないのかなって」
私たちは今でも対抗心を燃やし合っているライバル関係。
魔法学校では常に成績を競い合っていて、口喧嘩をした回数は今では数え切れない。
振り返ればすぐにでも、ディルと言い争っていた学生時代の風景を思い出すことができる。
『僕が倒した魔物の方が絶対に大きいはずだ!』
『どう見ても私が倒した魔物の方が大きいでしょ! 今回の勝負も私の勝ちよ!』
学校の課題から些細な争い事の一つ一つまで、私たちは常に勝ち負けにこだわり続けてきた。
そんな相手と結婚して夫婦関係になることに、ディルは抵抗とか感じないのかな。
そう思って問いかけると、ディルは何かを思うように噴水を見つめて、やや遅れて返答をしてきた。
「……別に、君との結婚に抵抗はないよ。僕は第二王子として自覚した瞬間から、結婚はあくまで取り引きの手段としか考えていないから。そういう君の方こそどうなんだい?」
「わたし? うーん、ディルと結婚かぁ……」
今一度彼の頭から足先まで視線を動かして観察する。
輝くような銀髪に宝石のような緋色の眼。
女性も顔負けの白魚のような美肌に、細長くて綺麗なシルエット。
さすがは歴代の王子の中でも突出して端麗な容姿を持ち合わせた美男と噂されているだけのことはある。
ただ私は別に、結婚相手の容姿にこだわりがあるわけじゃない。
むしろ相手の容姿が整っていることで生じる弊害の方を危惧してしまう。
ディルはその美しさと格式の高さから、数多くの令嬢たちから想いを寄せられている。
そんな彼と婚約者関係になったら、令嬢たちから攻撃的な視線を浴びることになるのは必至だ。
それに関しては非常に不安ではあるけど……
「実家のためっていう理由もあるし、私も別に抵抗はないかなぁ。違和感はさすがにあるけどね」
これといって意中の相手もいるわけじゃないし。
まあ、年頃の乙女が意中の相手一人もいない方が問題っちゃ問題な気がするけど。
するとディルは肩をすくめて短くまとめてくれた。
「なら、この婚約は成立ってことでいいね。僕はローズマリーの実家を助ける。ローズマリーは僕の領地開拓に手を貸す。いわばそういう取り引きだ」
「取り引き、か……」
確かにその大義名分があれば、ディルと婚約するという違和感も多少は拭える気がする。
これは婚約ではなく、取り引きだと考えるんだ。
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、改めて自分の中で折り合いをつけてからディルに頷きを返した。
「……うん、わかった。その条件で婚約しよう。まあ期待通りの活躍ができるかはわからないけどね」
「魔法学校の成績で僕に勝っておいてよく言うよ、まったく」
ディルは呆れたようにため息を吐く。
一方で私は話にひと区切りがついたので、ほっと胸を撫で下ろした。
ここでようやく、婚約破棄から続いていた緊張感がごそっと抜け落ちる。
首の皮一枚繋がって本当によかった。
いや、むしろ状況は好転したと言ってもいいかもしれない。
一介の侯爵夫人として終わるだけだった人生が、王子の婚約者になることができたんだから。
それに魔術師として領地開拓という大仕事の手伝いができる。
侯爵夫人になるからと諦めていた魔法のお仕事に就くことができるんだ。
色々とディルには感謝しないとね。
と、そこで私は遅まきながら、ディルにお礼を伝えていなかったことを思い出す。
「あっ、その、言い忘れてたんだけど……助けてくれてありがとね、ディル」
「……別に、これは自分のためにやったことだから、お礼なんていらないよ」
ディルは表情一つ変えずに、端的に返してきた。
まあ、ディルならそう言うと思ったけど。
その後、彼は呆れた様子でさらに続けた。
「ていうか助けられたつもりになっているみたいだけど、それはまったくの見当違いだよ」
「えっ?」
「この婚約は君に勝ち逃げさせないためでもある。自分の懐に囲っておけばいつでも勝負ができるからね。夫婦なんてただの肩書きで、これからも僕たちは変わらずライバル同士だ。それをよく覚えておくといいよ」
「……相変わらずだね、ディルは」
ディルの闘争心に溢れた目を見て、私もつい呆れてしまう。
けど、どこまでもブレないその様子に、密かに嬉しい気持ちになったのだった。
私も変わらず、ディルとはライバル関係でいたかったから。
「卒業試験の後にも言ったように、私だって負けるつもりはないから。これからもよろしくね、ディル」
「うん」
こうして私たちは、ライバル同士でありながら婚約者同士という、少し複雑な関係になったのだった。
女のくせに生意気という理由でマーシュ様に婚約破棄されて、一時はどうなることかと思ったけど……
代わりにもらってくれたのは、入学からずっと首席争いをしていた次席のライバル王子でした。