第二十九話 「一人の女の子」
「――っ!?」
爆音と衝撃が一気に襲いかかってきて、周りの空気が一瞬にして熱くなる。
とてつもない威力の爆発で、思わず息を詰まらせるけれど、ディルのおかげで大事には至らなかった。
彼が私を抱えたまま、廊下に飛び出してくれていなければ、怪我どころの話では済まなかったと思う。
やがて爆風と熱気が収まると、部屋の中には焼けこげた家具と煤だらけの壁と天井、開け放たれた窓があるだけだった。
「……逃げられたか」
そこにマーシュの姿がないことに、ディルは複雑そうな顔を見せる。
対して私は、目まぐるしく変わる展開に頭が追いつかず、我知らず疑問を口にしていた。
「なんで、部屋が突然爆発なんて……」
「爆薬だよ。爆発の寸前、部屋の中から火薬の独特の臭いがした。おそらく部屋に夢醒石を置いた際に、一緒に爆薬も仕掛けたんじゃないかな」
そんなものまで仕込んでいたなんて。
ディルが爆薬の臭いに気付いてくれていなかったら、私たちは今頃爆発に巻き込まれていた。
「そ、そもそも、どうして爆薬なんて仕掛けて……? 私を無力化するなら、夢醒石だけで充分なのに……」
「こればっかりは憶測でしか語れないけど……万が一、君が夢醒石への対処法を心得ていた際に、最終手段として無理心中でも企んでいたんじゃないかな」
その答えに、背筋がゾッとする。
確かにあの男ならやりかねない。
自分の思い通りにならなければ、自らの命を投げ打ってでも私に危害を加えてくるだろう。
「結果的にそれは奴にとって好転的に働いて、逃げ果せることができたみたいだけどね。まあさすがに無傷じゃ済まなかっただろうし、衛兵の捜索で見つかるのも時間の問題じゃないかな」
その言葉を合図にするかのように、爆音を聞きつけた衛兵たちが駆けつけてきた。
ディルは冷静に状況の説明をして、衛兵たちに的確な指示を出していく。
そしてその場を彼らに任せると、呆然とする私の手を引いて別の部屋まで案内してくれた。
ゆっくりと椅子に座らせてくれると、私は遅れて緊張が解けて、ガクッと項垂れてしまう。
それを見たディルが心配するように声をかけてくれた。
「大丈夫かい、ローズマリー? すまない。もっと王子の婚約者として、君に気をかけるべきだった……」
「う、ううん、ディルのせいじゃないから、気にしないでいいよ。それにちょっと気が抜けちゃっただけだし」
いまだに手が震えている。
ディルに返した声もひどく掠れていて、自分の気持ちが落ち着いていないことがよくわかった。
そして知らず知らずのうちに、涙まで滲んできてしまう。
「な、なんでだろう……なんで私泣いて……」
抑えようとしても止まらない。
泣いているという事実に、ますます涙を煽られる。
何よりディルに見られていることがすごく恥ずかしくて、涙が溢れ続けてしまった。
釣られるようにして胸の内の感情を吐露してしまう。
「私、自分がすごい魔術師だと思ってた。みんなに力を認めてもらえて、頼られるようにもなってきて、少しずつだけど自信もついてきた」
私は自分に自信がなかった。
名門の魔法学校を首席で卒業しても、女性だからと力を認めてもらえずにいた。
それでもディルの計らいで開拓作戦を手伝わせてもらって、開拓兵の人たちから称賛をもらえるようになった。
婚約発表の場でも王子の婚約者として認めてもらえて、もしかしたら自分はすごい存在なんじゃないかって思えるようにもなれた。
けど……
「なのにさ、こんなことで腰抜かして、体も震えちゃってさ、なんかすごく情けないなって……」
せっかく芽生え始めていた自信が、音を立てて崩れていく。
私はすごくなんかなくて、どうしようもなく弱い存在なんだ。
元婚約者に襲われかけて、怖くて声も上げられなくて、今も体を震わせているような、小さくて情けない存在……
「えっ?」
その時――
ディルが片腕を伸ばして、泣いている私の頭をそっと抱き寄せてくれた。
彼の胸の温かさと、心臓の鼓動を強く感じる。
思いがけないディルの行動に、驚いて固まっていると、彼は慰めのような言葉をかけてくれた。
「ローズマリーは、すごい魔術師だよ」
「すごい、魔術師……?」
「誰よりも魔法が大好きで、その気持ちを原動力に魔法の修練を重ねて、名門の魔法学校を首席で卒業した、本当にすごい魔術師だ」
次いでディルは、私のことをより強く抱きしめて、優しく囁いてくれる。
「でも、君は魔術師である以前に、一人の女の子だ」
「……」
「誰よりも魔法が上手くなっても、名門の魔法学校を首席で卒業しても、一人の女の子であることに変わりはない。怖い思いをしたら、不安な気持ちになってもいいんだ。涙を流してもいいんだ。変に強がる必要はどこにもない」
そして彼は抱擁を解いて、安心させてくれるように微笑みを見せてくれた。
「少なくとも今、ここには君の力を一番理解している、ライバルの僕しかいないんだから」
その瞬間、私は気持ちが楽になって、思わず涙が溢れてきた。
本当に怖かった。
何をされるかわからなかった。
魔法が使えなくてすごく心細かった。
王子の婚約者として毅然としていようと思ったけど、やっぱり涙を止めることはできなかった。
自分に自信を失くしかけていたけれど、ディルからの励ましで少しずつ自尊心が戻ってくる。
魔法学校でずっとライバルだったディルの言葉だからこそ、私の心にはより強く響いた。
そして一つの新しい感情が芽生えるのを、私は朧げに感じる。
それからしばらくの間、私は涙を流し続けて、ディルは傍に寄り添ってくれた。