第二十八話 「爆発する激情」
「ディル殿下……!? なぜここに……」
マーシュは打たれた首元を押さえながら、ディルに驚愕の眼差しを向ける。
私も疑問を抱きながらディルの背中を見つめていると、彼はため息まじりに言った。
「ローズマリーの帰りが遅くて様子を見に来たんだ。彼女に限って危険な目に遭うとは思っていなかったけど、少し嫌な予感がしてね……」
……心配してくれたんだ。
そのことに言いようのない気持ちを抱いていると、ディルは一層強くマーシュを睨みつけた。
「そうしたらまさか、君がいるとは思わなかったよ、マーシュ・ウィザー」
「くっ……!」
奴はしかめ面で苦しそうに体を起こす。
そしてあらかじめこの部屋に隠しておいたのか、壁際の棚の裏に手を伸ばして、そこから銀色の直剣を取り出した。
魔法が使えない空間となれば、当然武器を持っている方が有利になる。万が一不利な状況になった時の備えだろう。
しかし剣を構えて強気になったマーシュを見ても、ディルは焦りを微塵も感じさせなかった。
「婚約発表の直後に人の婚約者に手を上げるとはね。しかも夢醒石まで用意して綿密な計画まで立てるなんて、よほどの物好きの君には、きつい灸を据える必要があるみたいだ」
剣を持つマーシュとは対照的に、ディルは素手のまま構えをとる。
そこに多大な自信と余裕を感じたのか、マーシュは怒りを募らせて叫んだ。
「あ、あまり俺を舐めるんじゃねえ!」
奴は飛びかかるように前に出てきて、直剣を高々と振り上げる。
銀色の刀身が月明かりによって怪しく光り、ディルの体に振り下ろされようとした。
咄嗟に私は顔を背けてしまいそうになるけれど、その寸前、ディルの手が素早く動くのが見える。
「――っ!?」
ディルは振り下ろされた剣を避けながら、マーシュの手首を素早く掴む。
そのまま流れるように奴の手首を捻ると、痛みのあまりかマーシュは剣の柄を放した。
即座にディルはマーシュを蹴り飛ばし、床に落ちた剣を爪先で弾き上げて右手で受け止める。
倒れるマーシュと剣を持ったディル。瞬く間に形勢が逆転してしまった。
一連の流れがあまりにもスムーズで、声を出す暇もなかった。
「くっ……! たまたま剣を奪えたくらいでいい気になるなよ」
たまたまなんかじゃない。
ディルの動きには積み重ねられた鍛錬が窺えた。
王家の人間として、護身術も当然のように学んでいるのだろう。
こういった万が一の時のために。
剣を奪い取られたマーシュは、それでも諦め悪くもう一本の剣を棚の上から取り出す。
今度はディルとマーシュがお互いに剣を構えた状態で対峙することになり、二つの刀身が月明かりによって照らされた。
「悪いけど、君には前々から個人的な恨みもある。加減は期待しないでくれ」
「貴様さえ……貴様さえいなければ……!」
張り詰めるような睨み合いの末、先に動いたのはマーシュだった。
今度は剣の長さを生かした、切っ先での突きを放ってくる。
ディルはその一撃を的確に刀身の腹で弾き、危なげなく躱してみせた。
続け様にマーシュが剣を突いてくるが、ディルは一つ一つを丁寧に捌いていく。
反撃はせず、余裕を持って受け流し続けるだけで、まるで指導試合でも見せられているような錯覚を覚えてしまった。
剣の実力に、圧倒的なまでの差がある。
「魔法はおろか、剣術の稽古まで疎かにしているなんてね。君が誇れるものはいったい何があるのかな?」
「だ、黙れ黙れ! 貴様こそ王子でありながらそこの女に遅れをとった負け犬ではないか!」
剣戟が繰り広げられる中、マーシュが激情を声に変えてディルにぶつける。
ディルはマーシュの猛攻を正確に捌きながら、煽りとも取れる言葉に冷静に返した。
「確かに僕はローズマリーに負けた。しかしだからこそローズマリーの強さを身を持って知ることができたし、自分の弱さを受け入れるいいきっかけにもなった」
ふと、ディルが横目に一瞥してくるのを感じる。
彼の横顔には激しい悔しさが滲んでいて、私はその気持ちを痛いほど理解できた。
ディルが私の強さを知っているように、私だって彼の負けず嫌いを知っている。
だからこの場で『負け犬』と言われたのもすごく悔しいだろうけど、それでも彼は声音を変えることなくマーシュに言った。
「彼女に負けたことを、僕は恥とは思わない。勝つことを諦めて彼女を陥れようとした君こそ、真に恥ずべき人間だ」
「ディル・マリナードォォォ!!!」
憤りが頂点に達したマーシュは、力の限り剣を大きく振りかぶる。
その一撃に真正面から応えるように、ディルも力を込めて剣を振った。
両者全力の一閃が、薄暗い部屋に火花を散らす。
技量や小細工などを介さない、正真正銘の純粋な力比べ。
それを制したのも、ディルだった。
「ぐっ――!」
マーシュの握る剣が、ディルの剣によって壁際まで弾き飛ばされる。
その隙を見逃すことなく、ディルは間合いを詰めて、切っ先をマーシュの喉元に突き立てた。
「僕の勝ちだ、マーシュ・ウィザー。大人しく投降するといい」
「くっ、うぅ……!」
喉に刃を押しつけられて、マーシュは額に脂汗を滲ませる。
剣の素人の私から見ても、ディルが圧倒的に上回っていた。
しかし驚きはさほどない。
ディルは魔物との戦いでも剣術を用いるほど、多くの鍛錬を重ねている努力家だ。
そんな彼が剣術勝負でマーシュに負けるイメージはまったく湧いてこなかった。
完全に勝負の決着がついて、私は緊張の糸を僅かに緩める。
次いで、このままディルがマーシュを押さえている間に、衛兵を呼びに行こうと思った。
だが、ソファから立ち上がろうとした瞬間――
「……は、ははっ、試合には負けたが、勝負まで負けるつもりはないぞ」
「なに?」
マーシュの頬に怪しい笑みが浮かぶのが見える。
刹那、何を思ったのか、ディルがハッとして私の方に走ってきた。
握っていた剣を捨てるや、すかさずソファに寄りかかっている私を両腕で抱え上げる。
驚く私をよそに、ディルは素早く部屋から飛び出すと、その直後に恐ろしいことが起きた。
部屋が、大爆発を起こした。