第二十四話 「怪物の存在感」
祝賀会は王宮にある王宮劇場で催される。
舞踏会や祝宴事に頻繁に利用される劇場で、国内で見ても指折りの大きさの会場となっている。
金箔が散りばめられた内壁に煌びやかなシャンデリア。広々とした会場を照らすのは千にも迫る数の輝く灯りたち。
此度の名目は祝賀会ということで、あちらこちらにテーブルと豪華な食事が並んでおり、上流階級の者たちがグラスを片手に早くも談笑を繰り広げている。
その会場に到着した祝賀会の主役の一人――ローズマリーは、豪華絢爛な料理の数々を見て目を輝かせていた。
「わぁぁ! 全部美味しそう!」
貧乏伯爵家の生まれゆえに贅沢をできなかった彼女が、祝賀会の豪勢な食事に感動するのは当然の成り行きである。
それを理解しているディルは、少し考えてからローズマリーの背中を押すような言葉をかけた。
「婚約発表まではまだ時間があるから、よかったら行ってきなよ。僕は挨拶回りがあるし」
「えっ、いいの?」
こちらを振り返ったローズマリーに頷きを見せると、彼女は嬉しそうに笑ってテーブルの方へ向かっていった。
本当なら一緒に挨拶回りをして、重鎮たちにローズマリーの顔を覚えてもらいたかった。
しかしせっかくの祝賀会なので、縛りつけてしまうのではなく純粋に楽しんでもらおうとディルは考えた。
(顔を覚えてもらうのは、正式な婚約発表の場だけで充分だしね)
そう思いながら一人で挨拶回りをしていると、不意に後ろから名前を呼ばれた。
「おーい、ディル!」
「セージ兄様」
聞き馴染んだ声に、ディルは嬉しい気持ちになりながら振り返る。
すると視線の先には、淡青色の短髪と宝石のような碧眼が特徴の、目鼻立ちが整った劇団俳優じみた男性がこちらに向かって歩いてきていた。
周りからの視線を集めているその人は、ソイル王国の次期国王筆頭候補――第一王子セージ・マリナードである。
第一王子とその弟の第二王子が同じ場所に立ったことで、周囲の人々の視線が一気に殺到した。
それを意にも介さず、二人は話を始める。
「来ていただけたのですね、セージ兄様。遠征任務の方は?」
「無事に終わらせてさっき帰ってきたんだ。ギリギリ祝賀会に間に合ってよかったよ」
セージは近くを通りかかったパーティースタッフから、ワイングラスをもらうと、それを一息に飲み干して気持ちのいい息を吐き出した。
彼は第一王子として、王国軍で師団長を務めている。
そして二ヶ月前から師団を率いて遠征任務へと出ていた。
任務終了までの目処は立っていなかったが、そんなセージにも祝賀会のことを手紙にて伝えてあった。
なんとか間に合わせてくれたらしく、疲れの色を見せるセージにディルは静かに感謝する。
ディルは王国軍で術師序列一位に君臨する兄のセージを、魔術師として尊敬している。
だけでなく、大らかな性格ゆえの厚い人望と、優れた統率力で師団をまとめ上げているセージを、名将の手本としても見ていた。
幼い頃、ディルは突出した才覚ゆえに周りに傲慢な態度をとっていたけれど、兄に対してだけは強く出られずむしろ尊敬の眼差しを向けていた。
そんなセージにだけは婚約者発表の件も伝えてあり、その瞬間を見届けてもらおうと思って招待の手紙を送った。
そしてディルは、さっそく婚約者のローズマリーを紹介しようとする。
「それでセージ兄様、僕の婚約者のことなんですけど……」
「あぁ、あの青ドレスの子だろ」
「……?」
ローズマリーのことを伝えるより先に、セージは彼女に視線を向けていた。
至福の笑顔で豪華な食事を頬張っているローズマリーを見ながら、面白そうな子じゃないかと微笑んでいる。
「すでにご存知でしたか?」
「いいや、初めて見るよ」
「ではどうして……」
「話には聞いてたからな。ディルが学生時代に一度も勝てなかった子だって」
それでは理由になっていないとディルは小首を傾げる。
すでにローズマリーの顔を知っていたから、目を向けていたのではないのだろうか。
と疑問に思っていたが、ディルはすぐにその理由を悟り、セージはそれに頷きを返すように、ローズマリーを見据えながら言った。
「見ればわかるよ。あれだけ莫大な量の魔素を内包している魔術師はほとんど見たことがない。恐ろしいまでの研鑽の数々を積み重ねてきた証だ」
魔素の量は魔法の鍛錬によって増加する。
人の体で言えば筋肉と同じだ。
魔素の内包量が魔術師としての鍛錬の量、研鑽の数を示している。
現代の至宝と名高いディルは、生まれながらにとてつもない量の魔素を宿していたが、彼だけは例外で基本的には魔素の量と鍛錬の量は比例しているものである。
そしてローズマリーは、王国軍で序列一位の魔術師として君臨しているセージでさえも、驚嘆させるほどの莫大な魔素を宿していた。
「王国軍でもあれだけの魔素を持っている魔術師は、引退間近の古株の中でもごく一部くらいしかいない。あの歳でどうやってあそこまでの鍛錬を積んだんだか。とんでもない化け物だよ」
「それ、人の婚約者に向ける言葉ですか?」
「これ以上ない賞賛だよ。まあ気に障ったのなら謝っておく」
そう言われたが、ディルも“常人離れしている”など好き放題言っていたので人のことは言えないと猛省する。
というより化け物と言うなら、他人の魔素を視認できるセージの方も大概だとディルは密かに思った。
基本的に他人の魔素を視認したり、感じ取ったりできる人間は存在しない。
特殊な魔道具を使ったり、その類の魔法を使わなければ確認ができないものだ。
しかしセージは生まれながらに特殊な眼を持ち合わせており、見ただけで他人が内包している魔素の量や、発動された魔法の特性などを瞬時に見抜くことができる。
その能力があれば、ローズマリーの実力は一目見ただけで筒抜けというわけだ。
「ディルを次席に留め続けた子がいると聞いた時は、驚愕で耳を疑ったものだが、あれだけの子ならディルが同じ年代にいながら首席の座を取り続けていたのも納得できるな」
セージはそう言いながらディルの肩に手を置き、含みのある笑みを浮かべた。
「そんな逸材を婚約者として囲って独り占めか。羨ましい限りだよ」
「独占しているつもりはないんですけど」
「なら、王国軍に勧誘してもいいか。超高待遇で」
「……」
ディルは赤目を細めて、見るからに不機嫌そうになる。
その顔を見たセージは、含みのある笑みをまた一層深めると、肩をポンと叩いて笑い声をこぼした。
「冗談だよディル! そんな怖い顔するなって」
「……別に普段通りの顔をしていただけですが」
「まあ、今のは冗談としても、やっぱりその辺りのことは気をつけておいた方がいいと思うぞ」
「その辺りのこと? どういう意味ですか?」
意味深な物言いに疑問符を浮かべると、セージはディルに顔を近づけて、周囲を窺いながら囁いた。
「周りの連中が彼女の価値に気付きつつある。それはいいことでもあるが、同時に悪い事態を招く要因にもなり得るってことだ」
セージにそう言われたことで、ディルは遅れて気が付く。
ローズマリーが優れた魔術師であることを周知させるために、ディルは彼女に活躍の場を多く与えようとしている。
そして女性に魔術師が務まらないという先入観を変えることができれば、ローズマリーが気兼ねなく大好きな魔法に熱中できる世界が作れると考えていた。
何より自分が認めている逸材が、いつまでも周りから否定され続けている現状が許せなかったから。
その思惑の通り、今はローズマリーの存在や価値が周りに知られつつあるが、それは同時に不測の事態が迫っていることの証明でもある。
ローズマリーの存在に気が付いた者たちが、その力を利用しようと考えるかもしれない。
例えば今のセージの冗談のように、彼女を自陣に引き入れようとしたり。
はたまた、無理矢理に言うことを聞かせようとしたり。
そうやって彼女を悪用しようという輩が現れる可能性があるということだ。
それを警告する意味で、セージは先ほどの冗談を口にしたのだとディルは察する。
そのことに礼を返す意味で頭を下げると、セージは忠告の言葉を残して立ち去っていった。
「くれぐれも手を離さないようにしろよ。大切な婚約者なんだろ」
「……はい」
聡明な兄からの助言を受けて、ディルは一層気を引き締めたのだった。