第二話 「代わりにもらってくれたのは」
ディルの第一印象は最悪だった。
『ローズマリー! 次の試験では絶対に僕が勝つ!』
エルブ英才魔法学校に入学したその日のこと。
いきなり呼び止めてきて、一方的にこんなことを言って来たのが当時十二歳のディルだった。
聞けば第二王子様ということらしく、幼い頃から神童と呼ばれている逸材だそうだ。
首席で入学した私に新入生代表の挨拶を取られて、気に食わなかったということらしい。
下手に問題を起こさないように、なるべく関わり合いにならないようにしようと思った。
しかしディルは、いつも何かにつけて私に噛みついてきた。
『次の中間試験で勝負だ!』
『魔法訓練の課題、絶対に僕が先に終わらせる!』
『五十四期生の首席の座は渡さない。僕が一番になってみせる!』
そして勝負に負けると、毎回のように捨て台詞を吐いて去っていった。
それ以外にも、廊下ですれ違う度に憎まれ口を叩いてきたし、図書館で自習をしている時も『勝負勝負』と言って邪魔をしてきたし。
次第に私も、こんな失礼な奴に大好きな魔法で負けてなるものかと気持ちを燃やすようになっていた。
『あんたなんかに、絶対に負けないから……!』
そんな私たちの戦いは入学から六年間続き、いつしか私は彼のことを好敵手と認めるようになっていた。
何度負けても果敢に立ち向かってくる根性。
筋金入りの魔法好きを自負している私と同じくらいの魔法好き。
だからこそ絶対に負けたくない相手で、ますます私も魔法の勉学と修練に励むようになっていた。
今にして思えば、私がここまで魔法の腕を上達させることができたのは、追いかけ続けてくるディルの存在があったおかげかもしれない。
そして結果として私は、この六年間で一度もディルに敗北を許さなかった。
最後の卒業試験でも私が勝って、長らく続いた喧嘩にようやくの終止符が打たれたと思ったんだけど……
『結局僕は、この六年間で一度も君に勝つことができなかった。でも、僕たちの勝負はまだ終わっていない。勝ち逃げなんて絶対にさせないからな』
第一印象の時とは打って変わって、大人らしい落ち着きを得たディル。
そんな彼から、卒業試験の結果発表直後にそう宣言をされてしまった。
気付けば彼との勝負を楽しむようになっていた私は、その宣言に対して大きな頷きを返した。
『望むところよ。私は大好きな魔法で、誰にも負けるつもりはないから』
私とディルは、そんなライバル関係である。
そのディルが、盛り上がっていた卒業生たちに対して呆れた一声を投じ、沈黙を招いていた。
マーシュ様が怒りの眼差しを彼に向ける。
「……ディル殿下、なぜあなたがこの愚女を庇うのでしょうか?」
先ほどの『くだらない』という発言が、私を庇うものだと思われてしまったらしい。
けど、私にもそう聞こえてしまった。
ディルはどうして私のことを……
「僕は別にローズマリーを庇ったつもりはないよ。ただ事実を口にしただけだ」
「事実?」
「彼女に実力で敵わないからって、皆の前で婚約破棄して恥をかかせたり、周りを味方につけて袋叩きにしたり、本当になんてくだらないんだろうって思ってね」
「な、なんだと……!」
マーシュ様は憤るように顔をしかめる。
一方で私は、ディルがあまりにも遠慮なく言い放っていくので、内心でハラハラしていた。
さらにそれが続く。
「花嫁修業が足りないからなんて下手な口実まで用意してさ。回りくどい言い方をせず、はっきり告げればいいじゃないか。『自分よりも才能があるのが気に食わないから婚約破棄する』とね」
「…………」
「彼女の実力は君だってよく知っているはずだ。入学以来、首席の座を独占し続けた例を見ない逸材。長い歴史のあるエルブ魔法学校において、歴代でも指折りの成績で卒業を果たした優秀な魔術師」
ディルは呆れた様子で肩をすくめる。
「君はそんな彼女のことを素直に認めることができなかった。格下の婚約者に負けたという事実を受け入れることができなかった。だから親の爵位を笠に着て、大勢の前で婚約を破棄することで自分の優位性を保とうとしたんだろう? そこがくだらないって僕は言っているんだ」
あまりにも容赦のない言葉の数々。周りの生徒たちにも自ずと緊張感が走る。
でも彼の発言は、実際に私が思っていることでもあった。
それを代わりに言ってくれて、なんだか少しずつ気持ちが晴れていく。
もしかしてディルは、何も言い返せない私を見かねて、助けに来てくれたってこと?
いや、さすがにそれはないか。
ディルはただ、自分が気に食わないと思ったことは真っ向から否定する。そういう性格の奴なんだ。
次いでディルは、私も知らないような事実を皆の前で明かす。
「第一、君はいつも遊び呆けてばかりだったじゃないか」
「――っ!」
「放課後、ローズマリーは自主的に訓練と勉強に励み、ひたすらに魔法に打ち込んでいた。しかし君はそんな中、授業が終われば学外へ出て、親しい令嬢たちと共に遊び歩いていたそうじゃないか。その彼女たちから社交会の場でよく話を聞いたよ」
親しい令嬢たちと、遊び歩いていた……
そんなの全然知らなかった。
何やら忙しそうにしていた雰囲気はあったけど、まさか裏で別の令嬢と仲良くしていたなんて。
もしかして新しい婚約者のパチュリー・ユイルと知り合った経緯もそこにあるのだろうか。
家督の責務で勉学に勤しんでいたなんて、真っ赤な嘘もいいところだ。
「そんな君が、努力家のローズマリーに勝てるわけがないだろ」
ディルのその一言に、マーシュ様は一層歯を食いしばる。
次いでディルは周囲に視線を移して、呆れたように続けた。
「周りで喚いていた連中もそうだ。『女のくせに出しゃばりすぎ』とか『女に魔術師は務まらない』とか好き放題言って。ローズマリーが首席であることに納得がいっていないのなら、君たちも実力で覆せばいいじゃないか」
「「「…………」」」
「それができないから、徒党を組んで彼女を貶めようとしたんだろう。彼女に魔術師として敵わないと思ったから、女性であることを叩く理由にするしかなかったんだろう。本当にくだらない」
ディルがため息交じりにそう言うと、マーシュ様が開き直ったように声を荒げた。
「あぁそうさ! こいつは女のくせに生意気なんだよ! 夫となるこの俺よりもいい成績をとりやがって……! 男を立てられない妻は不要なんだ!」
偽りのないマーシュ様の本音。
改めてそれを聞かされて、私はやはり取り返しのつかないことをしてしまったと後悔する。
名門の魔法学校を首席で卒業した時点で、女性の私は貴族社会で死んだも同然だ。
プライドのある男性貴族は、自分よりも魔法技術に優れている女性なんか嫁に取ろうとしない。
私をもらってくれる人なんて、もう……
「ディル殿下が何と言おうと、この女はすでに首席卒業生の名簿に名を刻んだ! 男を立てられない女はこの先誰にも娶られることはない。ガーニッシュ伯爵家も完全に終わりだ!」
「そうか。じゃあ代わりに僕がもらおうかな」
「…………はっ?」
素っ頓狂な声を上げたのは、私だった。
さすがに聞き間違いだろうと思って周りを見ると、マーシュ様や周りの卒業生たちは目を見開きながら固まっていた。
えっ、聞き間違いじゃない?
本当に今、『代わりに僕がもらう』って言った?
「ディ、ディル? それどういう意味で言ってるの?」
「言葉通りの意味だよ。彼がいらないと言うのなら、ローズマリーは僕がもらう。僕と“結婚”しよう、ローズマリー」
「…………」
勘違いでも聞き間違いではなかった。
本気でディルは、私と結婚するつもりで『代わりにもらう』と発言したようだ。
「なんでいきなりそんな話に……」
「僕と結婚すれば、王家との繋がりができて実家を立て直すことができる。悪い話じゃないだろ」
いや、それはそうなんだけどさ。
私たちって、魔法学校でずっと競い合ってきて、憎まれ口だって散々叩き合ってきたライバル関係なんだよ?
何よりこの結婚には、ディル側のメリットがまったくないように思える。
と思ったら、その疑問を感じ取ったかのようにディルが言った。
「その代わりローズマリーには、僕が近々任されることになっている領地の開拓に力を貸してもらう」
「えっ、領地の開拓?」
「第二王子の使命として、父のクローブ国王から未開拓地の開拓を任されたんだ。その開拓に少し手間取りそうだったから、優秀な魔術師を探していたところなんだよ」
王位を継ぐ第一王子と違って、第二王子は王弟として補佐をするか領地開拓の使命を与えられることになる。
そして未開拓地の開拓を成功させた場合、そのままそこを領地としてもらう王子もいるとか。
ただ未開拓地は何か理由があって開拓が進んでいない場所のため、かなり難儀な使命であるとも聞いた。
だからディルは手を貸してくれそうな優秀な魔術師を探していたってわけか。
でも、なんでわざわざライバルの私なんかを……
「この六年間、僕は一度として君に勝つことができなかった。悔しいし、すごく癪だけど、そんな君に僕が任されることになっている領地に来てもらえたら、とても心強いとも思ったんだ」
「い、いや、学校の成績は私の方が上だったけど、開拓の手伝いなんてしたことないよ。勝手も全然わかんないし、そもそも私の家の格式だってそんなに高くないから……」
王子の婚約者になる資格がないと思うんだけど。
その時、固まっていたマーシュ様が取り乱したように口を挟んできた。
「た、戯言だ! この女が王子の婚約者になるだと!? 男を立てることも知らないこの愚女に、王子の婚約者が務まるはずがない!」
「それを決めるのは第二王子であるこの僕だよ。それとも何かな、彼女が王子の婚約者になって、実力だけでなく立場的にも抜かれてしまうのがそんなに気に食わないのかな?」
「ぐっ……!」
マーシュ様は図星と言わんばかりに歯を食いしばっている。
王子の婚約者ならば、確かに立場的に侯爵令息のマーシュ様より上になるかもしれない。
それを危惧してマーシュ様は口を挟んできたみたいだ。
「たとえ殿下がお認めになっていても、他の者たちが認めるはずがない……! あまりにも格式が違いすぎると、確実に世間から非難される」
「まあ、格式的な問題もそうだし、魔法学校を首席で卒業した女性ってことで、彼女の印象が悪くなっているのは確かだ。否定的な声も各所で上がるだろうね。でも……」
ディルは一切の迷いを見せず、淀みない様子で言い切ってみせた。
「そこはまったく心配していない。いずれローズマリーは魔術師として輝かしい功績を残し、格式ではなく実力で世間に認められるはず。そうすれば王子の婚約者としても相応しい人物だと、みんな思ってくれるはずだ」
……そこまで私の実力を買ってくれていたんだ。
あれだけ憎まれ口を叩き合って、競い合ってきた敵なのに。
いや、だからこそなのかも。
六年間、ひたすらに競い合って、魔法を磨き続けてきたからこそお互いを認めている。
私はディルがすごい魔術師だと思っているし、ディルも私のことを高く買ってくれているんだ。
でも、期待に沿える活躍ができるかどうかもわからないし、何よりディルの婚約者になるなんて、どんな顔をしたらいいのやら……
複雑な気持ちで立ち尽くしていると、ディルはそんな私の手をとって、会場の出口に歩いて行った。
そしてマーシュ様の横を通り過ぎさまに、ふと足を止めて低い声で彼に言葉を掛ける。
「それじゃあね、マーシュ・ウィザー氏。君が彼女を手放してくれて、本当によかったって思っているよ」
「……っ!」
「彼女の活躍を陰で聞きながら、とんでもない逸材を手放してしまったと深く後悔するといい」
そう伝えるや、ディルは観衆たちがあけた道を堂々と突き進んで行く。
その最中、後ろを振り返ってみると、マーシュ様は怒りと悔しさを滲ませた顔で私たちを見据えていた。