第十三話 「模擬戦」
サイプレスさんから思わぬ提案を受けて、私は固まる。
まさか模擬戦をやろうと言われるなんて思ってもみなかった。
周りの兵たちも驚いた様子を見せる中、ディルが険しい顔でサイプレスさんに返す。
「そこまでする必要はない。彼女の実力は開拓作戦を指揮する僕が誰よりもよく知っている。それで充分だと思うけど」
「他の兵たちの前で力を示さなければ、開拓兵たちの間に滞っている懸念は晴れません。ですので模擬戦でローズマリー様の力を明らかにするのが一番かと」
「だからって……」
ディルは私を開拓作戦に誘った手前、試験的な模擬戦に反対の意を示している。
そんなやりとりが行われている間に、私は冷静になって、ディルの言葉を遮るように声を上げた。
「わかりました。その模擬戦、受けさせていただきます」
「……ローズマリー」
「私も何もせずに開拓作戦に加えてもらうのは、少し申し訳ないって思ってたからいい機会だよ」
それにサイプレスさんの言い分にも納得ができたから。
確かにディルの言葉があるとはいえ、実際に力を見てみないことには信用ができない。
開拓作戦では危険な魔物との戦いが常なので、尚更味方の戦力は詳しく知っておきたいだろう。
私としても、ここまでずっとディルにおんぶに抱っこだったから、みんなに認めてもらうなら自分の手で力を証明したい。
その意思が伝わったのか、反対気味だったディルも折れるように頷いてくれた。
「……わかったよ。なら思い切り君の実力をみんなに見せつけてくるといい」
「うん、ありがとうディル」
背中を押してくれたディルにお礼を返すと、彼は僅かに顔を俯けて何かを囁いた気がした。
「…………まあその方が、活躍の場を作ってあげやすくなるだろうからね」
「んっ? 何か言った?」
「いいや別に」
そのタイミングで、サイプレスさんが促してくる。
「では、さっそく模擬戦を行うために、町の演習場へ行きましょう」
「演習場?」
「開拓兵の訓練用に設けたものがあります。そこでしたら町への被害を出さずに模擬戦が行えるかと」
「なるほど、わかりました」
そんなところがあったんだ。
この町に来てからずっと屋敷にこもって魔導書に浸り続けていたから、町の設備について何も知らなかった。
屋敷の中庭が広いから、そこでも軽い模擬戦ならできる気はするけど、屋敷に被害が出たら問題だからね。
というわけで私は、サイプレスさんと模擬戦を行うために、演習場へ向かうことになった。
――――
サイプレス・ファーミングは、眼鏡の奥で密かに黒色の目を細める。
その目を密かに背後に向けて、後ろからついてくるローズマリーを訝しそうに一瞥した。
(あのディル様が女性魔術師に負けるなど、絶対にあり得ない)
サイプレスはディルに対して、強烈な憧れを抱いている。
魔術師としてディルに羨望を抱く者は数多くいるが、サイプレスはその中でも特にディルへの尊敬の念が大きかった。
サイプレスの生家は、商業によって高い地位を築き上げたファーミング侯爵家という名家だ。
その跡取りとして生まれたサイプレスは、幼い頃から両親に厳しい教育を施されてきた。
貴族社会にいち早く溶け込めるよう、子供ながらに様々な大人たちと関わりを持たせられた。
その分、大人の汚い部分を見る機会も多かった。
サイプレスにとって大人というのは、何よりも厳しくて狡くて怖い存在だった。
そんなある時、王家の人間も参列するパーティーが催された。
そこで初めて、当時八歳のディル・マリナードと出会った。
ディルは多数の著名人や一流の魔術師たちがいる中で、自分とさほど歳が変わらないのに圧倒的な力と存在感を放っていた。
そしてどのような我儘も横暴も許されていて、大人たちは目を合わせただけでひれ伏し、体を震わせていた。
サイプレスにはその光景が、あまりにも衝撃的に映った。
何よりも恐ろしいと思っていた大人たちを、一瞥しただけで屈服させた。
厳しい大人たちの前でも、あらゆる我儘が許されていて、誰も逆らうことができなかった。
自分と歳が変わらない、同じ子供だというのに。
それだけ魔術師として優れた才能がディルにはあり、圧倒的な力で大人たちを黙らせたディルが、サイプレスの目にはかっこいい英雄に映った。
それからサイプレスは、ディルに憧れて魔術師の道を選ぶことにした。
大人たちの怖さに怯えて、言いなりになり続けてきた弱い自分を変えるために。
両親にはもちろん反対されたが、秘密裏に自己鍛錬を積み上げて、自信を持つことができたサイプレスは最後にはその反対を押し切ってみせた。
そしてディルという現代の至宝をより近くで見るために王国軍へも加入し、軍内で決められている術師序列でも五位の座を獲得した。
それからディルと接する機会も増え、彼の開拓事業の手伝いにも嬉々としてついていき、近くで過ごすうちにますます彼の凄さに感銘を受けた。
生まれながらに現役の王国軍の魔術師に匹敵する魔素量。
人並外れた想像力とセンスによって、息を吸うようにあらゆる魔法を習得する秀才。
マリナード一族の末裔に相応しい怪物のような逸材だ。
だからこそ、そんなディルが魔法学校の成績で女性魔術師に負けたということが、いまだに信じられずにいる。
(確実に何かしらの不正を行ったはず。でなければディル様が魔法の分野において遅れをとるはずがない。それを今ここで暴いてみせる)
サイプレスがローズマリーに模擬戦を挑んだのは、開拓兵たちの間に残っている懸念を晴らすためではない。
もちろんそれもあるが、一番の目的はローズマリーの力の秘密を暴くためだった。
ディルが女性魔術師に負けるなど、何かしらの不正があったに違いないと確信しているから。
開拓兵たちの前で模擬戦をやれば、確実にその不正の片鱗が顔を覗かせるはず。
ディルこそが現代最強の魔術師であり、自分の中にある完璧な英雄像だと、サイプレスは証明したくて仕方がなかった。
その思惑通りに、他の開拓兵たちも見守る中、サイプレスとローズマリーは演習場の中央で対峙した。
サイプレスは今一度、模擬戦のルールを明確にしておく。
「模擬戦のルールは、従来通りの魔装を展開しての擬似戦闘でよろしいですか?」
「はい、それで大丈夫です」
基本的に魔術師同士の模擬戦では、魔装を展開してそれを打ち破ることを目的とする。
魔物が無意識下で展開させている魔素の鎧――『魔装』。
魔術師はそれを意図的に展開させて、肉体を守ることができる。
しかし魔装が削られて魔素を消耗していけば、いずれそれを保てなくなってしまう。
模擬戦ではそれを決着の指針として扱うことが多く、比較的安全に擬似戦闘を行うことができるのだ。
そしてサイプレスは、さらにルールに肉付けをしていく。
「先に魔素を切らして、魔装を保てなくなった方が負け。そして使用魔法の階位については、三階位までの魔法のみでいかがでしょうか?」
「わかりました」
模擬戦ではこのように、あらかじめ安全のために使用魔法に制限を設けることがほとんどだ。
魔素が残り僅かの状態で、威力の大きい魔法を食らえば、魔装を貫通して肉体にダメージが及ぶ危険性があるから。
魔法の階位は、その基準としてよく用いられている。
サイプレスとしても、別にローズマリーを痛めつけたいがために模擬戦を仕掛けたわけではないので、安全面への対策も抜かりなく盛り込んだのだった。
(この模擬戦の目的は、不正の証拠を掴むこと。それを隠して正面から立ち向かってくる可能性もあるが、それなら完膚なきまでに倒して実力不足を証明するまで)
この模擬戦はどちらに転んでも、サイプレスの目的を果たすことができる良案だった。
と、安全への配慮までできたところで、いよいよ模擬戦を執り行うことになった。
審判は開拓兵の一人が務めることになり、二人から少し離れたところで声を上げる。
「ではこれより、サイプレス・ファーミングとローズマリー・ガーニッシュの模擬戦を執り行います」
その合図に、サイプレスは右手を開いて前に構える。
一方でローズマリーは、ゆったりとした姿勢で佇み続ける。
周りの開拓兵たちの間に緊張が走り、空気がひりつくのを全員が感じた。
そして審判は右手を上げて、それを素早く振り下ろす。
「それでは……始め!」
サイプレスとローズマリーの模擬戦が始まった。