チャレンジ4回目 中編
主役・ヒロイン決めは話し合いの結果、まず2人1組のペアを作り、それぞれ告白シーンを演じることになった。その後、ペアを問わず演技力の高いと評価された2人が正式な主役とヒロインになる、そういうルールとした。
くじ引きによってペアは『僕と松原さん』、『秋彦と沙里』に分けられた。
チャレンジ3回目であれほど望んだ松原さんと今さらペアになるなんて……本当に運命という奴は捻くれものだ。
机や椅子を後ろに寄せ、教室の前半分に演技可能な空間を作る。僕ら4人以外のクラスメートは、遠巻きに野次や声援を飛ばしながらこちらを凝視している。
だが、僕にとって彼らの視線な路上のゴミと同じ、気にもならない。
気にすべきは、時間と秋彦だ。予想外の展開でHRは伸びに伸びている。今は16時30分。後30分で沙里に告白しなければならない。
もし、HRがリミットまでに終わらないとどうなるだろう。
追い詰められた僕には、衆人環視の中でも告白する勇気を用意している。だが、沙里が告白を受ける勇気を持っているかは分からない。他の人の前では恥ずかしがって告白を断ったり、または保留にして逃げ出す可能性だってある。
そうなれば死ぬ、おしまいだ。やはり2人っきりの場所で告白した方が賢明だろう。
そして秋彦……沙里はきっと僕のことを憎からず思ってくれている。
希望的観測かもしれないが、ヒロインの頼みを受け入れたことがその考えを後押ししてくれる。だが、この演技勝負に負けて沙里の隣を秋彦が取ったならば、沙里は秋彦のことを意識するかもしれない。
秋彦と沙里、この2人がお互いを気になる相手と思っていたら、僕の告白は失敗に終わる。
是が非でも勝たなくてはいけない。秋彦の思いを踏みにじっても勝つ。死にたくないという気持ちと、沙里を取られたくないという気持ちが強固な覚悟を構築する。
それぞれ台本に目を通した後、僕と松原さん組から告白シーンを演じる運びになった。僕は秋彦と違って、このシーンの演技は2回目だ。このハンデは大きいぞ。
クラスメート約60の瞳が僕たちを見る。一度、深呼吸して台本を片手に据える。相対する松原さんの顔は真剣そのもの、すでに覚悟完了のようだ。
秋彦と親密になるためなら何でもやるのか。彼女の本気をひしひしと感じる。
「それでは、始めてちょうだい」
沙里の言葉の後、教室から音が消えた。
「月が綺麗だね」
その沈黙を僕の台詞が破る。
「そうね、吸い込まれそうなくらい素敵」
おお、と幾ばくかの歓声が上がる。
うまい、屋上で読み合わせた時のものとは別人だ。
台詞に込める感情も見事なものだが、それだけじゃない。全身全霊で役になりきっている。主人公の隣に立ち妖艶な仕草で月を眺めるヒロインがそこにいる。僕のように手に台本を持っているわけでもない。
あの短時間で暗記したのか……
松原さんの予想以上の演技力に引き込まれそうになる。
いけない、このままでは演技を食われる。松原さんしか印象に残らないやり取りでは、僕の評価が悲惨なものになってしまう。僕だってこの演技にかける思いで負けてはいないのだ。
「百万ドルの夜景と、煌びやかな夜空。どちらも美しい。でもね、僕はそれ以上に美しいものを知っているんだ」
恥ずかしがらず口に出す。目の前にいるのが沙里だったら、そんなフィルターを施して気持ちを高ぶらせる。
「なにかしら」
小首をかしげるその姿は、もう気がないはずなのに心臓を叩いてくる。クラスメートの誰をも魅了する可愛らしさだ。なんて恐ろしい。
「君だよ」
「まあ」
「冗談じゃないよ。こんな美しい君は罪だ。僕が逮捕しなきゃいけないな。ずっと僕の隣にいてもらう」
松原さんに手を差しのべる。
「それって……」
「ああ、君が好きだ。僕と一緒になってくれ」。
「ふふふ、情熱的ね。私の答えは……」
ゆっくりと松原さんの手が、僕の手に重なる。しっとりと柔らかい手だ。
「喜んで」
盛大な拍手で集中していた意識が元に戻る。
クラスメート誰もが手を叩いて「すげー本当の告白かと思った」「松原さん素敵過ぎる!」「これ決まりじゃね」と口々に好評価を告げる。
やった、我ながら名演技だった。これなら見た目で負けていても、秋彦との差を演技で埋めることが出来る。
「ふう……」
松原さんが一仕事を終えた後のため息を控えめに吐く。その大人しめな様子に、つい今しがたクラス中を虜にした跡はない。大きな舞台の上にいてもおかしくない演技だった。
果たして、沙里は松原さんに勝てるのか。拍手が鳴り止まないこの教室で、場違いな仏頂面している沙里に僕は静かなエールを送った。
沙里と秋彦のペアの演技も悪くはなかった。必死さは伝わってきたし、台詞にはよく感情が込められていた。ただ初めて特有のぎこちなさを隠し通せるほどではなかった。
沙里も秋彦も自分の演技で一杯になり、連携が取れていなかったのだ。そのため会話をしているというよりは、交互に言葉を口にしている。そんな印象を拭えなかった。
終わった直後の沙里に
「お疲れ」
と僕は声をかけた。でも、沙里は下を向いて
「ごめん」
と言っただけだった。それが結果を物語っていた。
黒板に書かれた『主役』『ヒロイン』の文字の下に、副委員長の男子が僕と松原さんの名前を加えた。
委員長の沙里は自分の席に戻り、俯いたまま顔を上げない。周りはそんな沙里をしばらくそっとしておこう、と判断したようで「可哀想だ」という視線は送るものの声は送らない。
松原さんは当てが外れた結果に僕を1度睨んだ後、窓際の自分の席に戻って紅葉の木の方を向いたまま動かない。
秋彦は特に気落ちした雰囲気を見せず、他の役を決める話し合いに参加している。目的が僕と沙里をくっ付けないことなら、この役選びで唯一満足のいく結果を得たのが秋彦なのだ。
くそっ、僕はその涼しげな横顔を殴りたくて仕方なかった。
HRが終わる。16時50分、今までで一番短い放課後が訪れた。
僕はすぐさま席を立ち、沙里の方へ向かおうとする。しかし、その行動を遂げることは出来なかった。僕の手を秋彦が掴んだからだ。
「なあ一緒に帰ろう」
強引だ。普段何気なく言う「一緒に帰ろう」じゃない強制力を持った誘いだ。あくまで僕を沙里から遠ざけようというのか。
僕は、その手を振り払った。
「断る!」
考えてみれば秋彦をここまで拒絶したことはなかった、親友にここまで敵意を剥き出しにしたこともなかった。だが、悲しいかな今の僕にとって秋彦は死神そのものだった。だから、容赦のなく秋彦を突き放す。
「わ、悪かった」
主役に立候補したことか、沙里の所へ行くのを邪魔したことか、どちらの謝罪かは分からない。無論、どちらも許しはしない。
身長が高い秋彦が僕より小さく感じる。僕の怒りにショックを受け、猛省しているようだ。それでも僕の怒りには焼け石に水だ。
「先に帰ってくれ」もう話す事はない。
僕は秋彦に背を向けて、改めて沙里の席に向かった。沙里はHR中からまったく変わらず下を向いている。長い髪が垂れ下がり顔を隠すが、聞こえてくる嗚咽で沙里が今どんな表情をしているのか想像がついた。
「沙里……」
秋彦にはこれまでにない冷たい言葉を伝えた口が、今度はこれまでにない暖かい言葉を出す。
「劇のことはごめん」
元はと言えば、『演劇でムードを作って告白しよう』などと僕が余計な小細工をしたのがいけなかった。沙里にいらぬ傷を負わせてしまった。堂々と放課後に呼び出して告白すれば良かった話なのに。
「…………謝るの、あたしでしょ」
無言で返されるのかと心配したが、コミュニケーションを取れそうだ。
「あたしの演技が下手だから……せっかくあんたが誘ってくれたのに」
魂の慟哭、とでも言うのだろうか……沙里の無念さが伝わってくる。でもな沙里、僕は。
「いいんだ。一緒に演技が出来なくても大したことないんだよ、別に」
僕はただ君ともっと親密になりたかっただけなんだから。演劇だけが手段じゃない。
突然、沙里が顔を上げた。泣きはらした赤い目の中に僕が映る。
「大したこと……なかった?」今にも散ってしまいそうな声。
「え……ああ」
僕は失言してしまった。
刹那、顔が弾ける。頬に痺れを伴う痛みが走る。沙里のスナップの効いたビンタが瞬時に事を起こしたのだ。
「酷い!あの誘いは、あの誘いには……意味があるって信じたのに!」
沙里が怒りを、いや悲しみを爆発させる。立ち上がって、僕の襟を掴み締め上げる。
しまった、誤解だ、僕が言いたかったのは……
「そりゃあんたは満足よね。憧れの松原さんと舞台に立てるんだから。しかも恋人役、ああお熱いことで!」
「ちが、ちがうぅぅぅ……ぐっ」
否定する言葉を出す前に、鳩尾に沙里の拳がめり込む。
「あたしが、あたしがどんな気持ちでヒロインになろうと思ったか分かるの!分からないでしょうね、あんたはいつもそうよ。人の気持ちをよく考えずに傷つけてばかり。もうそれで一喜一憂するのはこりごりよ!馬鹿、この大馬鹿ヤローッ」
どこにそんな力があるのか沙里は僕を投げ飛ばした。受身など取れるはずもなく、机を何台か巻き込みながら僕は地に沈む。
「きゃああ!」
教室に残っていた数名のクラスメートの悲鳴が聞こえる。背中や首が鈍くズキズキした苦痛を訴える。目がチカチカする、という比喩を僕は初めて体験した。
「ふん!」
沙里が教室から出て行く。まずい、倒れたまま頭上の時計を見る。リミットまで5分を切っている。
今、沙里を見逃したら僕は終わりだ。
「うう、くそっ」立ち上がる。痛みに構っている暇はない。
「おい保健室行けよ」という級友たちに背を向けて廊下に出た。
沙里の姿は……いた!ちょうど階段の方へ曲がった所だった。
「さりぃぃぃ、待ってくれ!」
階段へ急行するも姿はすでになかった。見失ってしまった。
下に降りて行ったのか……それともこの上の屋上に向かったのか……二者択一、間違ったら死ぬ。
考えている時間は皆無。頭が回答する前に足が回答していた。両足が全力で稼動して階段を移動する。
お願いだ、神様でも柳田さんでもいい、沙里に告白させてくれ!誤解されたままで死ぬなんて、絶対に嫌なんだ!